第一話

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第一話

「早くしろ! 絶対に遅れる訳にはいかないんだぞ!」  村は百年に一度訪れる重要な日……魔王に忠誠を誓い、平和を得る為の供物を届ける準備に追われ、朝から活気に満ちていた。  用意された五台の牛車には穀物や反物が次々と運び込まれ、山のように積み上げられていく。  そしてその傍らには十四歳の誕生日を迎えたばかりの一人の少女の姿があった。  薬草を溶かした湯で全身を清められ、真っ白な衣装を身に纏った少女に村長が近づく。 「分からないかも知れんが、お前の命はこれから魔王様に捧げられるのだ」  覚悟が出来ているのであろうか、少女は表情を変えないまま静かに目を伏せている。 「捨て子だったお前を育ててやった恩は返してもらわねばな……お前はこの日の為に生かされて来たのだから村の役に立ってもらわないと困る、くれぐれも魔王様の機嫌を損ねるような事は無い様に気を付けるのだぞ」  少女はゆっくりと顔を上げ村長を見つめるが、返事をする事もなくそのまま最後尾の牛車に乗せられた。  そのあと村長は振り返ると五人の若者を呼びつけた。 「ワシにはもう魔王様の城まで行く体力がない……お前たち若い者にだけ任せるのは心苦しいが頼んだぞ」 「任せてください村長! 俺達が必ず村の願いを魔王様に聞き入れて貰ってきます! よし、出発するぞ!」  村長の代理となる若者五人と生贄の少女を乗せた牛車はゆっくりと森の方角へと進み始める。  牛車は想像以上に揺れ、お世辞にも乗り心地が良いものだとは言えなかったが、誰一人として少女に気づかいの言葉を掛ける事はなく、心配する様子も伺えない。  少女もそんな扱いを受ける事が当然だと思っているのか、城に着くまでの間ずっと口を開く事はなかった。  長い道のりを進んできた一行の前に立ちはだかる古城……。  その扉はまるで彼らが訪れるのを知っていたかのように次々と開いていき、奥へ奥へと導く。  門を通り過ぎてからどれほどの時間が過ぎたのだろうか、一行はようやく魔王らしき人物が鎮座する広間へと到着した。 「お初にお目に掛かります……こ、この度は森の南にある村から参りました……村長は高齢の為長旅に耐える事が出来ず、わ、わたくしが代理を務めさせて頂くことになりました……」  怯える村人などには興味が無いのか、魔王は無言のまま見下ろしている。 「ほ、本日は魔王様にわたくし共の村で獲れた穀物と特産品である反物……それと贄を捧げたく思っております、どうかこれで村に豊作の恵みと平和をお与えください」    若者はなんとか魔王に気に入られようと、供物がどれほど素晴らしい物なのか、少女がどれほど素晴らしい贄なのかを必死に話し始めた。 「こちらの贄は魔王様に捧げるこの日の為に、一切の穢れを受けぬよう大切に育ててまいりました、幼き頃より外の世界との関りを絶ち、世話をする女性以外には触れさせる事も、肌を見せる事も禁じてまいりました」 「不愉快だ……」  魔王は若者の話を遮るようにつぶやいた。  それはとても小さな声だったが、その表情からは明らかに怒りの感情が読み取れる。  たった一言だが、若者は死の恐怖に包まれた。 「わわわ、わたくし共に何か手違いがございましたでしょうか?」  声に乗せられた魔力は微量ながらも、じわりじわりと若者を苦しめる。 「今までも何度か俺の所に生贄を連れて来た奴は居た……だが奴らは皆、心の中で涙を流していた……村の為だと……仕方のない事なのだと自分に言い聞かせながら何度も何度も心の中で生贄の娘に謝っていた……なのに貴様らはなんだ……」  若者は鼻や口から血を流し始めたが、魔王の怒りは更に増し、徐々に声が大きくなっていく。 「この者を大切に育てて来ただと? 嘘を言うな! 俺には貴様らの心が読めるのだ! 貴様らは部屋に入った時からずっと命乞いや媚びた言葉ばかりを考えて、誰一人としてこの者に対し、謝罪の言葉も感謝の言葉も考えていないではないか!」  若者たちは五人全員が泡を吹き、そのまま気を失ってしまった。  その姿を見た魔王は怒りを鎮め少女の方へと顔を向ける。 (この者には可哀そうな事をした……怒りに我を忘れたとは言え巻き添えにしてしまうとは……俺の声を聞いたからにはもう正気ではいられまい……)  魔王は玉座から立ち上がり少女の傍へと歩み寄ったが、その時ある不可解な事に気が付く。 (まさか……この者は意識を失ってはいないのか?)  若者の全員が血や泡を吹いて倒れている現状で、それは到底考えられる事ではなかった。  だが、少女は地面に伏したまま僅かではあるが震えている。  しかもそれだけではなく、時折うつむいたまま涙を拭う様子さえ伺える……これは明らかに意識を保っている証である。  今まで経験したことがない、あり得ない事が目の前で起きている……。  理解する事が出来ない魔王は一つの疑念を抱き、少女の心を覗き見た。 (俺の考えている事が正しければ、何か確証たる言葉を思い浮かべている筈……)  しかし少女の心には命乞いや諦めと言った感情の言葉だけではなく、些細な事を考える時に思い描く言葉さえ一切なかった。 (ば、ばかな……この俺が心を読む事が出来ないとは……)  魔王の声を聞いても意識を失う事がなく、心を読ませる事もない……。  この事から魔王は一つの答えを導き出した。 (まさか、この者が新たな勇者だと言うのか……信じられん)  見下ろす少女からは僅かな殺気も感じられない。  しかし、この行動が魔王を油断させるための演技なのだとも考えにくい。  勇者の資質がありながら本人が気が付いていないだけなのか、あるいは不幸な環境で育ったために勇者の力が育っていないのか……。 「おい……お前は何者なんだ、顔を見せてみろ」  魔王は出来る限り魔力を漏らさないように、小さな声で静かに問いかける。  しかし少女は震えたまま顔を上げようとはしなかった。 「顔を見せろと言うのが分からないのか」  魔王は少女の顎に指を掛け、強制的に顔を上げさせた。  しかしそこには勇者の片鱗など全くない、ただ泣き崩れる少女の顔があるだけだった。  両の目には涙が溢れ、ガチガチと歯の当たる音が聞こえるくらい震えているのに、それでもなお笑おうと必死に口角を上げようとしている様は見ていて痛々しい。 (人間とはむごいものだ……この者の苦しみと引き換えにどんな平和を願うと言うのだ……だが、全ては俺のせいか……)  魔王は少女の顎から指を離し静かに語りかけた。 「心配する必要はない、勇者で無い事が分かった以上、お前の命を奪う事など考えて……」  話の途中だったが、不意に牛車の陰にあった燭台の一つが倒れ大きな音をたてた。  魔王はとっさに音の鳴る方向へと顔を向け警戒したが、少女は身動(みじろ)ぎ一つせず怯えた表情のまま魔王を見つめている。  それはありえない事だった……。  人間に限らず命あるものであれば皆、我が身に降りかかる危険を回避する為に不意の音には何かしらの反応を示すものである。  なのにこの少女はピクリとも反応することがなかった……。 「もしや……」  魔王は改めて確認をするように少女へ問いかける。 「お前には俺の声が聞こえていないのか?」  その質問に対して少女が答える事はなく、沈黙の時間だけが過ぎていった……。  
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