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第二話
予期せぬ出来事で魔王の表情が少しだけ強張った。
それを見た少女は恐怖のあまり無理に笑顔を作る事さえ出来なくなり、ついには大粒の涙を流し泣き崩れてしまう。
言葉を発する事なく、静かに静かに泣いている少女……。
その静寂なる悲しみを目にした魔王はようやく事の全てを理解した。
(そうか……俺の声を聞いても意識を失わなかったのは耳が聞こえなかったから……心を読まれぬようにしていたと思ったのも、声を聞いたことがなく言葉を知らなかったから……ただ、それだけの事だったのだな)
少女を見つめる魔王の表情からは、いつしか険しさが消えていた。
同情や憐れみとは違う、魔王には必要ないと思われる慈愛に満ちた眼差しを少女に向けている。
(誰とも話す事も出来ず、想いを伝える事も出来ない孤独に苦しんでいたとはな……お前は俺と同じだ……)
魔王は五人の若者全員を転送魔法で村へと送り返した後、泣き崩れている少女を優しく抱きかかえた。
そして怯える少女をそのまま寝具のある部屋へと連れて行く。
「お前はもう村へ帰る事は出来ぬ……村へ帰れば俺を怒らせた元凶として処刑されるのは目に見えているしな……それにお前自身も村へなど帰りたくはないだろう……心配する必要はない、今日は何も考えずここでゆっくり休むがいい」
聞こえない少女にどこまで理解できたかは分からないが、魔王は少女をベッドへ寝かせ、そのまま部屋を後にした。
翌朝、魔王が部屋を訪れると、少女はベッドではなく冷たい床に身を縮めて眠っていた。
その姿に魔王は衝撃を受ける。
「どうしてそんな所で寝ているのだ……なぜベッドを使わない」
おそらく少女は村でも同じような環境で暮らしていたに違いない。
綺麗なベッドを汚してはいけない、豪華な家具にも触れてはいけない……そんな想いで床の中央に毛布も何も使わず眠ったのであろう。
魔王に捧げる生贄と決められた為、村の男達の慰み者とならなかった事だけが唯一の救いだと思えるほど、少女の生活は過酷だったのではないか……そう考えると魔王は胸を締め付けられるような痛みに襲われた。
「お前を虐げる者はここには居ない! お前を傷つける者は俺が許しはしない!」
魔王は自分でも気が付かぬまま、無意識に少女を抱き締めていた。
少女も抵抗する事なくその身を委ねている。
「お前は何も心配する必要はない、ここで……」
抱き締める手を緩め魔王は少女の顔を見るが、そこには必死に恐怖に耐えている弱者の表情しかなかった。
抵抗しないのは魔王の言葉が通じた訳ではなかった……。
決して魔王の優しさが伝わったからでもなかった……。
少女の表情からは、ただ生贄としての諦めの感情だけが読み取れる。
「ち、違う……俺は……俺は……」
魔王は少女を手放し、部屋から逃げるように飛び出した。
自室に戻った魔王は激しい後悔の念に襲われる。
(俺はなんと愚かなのだ……怯える者に更なる恐怖を植え付けてどうする……俺の声が聞こえぬのに……話している言葉さえ分からぬのに、どうして想いが伝わると思ったんだ……)
魔王は『聞こえない孤独』を軽く考えていた事に気づく。
魔王自身は強大な力の為に誰かと話をしたり、想いを伝える事が出来ない孤独はあるものの、村人が話す言葉を聞き分け、文字を読む事で外からの情報を理解し得る事ができる。
だが少女の場合は聞こえないが故に、言葉を知らず、文字を知らず、『見る』以外の情報を一切得る事が出来ないのである。
魔王や生贄についての説明を受ける事もできず、何の情報も知識もないまま城へと連れてこられた恐怖は想像を絶する物だったのではないだろうか。
それを考えると軽率な行動をとった事を悔やんでも悔やみききれない。
魔王はせめて、その恐怖心だけでも少女から取り除いてやる事ができないかと考える。
(だが、俺に何が出来ると言うのだ……)
魔王は考えが纏まらないまま、少女の居る部屋へと戻った。
中を覗くと少女は部屋の中央で正座したまま項垂れている。
恐らくは魔王が出て行ったのは自分が怒らせてしまったからなのだと思い、先ほどからずっとその姿勢で待っていたに違いない。
「何故だ! どうすれば俺の気持ちを分かってくれるのだ!」
少女の姿は魔王の心に激しい悲しみの感情を芽生えさせる。
「俺はその気になれば一瞬で山を消し去る事も出来る……どんな天候でも意のままに操り海の水を無くす事さえ出来る……なのに、どうして俺の気持ちをお前に伝える事が出来ないんだ……どうして……どうして、たった一言『安心しろ』と伝える事が出来ないんだ」
魔王は自分の情けなさに嫌気がさし、両手で顔を覆ってしまった。
「俺はどうすればいい……どうすればお前の悲しみを和らげる事が出来るんだ……頼む、教えてくれ! 誰でもいいから俺に教えてくれ!」
魔王の目から大粒の涙が零れ落ちる。
村の伝承を聞いた事のない少女は、魔王がどんな悪行を繰り返し村人に恐れられているのかを知らない。
それ故に魔王に対する固定観念が無く、涙を流す姿はそれまでの恐ろしい印象を消し去った。
立ち上がった少女の顔からは怯えの感情は消えており、そのまま魔王の顔を心配そうに覗き込んだ。
「俺の事を心配してくれてるのか?」
少女は答える事無く、ただ魔王の顔をじっと見つめている。
(言葉は通じないかもしれない……だが俺の本心を……俺の素直な気持ちをそのまま伝えてみよう)
魔王は少女に向かい、ゆっくりと話を始めた。
「過去にはお前以外にも何度か生贄の娘が捧げられた事があったが、娘達はみな遠く離れた村に送り届け、そこで生涯を全うしている……そもそも俺は今まで生贄を求めた事など一度もない……人間が己の心の弱さから愚かな考えを持っただけなのだ……」
魔王は少女を椅子へと座らせ、さらに話を続ける。
「幾度となく繰り返された争い事も俺が起こしたのではなかった……すべては人間の醜い心が原因だったのだが、己の歪んだ正義を貫きたいが為、より強大な力に操られているのだと、自分達は悪くはないのだと言い聞かせ……力なき者にだけ苦しみを与えて罪悪感や恐怖から逃れようとしたのだ……だが、それもこれも全ては俺のせいなのだろうな……」
魔王は小さくため息をつき、目を伏せながら続けた。
「俺は人間から嫌われなければならなかった……だから人間が愚かな考えを持ってもそれを否定はしなかった……いや、むしろそれを利用して俺を憎むように、俺に恐怖心を抱くよう伝承を作り村に広めた……だが、それがお前や多くの娘達を苦しめる結果となってしまったのだな……」
魔王は悲しそうな表情で少女を見つめる。
そして、なぜ自ら伝承を作ってまで人間に嫌われなければならなかったのか、その理由を話し始めた。
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