第10章 赤い衣の

3/6
前へ
/53ページ
次へ
湯浴みと着替えと身支度を済ませて、莉堵は食卓のある部屋に降りて行く。 すれ違う女中や使用人、家人らは一様に莉堵に足が生えているのを確かめるような仕草で遠巻きに全身を眺めていた。 「お早う。」 莉堵は、その視線を気にするのは止めることにして、声を掛けていくと、彼らは自らに掛かった声に小さく悲鳴のような声を上げてから、返事を返してきた。 ここで負けたら終わりだ。 そこは、にっこり笑顔で誤魔化して、彼らの前を通り過ぎて行く。 「莉堵様、あんまりでございます。」 着いてくる乃呼が、そんな彼らの態度に涙目になっているが、莉堵はそれにふっと笑ってみせる。 「大丈夫、祟りが怖くて喧嘩なんか売ってこないだろうから、やり易くなったわよ。」 「また、姫様は無駄に前向きなんですから。」 呆れたような乃呼の言葉に、莉堵は肩を竦めて見せた。 「向こうも色々諦めてくれるだろうから、ある程度、好きにやらせてくれそうじゃない?」 「また莉堵様は、今度は何をなさりたいんです?」 言われて、前なら考える間でも無く、厨房に入り浸って料理と言えたのに、今は少し料理と離れたくなっている自分に気付いた。 「少し、ゆっくり過ごしたいかな。流石に疲れちゃったみたい。」 途端に乃呼に額に手を当てられる。 「お熱、はございませんね。まあ、莉堵様がそんなことを仰られる日が来るなんて。やはり、大人におなり遊ばされた所為でしょうか。」 乃呼の分析に、苦笑しか出てこない。 「まあ、旦那様が意外に良い人だったから、焦らなくても良いかって気持ちになったのは事実よね。」 そう返しておくと、乃呼がまた目を見開いた。 「驚きましたわ。人間、変われば変わるものですね。何はともあれ、旦那様と仲良くお過ごし遊ばされて宜しゅうございました。これで、一安心でございますね。」 そう言った乃呼の目に薄っすらと涙が滲む。 「うん。普通の幸せって、私にもちゃんとあったんだなって、思ったわ。」 本当は、心の奥深くにまだ深い傷が残っているような気がしたが、それを覆うように穏やかに包み込まれているような気がするのだ。 目頭を拭いだした乃呼には、本当に心配ばかり掛けてきたのだと思う。 「乃呼も、今度は自分の幸せを探さなきゃね。有難うね。」 にっこり笑顔で言うと、乃呼が首を振る。 「いいえ。私は良いんです。姫様の幸せをお側で見守って、赤さまがお生まれにでもなったら、お世話をさせて頂いて。そうやって暮らすのが、私の夢ですから。」 そんな乃呼に嬉しくて顔が緩むが、頑張って引き締めて難しい顔を作る。 「駄目よ。私ばっかり幸せじゃ、バチが当たっちゃうわ。乃呼にも、良い人が見つかると良いわよね。」 そうやって笑い合っている内に、主人の食卓がある部屋に辿り着く。 部屋に入ると、難しい顔で家人と何やら仕事らしきやり取りをしている渡津依が居て、莉堵は邪魔にならないように静かに近付く。 と、近付く莉堵に気付いたその家人が、びくりと肩を震わせて、一歩後退る。 「莉堵? 悪い、もう少しで終わるから。座って、直ぐに食事を運ばせよう。」 頷いて莉堵が椅子に腰掛ける間に、渡津依は家人との話しを終わらせて、控えていた女中を呼ぶ。 食事の用意を頼んだ渡津依は、振り返ると途端に優しい顔になった。 「莉堵は、綺麗だな。」 目を細めて、真っ直ぐに見つめ返してくる渡津依に、莉堵は真っ赤になる。 「渡津依様、恥ずかしい。」 これまで、外見について褒められたことは、それこそ幾らでもあるが、こんな優しくしみじみと言われると、居た堪れないくらい恥ずかしくなる。 渡津依はそんな莉堵に笑みを浮かべてみせてから、側でにやにや笑いを堪えている様子の家人を呼んだ。 「深都波、莉堵に新しい着物と櫛を贈りたい。」 呼んだ名前で、その家人が今朝渡津依を呼びに部屋に入ってきた男だと気付いた。 「畏まりました。呉服屋を手配いたします。予め何かご希望はありますか?」 「そうだな。莉堵には赤い衣が良く似合う。まずそれと、他にも色々用意させて莉堵に選ばせよう。」 そんなやり取りをする二人を、莉堵は不思議そうに見詰める。 櫛は、今朝渡津依に和悟之からの贈り物と悟られて、是非にも代わりをと言われていたから分かるのだが。 着物は実家から体裁を整える為に持たされたものがいくつもあったし、乃呼によれば、予め莉堵の為に用意されていたものも相当量あったようなのだ。 改めて作る必要性を感じない。 「渡津依様? 着物は特に今は要りませんよ?」 首を傾げて言うと、渡津依が少し赤い顔でこちらを向いた。 「莉堵に、赤い衣を着せたい。」 何か、心が波立つ気がした。 「どうして?」 目を瞬かせながら訊くと、渡津依は口元を手で覆って、少しだけ目を逸らした。 「絶対、似合うから。」 莉堵は更に首を傾げる。 そうする内に、朝食が運ばれてきて、何となく話しは途切れてしまった。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!

157人が本棚に入れています
本棚に追加