悟りとは

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悟りとは

仏教の話を持ち出すと直ぐに悟りとは何なんですかと誰もが問い、仏教の話が始まるのですが信仰している人でさえその境地にたどり着くには何回も生まれ変わらなければならないと本の中には書かれております!それでも悟りとはなんぞやと誰もが聞いて来るのです、訳も分からず科学を主体とする教育を受けている私達は梵我一如やらアートマンやらブラフマンやら車輪を回す存在の解説をはじめるのが学者やら知識人のやらかす所であります!まぁ一般方達は悟りとは欲の無い状態と認識されているのではなかろうか、欲が無くて生きて行けるのかハナハナ疑問が出てくるのですが日常会話の中ではそれで通って居るようです、もう少し仏教に詳しい方に尋ねると執着の無い状態、いや少ない状態と言う所までは理解されて居るようであります。もう少し詳しい方は六識更に阿頼耶識なんて言葉が口から出てくる様になります、この部分は現代心理学でも触れているので仏教の話をしている内に心理学の話で説明されて大部分人は納得するのであります、医学の知識のある人はアルファ波、ベータ波、θ波なんて事を言い始めます、もうこの辺に来るとお互いに悟りの境地なんて何回も生まれ変わり漸くたどり着く世界に着いての質問は忘れてしまって仏教の話は終わって本当は学校で習った科学的知識に翻訳されて満足してしまうのが常であります。本当に詳しそうな方達は自他のない世界、存在そのものの世界などとどう言う事なのかその説明の説明を聞かないと分からない状態にまで話が進んで参ります、この辺りは学者でもあやふやな領域ですのでお互いの悟りの話は直ぐに尽きてしまうのです。私もこの辺りには長年関心があり、法華経こそが悟りの境地を現した本であると思う所であります、そこに描かれて居ることは比喩ではないと言う事です。興味のある方はこの理解し難い世界を覗いて観るのも良いでしょう。
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