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「じゃあ、エッチはその時だけ?」
香織が聞いてきた。昼休みにアルマーニ・リストランテで待ち合わせた。香織は浅蜊とトマトのパスタ、貴子はやりイカのリゾットを食べている。
「私が亮介と別れるまでは、もうああいうことはしない、って言ってる。」
「激しく抱いておいて、お預けってわけ?やるわねえ、若造。」
「間男になりたくないだけでしょ。けっこうプライド高いのかもしれない。」
「けっこうどころか、話聞いてると自信家ね。しかもプライドにしがみつくタイプじゃなくて、自信があるから余裕、みたいな。意外と手強いタイプかも、年下くん。」
「いつもいきなり驚かされる。名古屋で急に腕を掴まれて、旅館にいきなり現れて、今度はウチで。」
「それが計算されたものだったら、怖いくらい女を知ってるよねえ。」
「そうやって男のコから男にシフトした。なんか、喋り方まで変わって来たような気がする。」
「そりゃ、男と女、肉体関係以前と以降では親密度が変わるもの。亮介君とだってそうじゃなかった?」
「彼は、あんまり変わらない人だから。」
「へえ、そうなんだ。ウチの主人なんて直後から俺の女って感じになったけどなあ。」
賢治君の態度は、そういうのとも違う。恋人じゃないっていうスタンスはわきまえて、でも以前より親密、そういう変化なのだ。香織にそう告げると、
「逆よ、彼が変わったんじゃなくて、そう貴子が感じるようになったのよ。アブナイなあ、年下君を男として認識するようになった証拠。」
「かもしれない。でもね、賢治君といるとすごく楽しい。普通に楽しいことを教えてくれる。全然気を遣わないし、恋人じゃないから嫌われる恐怖とか全然無い。なんか、昔からずっと家族だったみたいな気がする。」
「それって恋愛感情?それとも家族愛みたいなもの?」
「何だろう、一言でいうと居心地がいい。」
「でも貴子もアブないことしてるよねえ。もし年下君が来てる時に突然亮介君が現れたらどうするつもり?」
「それは無い。亮介って突然来たりしないもの。そういうところ律儀なのよ。」
「そうなの?」
「うん、多分、自分の家にも突然来て欲しくない人だから。そういうことが下品だみたいなこと言ってたし。」
「今の貴子には都合がいい関係なわけね。で、これから亮介君とはどうするの?別れるの?」
「もちろん別れない。」
「じゃあ、二股続けるの?」
「そういうわけにも行かないし。」
「ああ、貴子、何やってんだか。」
自分でも何やってんだかわからないのだ。
極端に量の少ないパスタの最後のひと口を食べながら、香織が言った。
「ところで、ふたりで部屋にいて、エッチしないで何してるの?まさかトランプでもしてるとか?」
賢治君が部屋に来ると、よくふたりで料理をする。貴子が得意料理を作るときは賢治君が前菜やデザートを作る。彼がメインを作る時、貴子はそれに合わせてスープやサラダを作った。
「ねえ、ソースパンって有る?」
「あるわよ、ガストップの下のキャビネットの中。」
「そこのバジル、洗っといてくれる?」
「了解。」
「ねえ、そのサーモン、レモンゼスト加えたら美味しいかも。」
「いいねえ。じゃあ、オニオンスライスは少なめにするよ。」
賢治君との料理はとても楽しい。味の好みが似ているし、ふたりで調理すると思いがけない味が作れたり、意外な組み合わせが絶妙に決まるとふたりで抱き合って喜んだ。作りながらカウンターで料理をつまんだり、貴子が残業で疲れた夜は、テーブルでは無くカウチで床に座ってだらだら食べたり、ふたりで自由に食事をした。
「子供の頃、ひとりで料理作ったって話したでしょ。」
「うん、ご飯だけは炊いてあったって話。」
「そう。田舎だからスパゲティなんて洒落たの無くて、あったのはナポリタン。」
「あ、うちも同じ。缶詰のマッシュルーム、ピーマンと玉ねぎが入ったやつ。」
「そうそう、目玉焼き乗っけて。」
「半熟の奴だよね、それぐちゃぐちゃにして混ぜて食べるとめちゃ美味しくて。」
「わかるわかる、で、ある日、ご飯食べたくなくて、戸棚からスパゲティ出して、でもマッシュルームもピーマンも無くて、どうしようかなあって冷蔵庫探して方向転換、キャベツ茹でて、塩辛で合えて和風に作ってみたら意外に美味しくて、今思えば、塩辛ってアンチョビに味が似てるのよね。」
「俺なんか、鰻でスパゲティ・ア・ラ・ひつまぶし作ってたよ。」
「さすが愛知、それ美味しそう。」
「うん、山椒でもワサビでもイケるけど、生クリーム使うとコクが出て鰻の旨みが増すんだ。」
今度、スパゲティの和風アレンジ、色々試そうと、ふたりで盛り上がる。
「ねえ、安倍さんって小さい頃、あだ名ってあった?」
「何よ、急に。」
「別に。子供の頃のあなたが冷蔵庫開けて、あれこれ探す姿想像したら、なんて呼ばれてたのかなあって。」
「タラちゃん。」
「えっ?」
「子供の頃、舌ったらずでタカコって言えなくて、タラコって言ってたらしいの。だからタラちゃん。」
賢治君が笑った。
「サザエさんとこの子供だね。これからタラちゃんって呼ぼうかな。」
「やめてよ。そういう君はなんて呼ばれてたの?」
「うちではケンにい。兄貴より俺の方が背が高いけど、小ちゃい兄ちゃんとかも。学校ではケンちゃんとかケンジとか。
「ケンちゃんもタラちゃんもマンガだね。」
「そうだね。マンガ同盟。」
何それ、貴子は笑った。
「実はケンちゃんは薔薇が大嫌いだった。」
賢治君がぽつりと言った。
「え?そうなの。」
「薔薇の収穫って言うと手伝わされるんだけど、子供って不注意だから薔薇の棘であちこち流血して、もう嫌だって泣いたこともある。」
「あはは、ケンちゃん、どんクサかったんだ。」
「ちっちゃかった子供の頃だけだよ、で、ある日ふと思ったんだ。どうして薔薇に棘があるんだろうって。で、その答えがわかった。」
「どうして?」
「実は薔薇ってめちゃ弱いんだ。触られるとすぐ花びらが落ちてしまう。出荷前に棘を全部取り除くんだけど、棘を無くした薔薇ってすごくデリケートでね、それがわかったら、そうか、薔薇が人を傷つけるのって、実は弱さを隠してただけなんだなって。そしたらなんか憎めなくなった。」
「なんか、いい話。」
いい話でしょ?賢治君がそう言って、それから貴子の頭を引き寄せた。
「それが、僕があなたを好きになった理由。」
「え?」
貴子は賢治君を見た。賢治君はにこにこ笑っている。
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