返事は直接しに行きます

1/1
前へ
/1ページ
次へ
『この手紙を読む頃、私はもうこの世にいないでしょう』 そんな始まりの手紙を受け取ったのは彼女がこの世を去ってから三年後の事だった。 突然の病だった。 若さ故進行が早く、治療の為に仕事を辞め、通院や入退院を繰り返し日に日に元気をなくしていった。 病院の付き添いには出来るだけ行った。彼女の希望を少しでも叶えようと色んな所にも連れていった。 だが病の進行は待ってくれない。 「家に帰れるみたい」 約二年の闘病生活。 ベッドに横たわり、手にも鼻にもたくさんの管を付け機械に囲まれた彼女がぽつりと呟く。 嬉しそうに目元を細め、唇で弧を描いている。顔色は白く、元気だった頃の面影はない。頬もこけ、少しぽっちゃりしていた身体はすっかりと痩せ細ってしまっていた。 「……いつ?」 「明後日」 もう何度目になるかわからない入院生活。 検査の結果は悪かったと聞いている。 そんなタイミングでの帰宅許可。 その理由なんて、聞かなくてもわかる。 一時退院とか、全快したとかだったらどんなに良かっただろうか。 「……そっか」 彼女の言葉に小さく頷く事しか出来ない。 無意識に浮かんでくる涙を堪える。 泣きたいのは彼女の方だ。 自分が泣いてはいけない。 彼女は最悪の事態を自分に悟られないようにして別れようとしているのだから。 元気になって戻ってくると、そう行って別れようとしているのだから。 他の誰でもない、自分がそれを信じてあげなければ。 「家に帰ったら、暫く会えなくなっちゃうね」 彼女の実家はここから遠い。治療のために県を跨いでこの大学病院に通っていたのだ。 彼女との最後の別れは良く覚えている。 退院する前の日。いつものようにお見舞いに来て、他愛のない話をして。 「じゃあ、そろそろ」 退院の日には見送りに来れない。 別れを告げると、彼女が手を伸ばしてきた。その手を取り、ぎゅっと力を込める。 彼女の方からも別れを惜しむように力が込められる。 黙って見つめあう自分の瞳はきっと先日と同じように涙でいっぱいに違いない。 零れ落ちないのが不思議なくらいに視界が歪んでいる。 この手を離したら。 この視線を逸らしたら。 何もかもが終わってしまう。 しかしその時は容赦なくやってくる。 これが最後だと、お互いにわかっていた。 もう二度と会えない。 一緒に食事に行く事も、遊ぶ事も、趣味の話で盛り上がる事もバカな話をする事も悩みを相談する事も何もかももう出来ない。出来ないんだ。 もうダメだ。 泣いてしまう。 一番辛い思いをしている彼女の前では絶対に涙を零したくない。 最後にもう一度、離したくないという風に一瞬だけ手に力が込められる。 それに後ろ髪を引かれ、真っ赤な目のまま病室から飛び出した。 それから数日後。 暫く連絡出来ないと言われた。 それから数か月後。 次に連絡をしてきたのは、彼女の母だった。 今手元にある手紙は、あの退院の直前に綴ったものらしい。 どう巡り巡って三年後に届いたのかはわからない。 手紙には入院中の辛い事、痛い事、もう逃げ出したい、もう何もかもを放棄したい。 怖い、怖い、ただただ怖い。 怖くて堪らない。 自分がどうなるのか、この先痛みと苦しみで狂ってしまうのではないか。 周りの人全員を敵とみなして怒鳴り散らし、みんな自分から離れていってしまったらどうしよう。 そんな不安な思いと共に、今までの嬉しかった事、楽しかった事、これからもっとしたい事がたくさん綴られていた。 そして、あの退院前日の事にも触れていた。 お互いあれが最後だとわかっていたよね、と。 あんな風に手を繋ぐのは初めてで、手の温かさが心地良くて離したくないと思った、と。あの後、ガラにもなく号泣してしまった、と 。 多分同じように泣いてたよね、と。 (ははっ、一緒になって泣いてたのか) それなら一緒に泣けば良かった。そう思うけれど、それは出来なかった。 あそこで泣いたら彼女の全てを諦める事になると思った。 きっとまた会える。 絶対に会える。 そう信じようとしている自分の心を裏切りたくなかった。 ……結果は、残念だったけれど。 彼女の葬式には参加した。 弔辞を頼まれ読んだが、泣き声と嗚咽で何が何だか自分でもわからない妙な弔辞になってしまった。 思えばあれは、彼女に宛てた初めての手紙だ。 そしてこの手紙があの時の返事。書いた順番は違うが、きっとそう。 彼女がいなくなってからお墓参りには行っていなかった。 お墓を見て、そこに名前があったら彼女が本当にいなくなってしまったのだと認めなければならない。 お葬式にも出たのに何を今更という思いはある。 今もまだどこかの扉からひょっこりと顔を出し、いつもの笑顔で近付いてくるような、そんな気がしているのだ。 けれどいつまでも逃げている訳にはいかない。 彼女の事を受け入れなければならない。この手紙を読んで、そう思った。 (……ここか) 彼女のお墓の前に立つ。 供えられた花は彼女の親族が持ってきたものだろう。 これからきっと長い時間がかかる。 行儀も悪いしこれが許されている事かどうかはわからないけれど『彼女』の前にどっかりと腰を下ろし彼女が好きだった寿司を広げる。 そして…… 「久しぶり」 手紙の返事を、彼女に直接語り掛けた。 終わり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加