今でも「ヘッセ」を読んでいる

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それは、予め訊かれることを想定していたかのような言葉の羅列だった。 けれど僕にはそれが、何かの詩のようにも聞こえた。 その中には当時僕が読んでいた、谷崎潤一郎や三島由紀夫、川端康成のような日本の小説家の名前はなかった。 それが逆に新鮮だったのかもしれない。 当時、僕は19歳、読書量はまだまだだと思い知らされもした。 「日本の作家は読まないの?」と訊くと、 彼女は「日本の作家は、ベタベタしてるから、嫌い」と答えた。 僕の今まで読んできた作家は「ベタベタ」と言う言葉で片付けられた。 嫌いなうえ、きっと読まないのだろう。 その言葉に対して、何も言えない僕がいた。 日本の作家を支える、あるいは擁護する「自信」が僕には無かったのだ。 適当な言葉も見つからなかった。 僕は今まで、何を読んできたのだ。本棚に日本の文豪たちの本を並べ、眺め、 それで悦に浸っていただけではないのか。 彼女の読んでいる本は僕の手の届かない所に位置している・・そんな気さえした。 それから僕は大学生協の本屋で、ヘッセの本を買い、すぐに読んだ。 けれど、彼女がヘッセのどこが好きで読んでいるのか、全く分からなかった。 その時の言葉は彼女と別れた後も、僕の中で次第に大きくなっていった。 ヘッセ等の本を読みながら、それらの中にある風景の描写にあるよう景色にも憧れたりした。
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