思い出の食事

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思い出の食事

 天野はローストビーフの皿を持って厨房を出る。部屋の真ん中にある客席のテーブルには真っ白いクロスがかけられており、その真ん中には花器に飾られたバラの花が鮮やかに咲き誇っていた。その席に座っているのは真っ黒く日焼けした男性。今日のために新調したのか、こぎれいなブルーのワイシャツに赤いネクタイをつけていた。 「山形様、でよろしいですか?」 「はい」 「シェフの天野と申します。ご注文のローストビーフでございます」  天野はそう告げてテーブルに皿を置き、深く一礼をする。山形がドームカバーを開けると、閉じ込められていたローストビーフの香りがふんわりと浮かんできた。早速山形はフォークとナイフを手に取り、口へと運んだ。 「これは……」  そう漏らした山形は、満面の笑みを浮かべながら天野の方を振り向いた。 「22年前と、全く同じ味だよ」  とても穏やかなその顔は、何かを達観したような面持ちだ。 「はっきりと覚えてらっしゃるんですね」  天野がそう問いかけると、山形は深く頷いた。 「このローストビーフを食べた後に当時の恋人、今の家内に指輪を渡したもんでね。あのときは緊張したよ」  山形は遠い目で天井を眺めた。シャンデリアが優しい光を放ちながら部屋を照らしている。山形はフォークで付け合わせのマッシュポテトにソースを絡め、口へと運ぶ。山形はそっと目を閉じた。じゃがいものまろやかな甘みが口に広がったのだろうか。 「こうやってこのレストランに食事に来ることも、30代でリストラに遭ってからというもの、ほとんど無かったなぁ」 「リストラ……ですか」 「ああ。当時勤めていた会社が傾いてしまってね。でも30代で正社員の仕事はどうしても見つからなくてな。何社か派遣会社を変えながらこの歳まで工場の派遣一本だよ。家内もこんな私について来て、よく頑張ってくれたものだ」  くたびれた山形の右手を見つめながら、天野は口をつぐんだ。山形は最後の一切れを口に運ぶと、何かを惜しむような表情を見せつつ、フォークとナイフを皿に置いた。
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