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春の虹 ~重なる月・2~
扉を開けると、16歳で家を出た当時と何も変わらない空気が流れていた。 あぁ……ここは懐かしい俺の部屋だ。
****
「父上……どうしてこんなにも急ぎ足で逝かれてしまったのですか。いつもあなたを喜ばせたくて、父のために生きてきた俺の元から永遠に去ってしまわれた。 俺はこの後どうやって生きていけばいいのか、分かりません」
まだ16歳の俺は、部屋にうずくまり嗚咽した。
父の棺を守り流れるように過ごして来たが、悲しみは募るばかりで、 ほとんど食べ物を口に出来ず日に日にやせ細ってしまった。
あれは、父の臨終を看取ってから49日が過ぎたある朝のことだった。庭に咲き乱れる花の強い香りに誘われ部屋から出ると、 父の友人だった高赤軍の隊長が静かに立っていた。
すがるものが欲しかった、
父の影を追い求めていた俺には、高赤軍の隊長について行き、国と民を守る武士になることが唯一の輝かしい夢のように思えたのだ。
そう俺の部屋で決意し、この俺の部屋と決別したのだ。
あの日あの朝ここを発って、今やっと俺はこの部屋に戻ってきたのだ。
── 少年時代の清らかな心も躰も、何もかも失って ──
****
和やかに食事をした後、ヨウはこのまま客人が泊まることを使用人に告げ、皆を奥へ下がらせた。これで広い屋敷のヨウの部屋にふたりきりだ。
「ジョウ、お前に見せたいものがある」
「何だ?」
棚の扉を開け、ヨウは大事そうに古びた手鏡を差し出した。
「これはこの部屋に、あの日残してきた母上の唯一の形見だ。」
「俺は幼い頃……辛いことがあると、この鏡に月を映して母を想ったものだ」
寂しそうな笑顔を浮かべ、ヨウは窓辺に鏡を差出し、月を映そうとした。ところが生憎の雨で月は出ていなかった。更に鏡も錆びてしまって、ほとんど何も映さない状態になっていた。
「そうか……もう会えぬのだな」
ヨウの肩が細かく震え出すと、鏡もまるで泣いているように揺れた。見ていられないよ。君のそんな姿……私はその鏡の上に、月のように静かに輝く指輪を置いてやった。
「月が映らなくても月が出ていなくても、私がヨウの月として、ずっと傍にいてやるからもう泣くな」
ヨウの震える手を優しく包み込んでやると、ヨウはその手に己の手を重ねた。
「あぁやはり温かいな。俺はお前の手が好きだ。心が落ち着くんだ。どうか今宵はこの手で俺の全てを包んで欲しい。……駄目か」
思わず、聞き返した。
「そっそれは……ここでヨウを抱いていいという意味か」
「ああそうだ。お前に抱かれたい。 この俺の部屋で、今宵、今すぐに……」
「いいのか。本当に」
恥ずかしそうに頷くヨウの華奢な首に、月輪の革紐をかけてやった。続いて自分の首にも片割れの月輪をかけ ヨウを引き寄せ、そっと抱きしめた。
その時……二つの指輪がぶつかる音がした。
それは共寝を始める合図のように、厳かに響いた。
今、重なる二つの月。
まるで夜空に浮かぶ月のように、二人の胸を白く暖かく灯した。
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