言の葉

1/1
前へ
/1ページ
次へ

言の葉

「会いたい」 そう書いた便箋を封筒に入れた。 いつもの、彼への手紙だ。 ただ、封筒の宛名は真っ白のまま、何も書かずに封をする。 私は、その手紙を持って寝室に向かう。 ベット横に置いてあるサイドボードの引き出しを開け、その中に手紙を入れた。 そう。この手紙は書くだけだ。投函することはない。 彼に届くことも読まれる事もない。 だって、彼はもうこの世にいないのだから。 彼がこの世を去った。 彼がいない。 私の平凡な日常で変わったのはそれだけ。 それなのに、電話の着信もないメールを受信することも無くなって静かな毎日。 今までは何でもない事に笑って、一日を過ごすことが楽しいと思っていたのに・・・。私の周りは静寂が包み込んでいた。 付き合い始めて、彼には今日起こった些細な出来事や、デートの待ち合わせ、たまには仕事のグチも言った。 彼氏という響きにも甘えて、彼に連絡することは楽しくて仕方がなかった。 でも、もう彼はこの世にいない。 ある日、寂しさから私は引き出しの中にあった便箋を取りだした。 彼に手紙を書こうと思ったのだ。便箋に「あなたに会いたいです」「死にたい」「そばに行きたい」と苦しい想いを書き連ねた。 書き終わった便箋は封筒に入れた。 手紙として文字を書いたけど、出せるわけがない。投函しても届く訳がないのだ。 私は、ただ自分の想いを文字にしたかっただけ。 出すことが出来ない手紙は、どこかに置いておこうと思った。 私は、封筒に入れた手紙を持って寝室へ向かった。ベット横のサイドボードに使っていない引き出しがあったからだ。 そこに彼への手紙を入れた。 それが、亡くなった彼へ書いた、最初の手紙だった。 それからの私は、出せない手紙を何通も書いた。 文面はいつも「会いたい。」「会いに行きたい。」「どうしてあなたが死んでしまったの。」と、彼への募る思いばかりだった。 もう何通書いただろうか? ある日、手紙にこう書いた。 「あなたの事は忘れません。もちろん忘れることは出来ません。でも今日からは、あなたの事を想いながらも、前を向いて私ひとりで生きていきます」と。 募る思いを書くのを止める決心の言葉。 そう書いた手紙を持って、いつものように寝室へ向かおうとした。 でも、何かがいつもと違うと思った。 握りしめた封筒が、なぜか熱を持っているような感覚がしたのだ。 不思議に思い、封筒を開け便箋を取り出すとテーブルに広げてみた。 書き終えたままの状態で、便箋に変わったところはないようだった。 でも、だんだんと便箋が熱くなっていく感じがあった。 そのまま便箋を眺めていると、さらに不思議な事が起こり始めた。 私が書いた手書きの文字が”一文字一文字・・・”と、浮かんできたのだ。 便箋から剥がれるように、ゆっくりゆっくり浮かんできた。 そして「生きていきます」と書いた文面の全ての文字が浮かぶと、文字達は少し上昇した。 そのまま音もなく、でも燃えるように一瞬で消えてなくなった。 テーブルに広げた便箋は、文字がすべて消えて真っ白になっていた。 私は何が起こっているのか分からず、白紙になった便箋を見つめていた。 ただただ呆然と部屋の中央に立ち尽くしていた。 すると、前触れもなく花瓶に挿した一輪のヒマワリが揺れた。 風もない部屋の中で揺れたのだ。 ”彼だ”と思った。 彼が私の手紙を読みに来てくれたのだと、私は感じた。 きっと、いつも書いている「会いたい」という願いは、まだ叶える事は出来ないけど「生きていくのなら応援する」という答えなんじゃないかと思った。 私の決意を、彼が応援しているんだと思った。 それからの私の手紙は、今日の出来事や目標などを書いた。 「会いたい」と言う言葉は書かなかった。 些細なことでも、なんでも彼に伝えたくて、付き合っていた頃にメールを送っていたように、毎日毎日書き続けた。 そして私の手紙は、どんなに他愛もない言葉でも些細な出来事でも、いつも文字が浮かんで、燃えるように消えていった。 そういえば、何通の手紙を書いたんだろう? そういえば、あれから何年経ったんだろう? 私は再び、あの言葉を書いた。 「あなたに会いたいです。まだ迎えに来てはくれないのですか?」と。 文字が浮かぶ事はないだろうと思っていた。 最初に書いたあの時から、その言葉は一度も消えた事はないのだから。 でも、今日は違った。 いつものように、テーブルに置いたままの便箋が熱を帯び始めたのだ。 驚いた。 一文字、一文字。 浮かび上がってきた。 文字達はすべてが便箋から浮かぶと、揃って少しだけ上昇し静かに燃えるように消えた。 私は文字達の消えた方向に向かって言った。「ありがとう」 でも、今日はこれで終わりではなかった。 今度は私自身が熱を帯び始めたのだ。 そして体が軽くなり、足が床を離れた。 浮かんだのだ。 ふわふわと漂いながら少し上昇すると、私の身体を誰かが抱きしめる感覚を感じた。 私の頬を一筋の涙が伝った。 「待たせたな。」 懐かしい声、忘れる事のない声。 私は目を閉じた。 浮いていた私の体は、音もなく静かに消えた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加