第10章 赤い衣の

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暖かな布団の中で寝返りを打つと、そっと引き戻されて、抱き寄せられる。 背中に当たる肌の感触が生々しくて、まるで服を着ていないように頼りない。 と、寝ぼけた頭で思ったところで、はっと目が覚めた。 ばっと振り返ると、布団の中で肘を突いてこちらを眺める渡津依の顔が見えて、瞬時に顔が赤くなる。 「渡津依様?」 「お早う、莉堵。」 愛しげな呼び掛けをされて、莉堵はようやく昨夜の事が頭を過ぎる。 「お早う、ございます。」 答えて、何となく恥ずかしくなった莉堵は、渡津依から離れようとする。 それを、渡津依がまた引き戻した。 「誰か呼びに来るまで、待とう。裸の莉堵が風邪を引いてしまう。」 満足げな渡津依に、莉堵は恥ずかしくて堪らなくなって、布団に包まる。 「昨夜の君は、可愛かった。誰か来るまで、もう一度そんな莉堵を味わいたいくらい。」 恥ずかしげもなくそんなことを言い出す渡津依に、莉堵はふるふると頭を振る。 「せめて口付けだけでも。」 言うなり、躊躇いなく抱き寄せて近付いてくる渡津依に、莉堵は頭を振って抵抗するが、難なく押さえられて、唇を吸われる。 「ところで、寒い以外は身体は大丈夫か? 莉堵があんまり可愛いから、少し無理をし過ぎたかもしれない。痛くないか?」 気遣われるのが、逆に恥ずかしい。 莉堵はふるふると首を振って、なるべく渡津依から距離を取ろうとする。 「莉堵? 恥ずかしいのか? それとも、痛くていやになったのか? ・・・良くなかったか?」 段々沈んでいく渡津依の声音に、莉堵はまた首を振った。 「恥ずかしい、わよ。あんまり見ないで。」 ぶっきら棒に返すと、渡津依が吹き出した。 「毎晩、二人で過ごすんだ。すぐに慣れる。」 言うと、渡津依は莉堵の髪を整えるように撫で付けてくれた。 「綺麗な櫛だ。良く似合ってる。外さずに眠ってしまったな。」 何気なくそう告げた渡津依の言葉にはっとする。 莉堵は奇跡的に崩れずに済んだ頭の上の結び目から、和悟之に貰った櫛を外した。 薄紅色の紅珊瑚の櫛に、真珠と鮮やかな青色の維矢留の小さな鰭飾りが揺れている。 複雑な瞳で見つめていると、渡津依がそんな莉堵の顔を覗き込んで来た。 「魚から貰ったとか言わないだろうな。」 少しだけ苦味のある口調で言われて、莉堵は渡津依を見つめ返す。 「・・・箱に入れて、仕舞っておくわ。」 そう答えると、渡津依が視線を逸らして小さく溜息を吐いた。 「なら、代わりを俺が何か贈ってやる。」 言うなり、渡津依がまた莉堵に口付けしてくる。 「忘れさせてやるから、俺だけ見てろ。」 優しい呟きを間に挟んで、深い口付けがくる。 荒い吐息を挟みながら、それに応えていると、部屋の扉が外から叩かれる。 「渡津依様、朝ですよ。深酒されましたか?」 遠慮なく開いた扉から、入ってきた男の声が聞こえる。 「ま、待て深都波(みづは)! お前は入ってくるな。莉堵の付添いを呼んで来い。」 「は?」 間の抜けた返事が返ってきて、室内に沈黙が流れる。 「莉堵は、取り敢えずこれを羽織れ。」 渡津依が慌てて昨夜の上着を莉堵の肩に着せ掛けてくれる。 「え?」 部屋の入り口から、再度戸惑ったような声が上がり、莉堵は渡津依と顔を見合わせる。 「あの、乃呼(のこ)を呼んでくれる?」 莉堵が声を掛けると、見えない戸口から慌てた気配がする。 「あ、はい! 乃呼ですね? 呼びます呼んできます。ていうか、莉堵様お帰りなんですね?」 「はい。」 それに答えると、また慌ただしい気配がして、その人が走って出て行った気配がした。 「やれやれ、皆にどう説明しようか。深都波がああだからな。」 少し困ったように口にした渡津依は、莉堵の顔を見下ろす。 「化けて出たって怖がられるかしら。」 笑みを浮かべながら言うと、渡津依が苦笑した。 「夜中に縁でしくしく濡れそぼった女が泣いてたら、それはお化けだと思うだろう?」 確かに、自覚は無かったが、昨夜の状況を冷静に外から見るとそう思われても不思議ではない。 というか、正に怪談に出てきそうな場面が浮かぶ。 「莉堵様! 姫様?」 今度はばたんと勢いよく開いた扉から、乃呼の声が入ってくる。 「乃呼。」 答えると、乃呼が真っ直ぐ寝台の方へ歩いてきた。 「では、俺は先に出よう。湯を用意させるから、湯浴みをしてさっぱりしたら、食卓へ降りておいで。一月も遅れてしまったが、皆にきちんと紹介しよう。」 寝台から降りた渡津依はそう言って、乃呼と入れ替わるように出て行った。 「姫様!」 乃呼は、莉堵の姿を目にするなり、涙を流して抱き付いてきた。 「姫様、よくぞご無事で! ここの人達は、昨晩姫様がお戻りにならなければ、亡くなったことにすると言われて。私、私、何度も姫様は竜宮城にお魚を捕まえに行かれてるだけだって申し上げたんですけど、信じて貰えなくて。もう、どうすれば良いかと。」 泣きながらそう説明してくれる乃呼を、莉堵もぎゅっと抱き返す。 「有難う乃呼。乃呼だけは、いつも私を信じてくれるものね。ここへ戻って来れて、それだけでも良かったな。」 心からそう言うと、乃呼がまた声を上げて泣き付いてくる。 その背中を宥めるように軽く叩きながら、莉堵はようやく冷え切っていた心が暖まってくるのを感じた。
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