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衣装を整えたケリャ王は腰かけ、
「お待たせいたしました」
と、言えば、ラノルが笑う。
「待っていないさ。可愛い弟と話せたし……ふふふ。お前、やっぱりつがいを得て変わったな」
「……それは」
ラノルが姿勢を正し、気配を切り替えた。
「今までは、まさしく博愛主義。父上が仕えた先代王のように、一角獣族ならではの気配だった。しかし、今は違う。俺を前に焦っておられる」
「っ……!」
「我が弟、ジャノルが王妃となることが決まったのは、あれが六歳の時のこと」
目を細めた彼は、在りし日を思い出すように、古風な口調で話しはじめる。
「それ以来、あれは我が一族においての至宝となり、国における秘宝となった。何故だかご理解いただけるか、我らが王よ、アバールの一角王よ」
敵となれば、ケリャ王は呼吸2つ分も持たないだろう。そう思えるだけの体躯を持つラノルの紅白の目が、じっと、ケリャ王の青き目を見つめている。
はたり、はたりと室内のカーテンが揺れるのは、彼の気配ゆえかと思うほどだった。
「それは、あれがあなたに魅入られたがためだ」
「魅入られた……」
「あなたを好いた、それきりの理由だ。政治よりなにより、我が父はそれを持って、あれをあなたの妃に推した」
ケリャ王の目が、大きく見開かれた。
その顔つきの変わりようには触れず、ラノルは話を続ける。
「多くの王妃は王妃となるべく勉学と研鑽にいそしみ、前代王妃の全てを引き継ぎ、その生涯を王家のために捧げる無知に育つ。だが、ジャノルはそうではなかった。あの子が全てを捧げたのは、あなただ。だから父は一層に、あなたの王妃にと推したのだ。王家ではなく、あなたのために生きられるから、と」
末の弟とまともに暮らした期間は、わずかに五年だった。でもその五年のうちに、長兄であったラノルと、次兄のカラノルは、誰かを守りたいと思えるようになれたのだ。自分はもちろん、ラノルから見て弟であるカラノルは、特にそうだったろう。
弟が居なければ、兄は存在しえないのだから。
(お前の恋路を応援するためだけに、この部屋に残り、王に声をかけることができればどれほどよかったか……)
青い目に衝撃と動揺を移すケリャ王に、ラノルはあえて、厳しい眼差しを崩さなかった。
「あなたに全てを捧げたから、ジャノルはあなたに家臣としての礼儀を崩さなかった。しかし……あなたはつがいを得て、あの子を王妃ではなく、ジャノルという個を愛していることに気づいてしまった。それはあの子にとって幸いだが、国にとっては不運でしかない」
ケリャ王が息をのむのが、はっきりと分かった。
「もし、ジャノルが人質とされたら。もし、ジャノルが交渉の条件となったら。もし、国が焼かれれば。いずれ、オヴァール家が国のために、民のために、そして他国のために牙をむく日が来たとしたら。……そして、いつか、ジャノルが死ぬ日が来たのなら」
ラノルの言葉は、止まらない。
「ケリャ王。あなたは最愛を失い、国は王の平穏という何よりの幸いを失うことになる。それがどれほど、アバールという国にとって不幸な出来事か、あなたであれば分かるだろう」
二又の尾が、空しく揺れる。ケリャ王はしばらく動きを止めていたが、ややあって、ラノルの目を今一度見つめた。薄い唇がゆっくりと開き、言葉を落とす。
「私は、誤っただろうか」
「いいや」
「私は、正しかったろうか」
「全く」
「私は、今この時も、アバールの王だろうか」
「その通りだ。だが」
にやり、と、ラノルが笑う。
「今夜、ミリュア姫が我らの手中にあり、ジャノルはお前の変貌に戸惑う今夜なら、お前は。ただのケリャ・メ・アバールとして、あいつと向き合えるだろう。たとえどんな痛みを伴おうとも、それが最後の機会だと思えよ、一角王」
立ち上がるラノルは、足取り軽やかに部屋を出ていく。
ケリャ王は一人それを見送った。
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