一.ペールブルーの不機嫌

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一.ペールブルーの不機嫌

 久しぶりに届いた同級生からの手紙には、青すぎるほど青い空を背にして建つ、なつかしい小学校の写真が同封されていた。  手紙は便箋一枚ぶんだった。見覚えのある柔らかい筆跡が、まもなくその日が訪れることを、ひりひりと告げていた。 〈八月一日に真節(まぶし)小学校の校舎の取り壊しが始まります。その日の午前中で、もう校庭にも入れなくなります。だから、工事が始まる前にお別れ会をしようと、島の大人たちと相談して決めました。結羽(ゆう)も来てよ。みんなでサヨナラしよう〉  真節小学校が閉校して、今年で四年。残されていた校舎もいつか取り壊される日が来るのだと、もちろん知ってはいたけれど。  四年っていう時間は、長いようで、短いようで、まばたきひとつの間に気が遠くなる。  あたしは、あの島を離れてからずっと、長い長い薄暗がりの悪夢から覚めることなく、もがいているみたいだ。でも、振り返ってみれば、ちゃんと色の付いた思い出なんて、ほとんどない。たった数日ぶんの記憶みたいな分量でしかなくて、ぺらぺらで。  嫌い、嫌い、嫌い。自分が。毎日が。生きていることが。全部が嫌い、嫌い、嫌い。  何もかもがイヤでたまらないっていう気持ちは、まるで呪いだ。ほんのちょっと感情を動かしてしまったら、そのとたん、嫌い嫌い嫌いっていう自分の声で、頭も心も埋め尽くされる。  あたしは目を閉じて息をついて、唇を噛んで痛みを味わって、目を開けて写真を見つめた。青い空と、古ぼけた鉄筋コンクリートの校舎。  あのキラキラしていた毎日のことを思う。二度と戻ってこない、あたしがいちばん幸せだったころ。胸がざわめく。校舎が取り壊されたら、もう本当に、過去が過去になってしまうんだなって。  何言ってんだろう。過去は過去だよね。完全にサヨナラしちゃったほうが、きっといい。あたしは、過去のあたしを知っている人やものや場所、全部と、きれいさっぱりサヨナラしてしまいたい。  あたしはスマホを起ち上げた。二年以上、放置していたメッセージに、短い返信を作る。 〈手紙ありがとう。行きます〉  このメッセージアプリで誰かに連絡するのって、いつ以来だっけ。普段は、母からの連絡を一方的に受けるためだけの道具になっている。その連絡も、今から帰るとか、気を付けていってらっしゃいとか、何種類かのパターンだけ。  あたしは手紙と写真を封筒の中にしまって、部屋を出て台所に向かった。もうすぐ夕食だ。母がパタパタとスリッパの音を立てて、ごはんの準備をしている。母があたしに「手伝って」と言わなくなって、二年半。あたしが壊れてから、二年半。  わざと足音を鳴らして台所に入ったから、母はあたしに気が付いた。母が口を開く前に、封筒ごと、手紙をテーブルに置く。 「八月一日、小学校、取り壊しだって。行ってくるから」 「そう。みんなで集まると? 同じクラスやった子たち」  みんなって言い方は、たぶんちょっとおかしい。あたしたちは、たった四人だった。四十人が授業を受けられる教室に、四人だけ。あたしたちの関係を示す言葉は、友達もクラスメイトもしっくりこなくて、だから、仲間って呼び合っていた。  あたしは母の質問に答えた。 「詳しいことはわかんないけど、行く」 「一人で?」 「だって、仕事でしょ」  おかあさんも、おとうさんも。そう付け加えるべきなんだろうけれど。日本語の文法的には。  あたしは人の名前を声に出して呼べない。おとうさん、おかあさんというのも、呼べなくなってしまった。照れくさいとか、そういうんじゃない。呼び掛けると、距離が近すぎて、息が苦しくなる。人の気配がそばにあるのが、本当にダメなんだ。  母は丁寧にタオルで手を拭いて、封筒から手紙を取り出した。写真を見て、目を細める。あたしたち家族は、あの学校のすぐそばに住んでいたから、校庭から見上げる校舎のアングルは、とてもなつかしい。  微笑んだままの母がこっちを向く瞬間、あたしはうつむいた。前髪の黒いカーテン越しに、母の視線を感じる。 「泊まる場所や船便のこと、確認せんばいけんね。どうするか、決めとると?」 「決めてない」 「一人で行くとなら、安心できる人のところに泊めてもらわんばね」 「わかってる。後でまた考える」  あたしは、きびすを返した。 「もうすぐごはんよ」 「わかってる」 「今日も、夜、歌いに行くと?」 「行くけど」 「どこに? いつもの、交番のところの公園?」 「そこ以外、行く場所ない」  ため息の気配。そして、ものわかりのいい、優しい声音。 「行き帰りの道は気を付けて」  何度も何度も何度も、両親はあたしを叱って、引き止めて、なだめて、そしてとうとうあきらめた。学校や警察まで巻き込んで、あたしだけの特別なルールまで作らせた。その公園で、日付の変わる前だったら、真っ暗になってもギターを弾いていいって。  まじめで立派な人だ。父も母も。その人たちの血を引いて、その人たちに育てられたのに、あたしだけが規格外。心も体も壊れている。あたしはきっと、この家にいちゃいけないんだと、毎日、毎晩、感じている。  家を出たい。遠くに行きたい。一人で暮らしたい。お金を稼いで、自力で生きていけるように、早くなりたい。  本土の港から、フェリーで西へ三時間。あたしは大近島(おおちかじま)へ向かっている。  クーラーの風は苦手。興味のないテレビがついているのも嫌い。知らない人と相席するのは疲れる。知っている人とは会いたくない。背負ったギターに注目されるのもイヤだ。  だから、あたしは甲板に出て、紺碧の波を見下ろしながら、風に吹かれている。海上は南の風がやや強く、波の高さは二.五メートル。夏場のこのコンディションなら、フェリーはあまり揺れない。  ぺたぺたと肌に貼り付く潮。フェリーの巨大なエンジン音。船体の機械油とさびの匂い。  フェリーが蹴散らす白いしぶきに交じって、羽を広げたトビウオが低く長く滑空する。アゴって呼ぶんだ。トビウオのことを、島の言葉では。  晴れている。キラキラまばゆい銀色の水平線に、船の影が一つ、二つ。  子どものころには、幾度となくこの景色を眺めた。あたしは島で育ったから。週末にはときどき、両親と一緒に、本土でたっぷり買い物をするために、この古びたフェリーに乗って遠出をしたんだ。  島で育った、と言っても、一つの島に定住していたわけじゃない。二年か三年おきに、別の島へと引っ越す必要があった。  この近海には、百五十個くらいの島が点在して、そのあちこちに小さな学校が置かれている。あたしの両親は学校の先生で、数年おきに転勤がある。そのたびに引っ越しだ。あたしは今までに五回、引っ越しを経験している。  かつて住んだ島の中で、いちばん好きだったのは、真節小学校のある小近島(おちかじま)だった。小さくて、本当に人の少ない島だった。便利なものは何もなかった。なのに、いちばん好きだった。  それなのにね。終わってしまうんだよね。どんなに大切なものでも、時の流れには逆らえなくて、目の前で消えていってしまう。ものごとは全部、ずっと続くものなんてなくて。あたしは最初から、あの島に住むのは二年だけってわかっていたし。  パーカーのポケットからスマホを取り出す。画面をタップすると、通知がいくつか入っていた。昨日アップした動画にコメントが付いたらしい。  あたしは、夜、公園で歌うときの動画を撮って、ネットに上げている。著作権がどうのこうのっていうのが面倒だから、カバーはやらない。オリジナルの音源ばっか。その割には、まあまあフォロワーが付いているほう、かもしれない。  hoodiekid《フーディーキッド》っていうハンドルネームは、いつもパーカーを着てフードを深くかぶって歌うから。フーディーっていうのは、パーカーの英語だ。ストリートで歌い始めたころ、通りすがりの外国人から、投げ銭と一緒にこの名前をもらった。  あたしの動画は、視聴者の数の割にコメントが少ない。あたしが丁寧にコメント返しをするタイプじゃないから、配信者と絡むのを楽しみたい人っていうのは、どっか行っちゃうんだ。黙って音楽を聴きたいだけの人が、ポツポツ残ってくれている。  二回以上コメントを入れてくれた人のハンドルネームは、全部覚えている。この人、初めて来たなっていうのも、もちろん見分けられる。  昨日アップした動画に付いたコメントの一つは、初めて来た人からのものだった。 〈no name|このパーカーの人、生で見たことあるわ。ケーサツに見張られてたw〉  最悪。もちろん、同じ高校の人とか同じ中学だった人とかが、あたしの動画を観る可能性があるって、そんなことくらいわかっているけれど。  ほかに、見知ったハンドルネームからのコメント。三人から、一言ずつ。 〈いむさ|やっぱり声きれいやね!〉 〈KzH|いつも後ろに猫いるw なつかれてるっていうか、猫同士かw〉 〈lostman|新曲まだ途中なのか。いつフルで公開する?〉  返信すればいいんだろうか。会話をしちゃっていいんだろうか。彼らは、あたしと話したいんだろうか。  チラッと、そんなことを考える。でも、あたしは誰とも話さない。  疲れたんだよ。あたしの言葉は、(うた)を紡ぐためだけにある。そう割り切ってしまったほうがいい。生き続けるための手段として、割り切ろうと決めたんだ。  歌うのも話すのも全部うまくやろうだなんて、そんなくたびれること続けていたら、あたしはまたバラバラに壊れてしまう。  あたしはフードをかぶった。視界が半分、暗くなる。吹き付ける潮風が、フードをはじき飛ばそうとする。あたしはうつむいて、フードの端っこをギュッとつまんで、潮風と太陽の光に抵抗した。  唄を口ずさむ。取り留めもなく作りかけの、まだタイトルもない、出口の見えない唄を。 night night night また始まってしまう今日 まだ飛び立てない my blue nights 落ち着く場所は夜の中 いつの間にか闇がトモダチ 深くかぶったフードの下 滅びてしまえ 全部 全部 キライ キライ キライ 僕の内側にいる宇宙 僕の外側にある世界 クライ クライ クライ 目を開けて見る夢の途中 目を閉ざした痛いリアル 精一杯 ネジを巻いて 歌う喉が 走る足が 止まらないように まだ終わっちゃダメなんだろう?  大近島の港であたしを迎えてくれたのは、日に焼けた丸顔の男の人だった。三十歳だと聞いていたけれど、優しげな垂れ目をくしゃっと笑わせると、もっとずっと若く見える。 「結羽ちゃんやろ?」 「はい」 「うわぁ、高橋先生によく似ちょっね。一目でわかったよ」  高橋先生というのは、母の呼び名。結婚する前の。今は、松本先生。父も母も、それぞれの職場である小学校で、同じように松本先生と呼ばれている。いや、父は、教頭先生かな。松本教頭先生。 「結羽ちゃん、フェリーでの長旅、疲れたろ? 船酔いしちょらん?」 「大丈夫です」 「そぃなら、よかった。家に昼ごはんば用意しちょっけん、まずは帰ろうか。どこか行きたか場所があれば、うちの嫁さんに言うて。午後、車ば出せるけん」  あたしは、かぶりを振った。 「行きたい場所とか、ないです。気を遣わないでください。これから三日間、お世話になります」  その人は、大樹(だいき)さんという。いや、夏井(なつい)先生と呼ぶべきかな。夏井先生は、大近島で小学校の教師をしている。  夏井先生は、あたしの母の教え子だ。四年生から六年生までの三年間、小さな島の小さな学校で、新任教師だった母に教わっていたらしい。 「高橋先生に初めて会ったとは、もう二十年前になるたいね。いやぁ、早か。結羽ちゃん、十六歳やろ?」 「はい」 「ぼくの結婚式のとき、お祝いに来てくれたよね。結羽ちゃんとは、あれ以来たいね。覚えちょっかな?」 「はい」  六年前だ。覚えているに決まっている。あたしは記憶力がいい。何もかも見えてしまって、見たものは全部、覚えてしまえる。ただ、そういうのは疲れるから、壊れるほど疲れるから、観察や記憶の機能を止めておく方法も身に付けた。  夏井先生の奥さんも母の教え子だ。つまり大樹さんにとっては、同い年の幼なじみに当たる人で、里穂(りほ)さんという。  幼なじみ、か。引っ越しばっかりのあたしには、そう呼べる相手はいない。あたしはいつも、幼なじみたちの固いきずなの中に数年間だけ入れてもらって間借りする、ただのお客さんだった。たぶん、同窓会や成人式にも呼ばれないと思う。  違う。  呼ばれたじゃないか。この夏、ここに。消えていく校舎を見送るために。  そうだ、小近島の真節小にいたころの思い出だけは、ほかのどんな過去の記憶たちと、形が違う。色が違う。匂いが、肌ざわりが、柔らかさが違う。何もかもが違う。  幼なじみと呼んでみたかった相手は、明日実(あすみ)和弘(かずひろ)と、それから良一(りょういち)。どうしてあんなに特別だったのか、今となってはもう、理由を見付けることもできないけれど。終わった日々を想っても、仕方がないから。  やめよう。考えるのは。  汚れた包帯で、ハートの破片を、いびつな形に結び合わせてつなぎ止めて、あたしはようやく形を保っている。余計なことを考えるな。無理やり巻いた包帯がほどけたら、またバラバラに壊れて、立てなくなってしまう。  夏井先生の軽自動車は白い旧式で、ドアの付け根に茶色いさびが見えていた。昔、母が乗っていた中古車も、同じように、白くて小さくて、少しさびていた。  あたしは後部座席にギターと荷物を載せて、助手席に乗り込んだ。港から夏井先生の家まで、車で二十分ほどかかるらしい。 「クーラーにする? 窓ば開ける?」 「窓、開けます」  白い潮がこびりついた窓を押し下げると、風がビュビュンと耳元でうなった。  車が発進する。どこか甘くて生ぐさい島の空気が、窓から流れ込んでくる。  港のそばのアーケードは、記憶していたとおりだった。ほとんど変わっていない。昔から、こぢんまりとした街並みだった。島の潮風は、ものを早く風化させるから、建物も車も、古いおもちゃみたいに、ちっちゃくてくすんだ印象だ。  フロントガラス越しの日差しが、じりじりと、あたしの肌を焼く。日光に当たるのは、本土に引っ越してから、極端に苦手になった。すぐに肌がひりひりしてくる。日が沈んで、夜の中で一人になると、ホッとする。  夏井先生は運転しながら、のんびりと大きな声を出して、取り留めもない話をした。 「ぼくが小学校の先生になったとは、結羽ちゃんのおかあさんの影響やもんね。四年生から六年生まで、ほんとにお世話になったけん」  その話は結婚式のときにも聞いた。あたしが生まれる前の話なんかされても、リアクションのしようがない。あたしは適当に「はい」「そうですか」と応えておく。  あたしはおしゃべりが下手で、それはなぜかといえば、質問をしないからだ。他人に対しての興味が薄くて、お愛想を言うこともできなくて、そしたら、相手の話を引き出すための質問なんて、できるはずもなくて。  学校生活がうまくいかないのは何が問題なのか、わかっているのに、あたしは、解決しようと努力をしない。努力する価値がないと思ってしまう。いらないんだ、全部。上手に周囲に溶け込むための努力なんて。努力しなきゃ手に入らない「ふつう」なんて。  あたしの不機嫌と夏井先生のおしゃべりを載せて、車は走る。  このあたりの島は全部、海から急に生え立ったような、けわしい地形をしている。人が住んでいるのは、だいたい、海のそばのわずかな平地だ。  港のそばのアーケードを離れると、がたついた県道は小さな山に入る。山を越えるまで、人家はない。ときどき自動販売機があるだけだ。  山を二つ越えたら、岡浦(おかうら)という集落だ。岡浦のちっぽけな船着き場から一キロほどの沖合に、島が見えている。フロントガラス越しにそっちを指差して、夏井先生はあたしに言った。 「なつかしかでしょ?」 「そうですね」  あの島が、小近島だ。あたしが小学五年生、六年生のころに住んでいた島。今回の旅の目的の場所。  本土から小近島に直接渡る船はない。いったん大近島まで渡って、さらに船を乗り継ぐ必要がある。二次離島、と呼ぶらしい。  夏井先生の住む教員住宅は、岡浦小学校を通り過ぎたら、すぐの場所にあった。夏井先生が家の横の砂利道に車を停めると、大きな窓のすだれが巻き上げられて、がたがたと網戸が開けられた。  ざっくりしたワンピース姿の女の人が、家の中から姿を現した。夏井先生の奥さん、里穂さんだ。里穂さんは、気さくな笑顔をあたしに向ける。 「いらっしゃーい、結羽ちゃん! わぁ、ますます高橋先生に似てきたね! あ、でも、目と口の形は松本先生やね」  あたしの両親が出会ったのは、小さな島の小さな小学校の職員室。夏井先生と里穂さんは母の教え子だけど、同じ小学校に勤めていた父のことも、当然よく知っている。  車を降りたあたしは、荷物を持ってギターを背負って、里穂さんに頭を下げた。 「お世話になります」 「遠慮せんで、よかとよ! 楽しみにしちょったと。どうぞ、ここから上がって」  ここ、というのは窓だ。玄関に回らなくていいらしい。夏井先生が窓から家に上がったから、あたしもそれに従った。小近島に住んでいたころは、うちもこんなふうだった。  日に焼けてすり切れた畳を踏むと、知らない家の匂いがするのに、何だかひどくなつかしい。その理由に、すぐ思い当たる。 「あ、同じだ」  家の造りが、同じ。小近島の真節小の教員住宅、つまり、昔あたしが住んでいた家と、この家は同じ構造をしている。平屋建てで、二部屋続きの六畳間があって、広めの台所と、その隣の四畳半、古めかしい風呂場、半水洗のトイレがある。  六畳間にはテーブルと四人ぶんの座布団が置かれて、テーブルの上には皿や箸がセットされている。里穂さんは、いそいそと台所から料理を運んできた。 「お昼ごはん、すぐに食べられるごと、準備しちょったとよ。冷やしうどんとお刺身とサラダ。結羽ちゃん、嫌いな食べ物、ある?」 「ないです」  座布団も、皿と箸も、四人ぶんある。もう一人、誰かいるの?  あたしが眉間にしわを寄せたときだった。麦茶のコップを載せたお盆を手に、台所から、背の高い男の人が出てきた。口元に、形のいい笑みを浮かべている。  パッと見の印象が落ち着いていたせいで大人のように思ったけれど、その実、男の子っていう年ごろだった。あたしと同い年くらいの。  いや違う、と、またすぐにあたしは気付く。同い年くらいじゃなくて、ジャスト同い年だ。そして、あたしはそいつの正体を知っている。 「良一」  真節小で同じクラスだった良一だ。当時とは名字が変わって、確か、今は朝比奈(あさひな)良一。ずいぶん背が伸びている。あたしだって百七十近くあるのに、思いっ切り見上げなきゃいけない。  良一は一瞬、まぶしそうに目を細めて笑った。それから、口元だけの微笑みに戻して、麦茶のお盆をテーブルの上に置いた。改めて、あたしの正面に立つ。 「久しぶりたい、結羽。元気にしちょった?」  見下ろされている。良一の体つきは華奢なくらいに細いから、長身の割に、圧迫感はないけれど。イケメンって、こういうやつのことをいうんだろう。きれいな造りの顔はキュッと小さく、首も手足もすんなりと長い。  良一はただの高校生じゃない。仕事をしている。売り出し中のモデルだ。細くてきれいなイケメンなのも当たり前。普段は東京に住んでいるらしい。 「元気って……別に普通」  あたしは良一から目をそらした。  人の目を見て話すのは、中学に上がってから、嫌いになった。気が付いたら、嫌いにさせられていた。  あたしは、親しみやすい雰囲気を作るのが下手なんだって。怖いとか強いとかクールとかって言われて、そのイメージが定着した。あたしは「笑わない人」というキャラクターとして、役柄を造り上げられてしまった。  良一がクスッと笑った。 「不思議な感覚やね。結羽が高校生になっちょる」  あんただってそうだ。良一のそんな声、低く落ち着いた声なんて、聞いたこともないし、想像もできなかった。  だけど、同時に、間違いなく良一だっていうこともわかる。息の感じとか、笑いを含んだリズムとかが、子どもの声でしゃべっていたころのままだ。  あたしはギターと荷物を部屋の隅に置いた。料理をする里穂さんを手伝おうと思ったけれど、夏井先生のほうが素早くて、もう食卓は整っている。  冷やしうどんは細めの麺で、コシが強い。新鮮そうに紅色がかって透き通る刺身は、チヌという、海底の岩の隙間に住む魚。サラダの野菜は、庭の畑で獲れたものだ。  里穂さんが、食べようか、と声をかける。  良一は、テーブルのそばのバッグからデジカメを取り出した。里穂さんに断りを入れる。 「食卓の写真、撮ってもよかですか?」 「よかよ。いなか料理で、お粗末さまやけど」 「ごちそうですよ。こんな新鮮な魚や野菜、東京では食べられんけん」  良一はデジカメを起動して、光のバランスなんかを調整して、食卓の写真を撮った。すぐさま画面で、撮ったばかりの写真を確認する。夏井先生は、興味深そうに良一の手元をのぞき込んだ。 「良一くん、慣れちょっね。仕事で使うと?」 「はい、仕事の一環ですね。SNSとか動画配信とか、それなりに頑張ってみちょって、そのためにカメラの使い方もけっこう覚えました。おもしろかとですよ、カメラって。将来的には、撮られる側じゃなくて、撮る仕事もやってみたかとです」  デジカメを扱う良一の手の形は、大人で、男だ。関節が大きくて指が長い。その手は何気ない格好を装いながらも、どことなく、トレーニングの成果をまとわりつかせている。モデルとしてのポージング。美しくて、ひどく整えられていて。  知らないやつがいる、と思った。あたしの知っている良一じゃないみたいだ。  なごやかな食事が始まった。夏井先生も里穂さんも気さくで、良一は昔以上に愛想がいい。あたしひとり取り残されている。良一があたしに話を振った。 「何でおれがここにいるのか、って訊かんと?」  おれ、か。昔は、ぼくだったのに。 「別に訊かない。話したければ話せば?」  良一が笑う。 「じゃあ、話す。慈愛院に泊めてもらうつもりでおったとけど、ちょうど夏の旅行中やけん無理、って言われたと。どうしようかと思っちょったら、夏井先生から連絡していただいて」  慈愛院は、小近島にある教会が営む施設だ。家族に養ってもらえない子どもが、慈愛院に引き取られて育てられる。  良一は五年生の春、どこか遠くから慈愛院にやって来た。ランドセルや筆箱に書かれた苗字は、真節小での名前とは違っていた。そして、小学校を卒業するのと同時に、良一は朝比奈という新しい苗字になって、東京へ引っ越していった。  夏井先生が良一の話を引き継いだ。 「今、慈愛院の小学生は、船でこっちに渡ってきて、岡浦小に通いよっと。真節小がなくなったけんね。ぼくが受け持ちよる中にも一人、慈愛院の子がおるとさ。その関係で、良一くんの話ば聞いて、じゃあうちに泊まらんかな、って」  良一が夏井先生に笑顔を向けている。 「ざまん助かります。本当に、ありがとうございます」  あたしは、自分のイライラの原因に一つ、気が付いた。良一のしゃべり方だ。方言がわざとらしい。「ざまん」って方言は、島でしか使われない言い回しだ。標準語にするなら、「マジで」になる。  良一のしゃべり方は音程がおかしい。本当は東京の言葉に染まっているはずなのに、無理やり方言を突っ込んでくるせいだ。  でも、夏井先生と里穂さんは、特に気にするふうでもなかった。慈愛院の話が続いている。 「夏の旅行って、東京に行くとでしょ? 良一くん、見事に入れ違いになったね」 「はい、シスターたちと東京で会えたとに、残念です」  小学生のころ、八月に夏の旅行から帰ってきた良一は、見たことがないくらい、はしゃいでいた。  東京ドームに行って、デイゲームを観て、特別に選手たちと話をさせてもらったんだ、と。大きな科学館にも行ったよ、と。それから、人がたくさんいるスクランブル交差点を渡ってきたんだよ、と。  あしながおじさんみたいだと、あたしは思った。だって、慈愛院の子どもたち全員が毎年、東京に旅行に行けるのは、遠くに住むお金持ちが費用を出してくれるからだって聞いたんだ。  あの日、はしゃいでいた良一は、あたしの知らない世界のことを、目を輝かせて語った。 「夏の旅行のお金ば出してくれた社長さんの家に、みんなでお礼ば言いに行ったと。そしたら、たくさんごちそうば用意してパーティば開いてくれて、社長さんも優しか人で、もう、すごかった!」  そういえば、つい最近も、良一が慈愛院の夏の旅行の思い出を語るのを見かけた。雑誌のインタビュー記事だった。慈愛院出身であることは、売り出し中の高校生モデル、RYO-ICHIのアイデンティティだ。  小学生のころから、良一はきれいな顔をしていた。手足が長くて、髪がサラサラで、質素な身なりでも、パッと人目を惹く何かがあった。あたしも、子どもながらに、良一が特別に美しいことを感じていた。  だから、中学時代に「読者モデルを始めた」と良一から連絡が来たとき、あまり驚かなかった。良一の肩書から、やがて「読者」の字が消えた。この間はテレビにも出たらしい。  あたしはテレビを観ない。ただ、ウェブのニュースで良一の名前を見付けて、舌打ちしたい気分になった。  良一は輝いている。あたしとは雲泥の差だ。  あたしは、輝いてみたいと思う。輝ける価値なんてないとも思う。どっちにしたって、現状はただ、無意味にみじめにくすぶっている。  親とろくに口を利かなくなった。あたしの表情をうかがう親の笑顔を、愛想笑いのおべっかだと感じたりする。そんなふうにしか感じられない自分を、ますますイヤになったりもする。  中学時代はめちゃくちゃだった。高校に上がってからは、トラブルがあったわけでもないのに、あたしはもう笑ったりしゃべったりしない。だからといっていじめられもせず、孤高の人だと奇妙な尊敬すら集めてしまっている。  あたしはあたしが嫌い。あたしを取り巻く全部を巻き添えにするくらい、あたしが嫌いだ。  食卓でひとり黙りこくっているあたしの顔を、不意に、里穂さんがのぞき込んできた。 「結羽ちゃん、ギターば弾くとね。あれはアコースティックギター?」  良一が話の中心になっていればいいじゃないか。あたしはしゃべりたくないのに。でも、答えなければ。 「はい、アコギです」 「いつから弾けたと?」 「小学生のころです。真節小のころから」 「すごか。楽器ができるって、よかよね。ちっちゃいころはピアノも習っちょったとやろ? 結羽ちゃんのおかあさん、毎年、年賀状に結羽ちゃんの発表会の写真ば使いよったもんね」 「ピアノは、母の希望で習うことになったんです。母は、音楽の授業を教えるときのピアノに苦労してきたから、あたしには弾けるようになってほしかったって。小近島に引っ越すときにやめましたけど」  夏井先生が、くしゃっと笑った。 「結羽ちゃんのおとうさんが真節小、おかあさんが岡浦小におらしたとは、四年前までやったね。ぼくが受け持ちよる子どもたちの保護者さんたちは、結羽ちゃんのご両親のこと、けっこう知っちょらすと」  里穂さんが夏井先生をつつく。 「比べられるけん、大変よね。大樹、もっと頑張らんば」 「わかっちょって」  父はそのころ、真節小の教頭先生だった。  学校で何かあったらすぐに駆け付けられるように、校長先生か教頭先生か、どちらかは学校のそばに住まなければならない。当時の真節小は、うちの家族も、校長先生のご夫妻も、学校の隣に建つ教員住宅に住んでいた。  あたしは当然、真節小に通っていた。父が教頭先生を務める学校に。  家が小近島にあるから、大近島の岡浦小へ通勤する母の交通手段は船だった。小さな定期船が、朝夕、小近島と大近島をつないでいるんだ。  母の白い軽自動車は、岡浦小のある大近島のほうに置いていて、小近島の中での移動は、父が運転する軽トラだった。古びた軽トラのことを、クラシックカーと呼んでいた。そんなくだらない冗談で、あたしと両親はいつも笑い合っていた。  四年前、か。もっとずっと遠い昔のことみたいだ。自分じゃない誰かの物語みたいにも思える。  うっかりするとため息をついてしまうあたしとは裏腹に、良一は礼儀正しくて表情豊かで、食べ物ひとつひとつに喜んでみせている。 「ざまん、おいしかです」  大げさではないと思う。この魚の鮮度も、野菜の青くささも、島の食卓ならではのものだ。  島の郷土料理は何かと訊かれても、ろくに思い付かない。素材をいじくり回す必要がないくらい新鮮な魚介類と野菜。毎日の食卓に上がるのは、いつもそういうメニューだ。  郷土料理といえるのは、うどんの「地獄炊き」かな。  お湯がぐらぐら沸騰する鍋の中に、固めにゆでたうどんを泳がせておく。独特の形をした杓子(しゃくし)で、うどんをすくって食べる。手元のお椀には、アゴだしと醤油を合わせた熱いつゆと、そこに割り入れた鶏卵、刻んだ細ネギ。  地獄炊きはお手軽な料理だから、我が家の定番メニューだった。学校行事が忙しい時期の晩ごはんには、地獄炊き兼湯豆腐なんてのも多かった。  夏の通知表シーズンは、冷やしうどんも定番だった。庭の畑のシソの葉を獲ってきて薬味にする。ついでにキュウリやトマトやピーマンも獲ってきて、洗って刻んで、二年生の国語の教科書に載っていた「りっちゃんのドレッシング」で和える。  里穂さんが、また、あたしの顔をのぞき込んだ。 「結羽ちゃんのおかあさんからね、冷やしうどんとサラダ、ごちそうになったことがあるとよ。わたしたちが小学生のころ。校庭で遊びよったら、一緒にお昼ごはん食べようって誘ってくれて」  そうそう、と夏井先生がうなずいた。 「カレーもごちそうになったよ。小学生の舌には辛すぎたけど」  里穂さんが、ぐるっとあたしたちを見渡した。 「今夜はカレーでよか?」  あたしは別に何でもいい。黙ってうなずいた。夏井先生は、何でもいいと口に出して、里穂さんに頭をはたかれた。何でもいいっていう答えがいちばんむかつくんだって。  良一は模範解答をした。 「何かお手伝いしましょうか?」 「じゃあ、手伝ってもらおうかな? あ、良一くん、カロリーとか栄養とか、わたしはあんまり考えちょらんけど、大丈夫?」 「問題なかです。おれ、量も普通に食べるし、ビタミン類はサプリで補いよるけん、お菓子やジュースに注意するくらいで、特に神経質にならんでも大丈夫です」  良一の体は商売道具なんだ。チラッと見上げたら、笑顔の口元にホワイトニングされた歯がのぞいていた。  昼ごはんが済むと、夏井先生は、岡浦小に出勤していった。七月三十一日。子どもたちは夏休みでも、先生たちには規定の出勤日数がある。当直もある。授業がないうちに作成しておきたい文書や資料もある。  里穂さんが皿洗いをする間、きれいに拭き上げたテーブルの前で、あたしと良一はそれぞれのスマホを手に、別々の世界に入り込んでいる。と思ったら、良一が急に、小さな声を立てて笑い出した。 「斜め後ろ、頭らへんに視線感じない? ずーっと見ちょったとけど」 「全然。用があるなら、普通に声掛ければ?」  あたしの視界の隅で、良一は肩をすくめた。 「まあ、確かにね。結羽、教頭先生は、明日は来られんと?」 「来ないよ。平日じゃん。そうじゃなくても、お盆休みの期間でも、学校のそばから動けない」 「え、学校の先生って、そんなに忙しかと? 夏休みなのに」 「うちの父の場合、夏休みはないよ。普段の土日だって、校長先生が在宅のときじゃないと、遠出もできない。学校で何かあったときのためと、出勤する先生方がいる場合、鍵の管理をしないといけないから」 「そっか」  会話が途切れる。あたしはまた、スマホに視線を落とす。  hoodiekidの動画に、新着通知あり。ほんの今しがただ。lostmanからのコメントで、急に思い付いたんだけどさ、っていう提案。 〈lostman|普段と違う場所で歌ったりしないの? 景色のいい場所とか。天気いいときの海のそばなんて、似合いそうなロケーションだと思うけど〉  何をどう考えたら、あたしに海が似合うなんていう発想になるんだろう? hoodiekidとしてのあたしは、いつも暗い公園で、顔もろくに見せずに歌っている。海を歌った唄も、あるにはあるけれど、あれは真夏の明るい海の情景ではないし。 「ねえ、結羽」  良一があたしを呼んだ。そのイントネーションが、昔とは違う。「ゆ」が高くて「う」で下がる。それは標準語のイントネーションだ。島の言葉なら「う」が高くなる。 「結羽、最近は何ばしよっと? 部活とか入っちょらんと?」  昔のイントネーションで「結羽」と呼べないくせに、言葉尻だけは方言のふりをする。良一の話し方に、あたしはそろそろ限界だ。 「無理して方言しゃべるの、やめなよ。わざとらしい」  ヒュッと、良一が息を吸い込んだ。吐き出されたのは、疲れたような笑いだった。 「やっぱり無理があったかな」 「音程が外れてるみたいに感じる。自分でもわかってんでしょ?」 「ごめん。でも、相変わらず、結羽は完璧な標準語をしゃべるね。本土だって、なまりはあるんだろ?」  良一の言葉が、やっと、なめらかに耳に入るようになった。あたしは横目で良一を見た。 「あるよ。でも、それには染まらない。あたしは、音感はいいつもりだし、国語も得意。話す言葉はコントロールできる。標準語でいるほうが、どこにでも行ける」 「それ、昔も言ってたよな。すごいなって思った」 「別に、あたしにとっては普通」  大ざっぱに「島の方言」とひとくくりにしても、別の島に行けば、イントネーションが違う。語彙が違うこともある。  例えば、遊びのチーム分けをするための「うらおもて」は、島ごとに、まるで違った。 「うーららおーもーて」 「うーらおーもてっ」 「白黒じゃんけんぽん」 「てんがらわいの、わし」  一つの島に染まれば、次の島に渡ったときに困る。幼いころにそれを感じ取って、以来、あたしは標準語で話している。あたしはどの土地にも染まらない。  良一が改めてあたしに質問した。 「結羽は部活とかしてないの? ギターは趣味?」 「部活はしてない。塾も行ってないし、ピアノも再開しなかった。ギターは、趣味なんかじゃない。もっと本気でやってる」 「ごめんごめん。ギター、続けてたんだよな。聴けるの、嬉しいよ。なつかしくて。もちろん、すごいうまくなってるけど」  ギターは五年生のころ、担任の先生に教わった。  真節小の音楽室に、古いけれど上等なギターがあって、小近島を挙げての学習発表会の合奏で、あたしがギターを弾くことになった。良一や明日実じゃなく、あたしがギターを任されたのは、手の大きさのためだった。当時、あたしがいちばん体が大きかった。  皿洗いを終えた里穂さんが台所から戻ってきた。 「二人とも、買い物ば手伝ってくれん?」  疑問形だけど、イエス以外の返事を予想してない口調だった。  いいですよ、と言ったら、良一と声が重なってハモった。声をわざと低くしてしゃべるあたしより、良一の声のほうが低かった。良一はあたしのほうを向いて笑って、あたしは良一から目をそらした。  家を出るとき、里穂さんは扇風機のスイッチを切っただけで、ろくに戸締りをしなかった。島ではたいてい、そんな感じだ。  白い軽自動車の後部座席に、あたしと良一は並んで乗った。良一は、スキニージーンズの長い脚を、きゅうくつそうに折り曲げている。  車が走り出す。里穂さんは、鼻歌交じりでCDをコンポにセットした。弱虫と反撃の名を持つロックバンドの、今月リリースされたばかりのアルバムだ。本土みたいに便利なお店のない島では、ネット通販が強い味方だ。おかげで、新譜も確実に手に入る。  良一は、Bマイナーのシリアスな響きが印象的な歌い出しに小声で乗っかると、嬉しそうに、くしゃっと笑った。 「里穂さんも、このバンド、好きなんですか?」 「うん。聴き始めたとは、割と最近けどね。実はね、結羽ちゃんのおかあさんに勧められたとよ」  バックミラー越しに、里穂さんがあたしに笑い掛けた。あたしは、そうですか、と口の中でつぶやいた。  母がロックを聴くのは、あたしの影響だ。いや、あたしを偵察するためだと、一時期、あたしは感じていた。母がうとましかった。あたしの好きな音楽、小説、漫画。母は血まなこになって、あたしを知ろうとしていた。あたしに近付こうとしていた。  良一は無邪気そうに言った。 「おれも、実は、結羽がきっかけです。結羽、このバンド、好きって言ってただろ? 聴いてみたら、おれもハマった」  そんな話、したことあったっけ? あたしが音楽を聴き始めたのは、小近島を離れて中学に入って、学校がつまらなくて、持て余したエネルギーの行き先を、音楽にぶつけるようになってからだ。  毎日が楽しくないなんてことを言いたくなくて、あたしは良一たちと連絡を取らなくなっていった。好きなバンドの話って……hoodiekidの動画でたまに触れる程度だ。テロップにチラッと入れて、そこにコメントをもらったりして。  横目で見やれば、良一の整った横顔がある。広めの額。眉間の下のなだらかなくぼみと、そこからスッと細く通った鼻筋。濃く長いまつげは伏せ気味に生えて、頬に影を落としている。  小学生のころの幼かった良一と、モデルとして写真の中に収まっている良一と、隣に座っている生身の良一。同じ人物だとわかっているのに、全然違って見えてしまう。  時の流れっていうのは、そういうことだ。変わらないものなんてないってこと。
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