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ジャノルがケリャ王の妻となることが決まったのは、彼が六歳になった時のことだった。それから二年後には婚約が結ばれ、十歳を数える頃には二人とも夫婦となることを認識した。
まだ小さな三角耳をぱたぱたとはためかせて、新しい友人が出来た喜びに嬉しそうな笑顔を見せる彼をいざない、庭で遊んでいた。
お互いに、いずれは夫婦となることを、理解さえできていなかったころの思い出だ。
それを、突然、ケリャ王は酷く鮮やかに思い出していた。
(……思い出すほどに、可愛いな)
だとすれば、ジャノルが産む子は、どれほどかわいいだろう。
獣人の子は、夫婦どちらか片方の種族で生まれてくる。混じり物になることは稀であり、それはむしろ、新しき種族の誕生として喜ばれるほどだ。
種族数の多い猫族との結婚を反対する声も無くはなかったが、王家としては国の安定のためにも、ジャノルはまたとない相手だった。
(そのことを今になって感謝するとは……)
寝台へジャノルを降ろすと、侍従たちがてきぱきと寝台の帳を降ろし、そこは二人きりの部屋となる。
「陛下、お一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「うん?」
「……ミリュア姫のことは、どうなさるおつもりでいらっしゃいますか」
問いかけられ、ケリャ王は、生まれて初めて答えをはぐらかしたいと思った。
答えられないのではない。そんなことを答えるよりも早く、愛しい妻の唇を塞いで、そのまろやかな肢体を愛したかった。
(そんなこと、と考えている時点で、結論は明白か……)
自嘲気味に笑うと、ジャノルが戸惑ったように眉根を寄せる。それを見て、慌ててケリャ王は答えを返した。
「姫には、穏便に国へ帰っていただこう。妃として迎える利と、王宮へ彼女を入れた後の面倒事を天秤にかけても、後者が重すぎる」
「……つがいなのに?」
そう問われて、ケリャ王ははたと思い当たる。
「……もしや、お前はつがいを知っているのか?」
可能性としてもゼロではない、そう思っただけの問いかけだが、ジャノルにはそうは聞こえなかったのだろう。それまで愛撫にとろけていた顔が、さあっと青ざめて、気の毒なほどだった。
「っ、いえ、いいえ。陛下。決してそのようなことはありませぬ、そんな、そんなことは……」
「疑ったわけではない。もし知っていて、苦しんでも、それでもこうして今、我と共に褥にいてくれるのであれば……それでよい」
優しく頬を撫でて、なだめるように額へ口づけると、ジャノルの目に薄く涙が膜を作るのが見えた。今までずっと顔を合わせてきて、こうした表情だって知っていたはずなのに、見ていたはずなのに、何もかもが愛しくてケリャ王の下腹がかっと燃え上がる。
背筋まで溶かすような熱を移すように、彼はその背をかき抱いた。
知っていたはずの体は、小さく、細く、このまま抱くのが恐ろしくなるほどだった。
(知っていたはずだった、抱いてきたはずだった……いや、我はそれだけだったのだ)
王妃として、隣に立つ妻として、かけがえのない人だとは思っていた。
しかし今、初めてケリャ王は、ジャノルそのものがかけがえのない人なのだと、はっきりと自覚した。
「我が王妃、ジャノル。お前を妃に迎えたこと、本当に……幸せに思う」
優しく囁かれて、ジャノルの目にほろりと涙が落ちた。
その涙を裏切ってはならぬと、ケリャ王は思う。
「ただ。一ついうなれば、ミリュア姫のことを愛しく思うのは本心だ」
「つがいはそういうものと、聞き及んでおります」
「だがそれは、まるで、妹が新しくできたかのような気持ちなのだ。守るべき家族がもう一人いる、そんな気持ちだ……お前に向ける愛しさとは、全く違う。お前に向ける愛しさは、この額の角のようなものだろう」
ケリャ王の額の角は、一角獣族らしく、右巻きにねじれながら額より手のひら一つ分ほどの長さを持つ。無論、不用意に誰かと額を合わせれば、相手を傷つけかねないほどの鋭さを持っている。
「今、愛しいと思う気持ちが、まるでお前を食い破らんとしているかのように、荒れ狂ったものなのだ……我はそれが、ミリュア姫に向けている気持ちと同じなどと、到底思えない」
「では……」
「つがいとして迎え入れ、子を作る目的が今の我にはないし、この国にもない」
そう言われて、ジャノルがくるりと王の腕の中で身を翻す。背を向けた彼は、寝台の枕元にある見事な彫刻へ手をかけて、銀に光る沙羅地の夜着を脱ぎ捨てた。
薄褐色の肌がさらけだされ、子を孕むためにまろやかになった体が、すらりと膝立ちになる。
ケリャ王の目が、嬉しそうに細められた。
「だがお前であれば、話は別だ。我が妃よ、子を産んでくれるか」
「はい」
頷いたジャノルの背後に、王の体が、ゆっくりと覆いかぶさった。
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