王妃の困惑

1/1
1270人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ

王妃の困惑

 夜も深け、アバールの王と王妃は寝台にいた。  夫婦は床を共にすることも多く、寝るまでのささやかな楽しみとして、会話をすることも珍しくない。しかし、だ。 (つがいが見つかったのに、どうして?)  折角、稀なるつがいが見つかったというに、浮かれた様子さえないケリャ王は、常の通り寝酒を嗜んでいる。 「陛下」 「どうした?」  一角獣族は、金糸のような髪に青か緑の目を持つのが一般的だ。美しい角の奥、輝く青の目は静かに凪いでいて、焦燥感は全く見えない。  いつもと同じように寝室に来たことを、喜んでいいのか、つがいのことを話しに出すべきか、ジャノルにはすぐには判断がつかなかった。 (いや、陛下のことだ。対外的な目的で、私の元にいつものように通ってきただけなのではないか?)  常に理性的であることを己に強いてきたジャノルは、今日の『つがいが見つかった』というあの騒ぎの中ですら、いつも通りの仄かな笑みを絶やすことなく王の妻として仕事を果たしていた、と思っている。  またケリャ王も、同様に王として振舞っていたはずだ。 (ダメだ、考えがまとまらない……)  不思議そうにこちらを見るケリャ王に、ジャノルはようやく、言葉をねじ出した。 「……今日の寝酒は、珍しいものと耳にしました」 「ああ。そうだな、どうだ、一杯」  掲げられたのは、フェマルより持ち込まれた酒である。  おもわず、賜った酒を1度にあおると、確かにそれは酸味があり、この国にはなかなかない味わいだった。  最終的にケリャ王は、フェマルの姫にある程度の接近こそ許したが、城の滞在を延ばすようなこともせず、予定通りに帰国するよう通達している。せっかくのつがいだと、進言する者は何人もいたが、王は結局『吟味しておる』と答えるばかりで、話はまとまらなかったようだ。  それは、フェマル側にはよほど驚きだったらしい。 (私も驚いたのは同じだ……)  ケリャ王は、本当に良いのかとしつこく食い下がられたものの、ジャノルの生家のことを引き合いに出し、しぶしぶ引き下がってもらったようだ。ジャノルが取り乱さずにいたのも、フェマル側には衝撃だったのだろう。  そのことを頭で分かっていても、つがいのことに何も触れないケリャ王に、ジャノルは処理できない感情を持て余していた。 (陛下は、どうして……?)  姫の方へ言ってくれた方がよかったのかと言われると、素直に頷けない自分がいるだけに、ますますジャノルの気持ちはモヤモヤと蠢いた。  と、その時だ。 「……陛下、ど、どうされました?」 「ん?」  ケリャ王の手が、ジャノルの頭を撫ではじめた。 「王妃、手を」  言われるままに右手を差し出すと、ケリャ王は「違う」と言って反対の左手を握る。そして薬指のあたりを、そっとなぞった。くすぐったくてジャノルが耳を垂れさせると、灰銀に赤褐色の混ざる不思議な色合いの、酷く手触りの良い猫毛をケリャ王が一層に優しくなでた。  少々の沈黙の後、ジャノルの耳の薄いところが勢いよく朱色に染まった。 (……あ、愛撫、というやつか?)  それは見たことも、されたこともない、ケリャ王の仕草だった。床で子作りに励む際でさえ、ケリャ王は義務に義務を重ねたような振る舞いをする。 それにあわせて、王のためにあらんとするジャノルは『仕える者』としての姿勢を崩したことがない。その心持が崩れるほどの衝撃だった。 「……ジャノル」  珍しく名を呼びながら、ケリャ王は幾度となく触れた猫毛を自分から撫でた。形の良い三角の耳の毛を親指の腹でなでつけ、労わるように頭を撫でる。 (ど、どうしよう。顔が、熱い……)  困惑するジャノルの頬が、ぽぽぽ、と赤く染まっていく。  それを見て、 「こういう撫で方の方が、好みか?」  と、ケリャ王がどこか嬉しそうに呟いた。  嫌いではない、と、言おうとして、ジャノルの口が滑った。 「……こういう触れ方も、していただけるのですね」 「は?」  妙な発言をした。ジャノルは自分の顔が凍り付き、浮かんでいた微笑が消えるのを感じた。余裕のない姿を王の前に見せるのは初めてで、ケリャ王がどう思うか恐ろしく、顔を伏せてあげることが出来ない。珍しく口にした寝酒がよほど、効いているのだろうか。 「すまない。こういう触れ合いは、お前は苦手なのではないかと思っていた。……嫌ではないのだな?」  優しく言われて、ジャノルは恐る恐る王の顔を見上げる。  そこには、柔和な微笑みがあった。  ぱちくりと瞬きをしながら、ジャノルは小さな声で言う。 「……はい。今夜が、その。最後になってもおかしくないと、そう思ったので……」 「最後になるなど……馬鹿なことを」  そう答えた彼の腰を、ケリャ王はそっと引き寄せた。  ジャノルは、三男である。ミリュア姫があのように甘え上手な末っ子であるのに対し、彼は反対に甘えないことで周囲を立ててきた子であった。 「……愛いな、お前は」  思わず零れたらしい言葉と共に、ケリャ王は三角耳を愛でながら何度も頭を撫でまわす。ジャノルは真っ赤に火照った顔を隠すため、俯くことしかできない。 (王は、どうなさったのだ? こんな言葉、かけられたことがない……)  混乱するジャノルの様子を、ケリャ王は酷く、愛し気なまなざしで見つめていたのであった。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!