第10章 赤い衣の

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深都波と言う名の家人に、屋敷の中を改めて案内されながら、下働きの使用人と女中、渡津依の側で家や仕事の手伝いをする家人、と出会う者達全てを紹介される。 紹介された家の者達は、やはり一月行方不明で何事も無いように戻った莉堵を、少し恐れているようだった。 口には出さないが、青い顔をしている者も居て、苦笑するしかない。 ただ、忙しい渡津依に代わって案内をしてくれる深都波は、そんな莉堵と屋敷の者達の様子を楽しんでいるようだった。 中々、肝が据わっているようだ。 「変な噂が立って、渡津依様に迷惑を掛けてしまわないかしら。」 気になって、そっと深都波に問い掛ければ、彼は悪戯っぽい顔で振り返った。 「いやいや、あの渡津依様をころっと落としてしまうんですから、莉堵様は大したものですよ。」 莉堵は緩く首を傾げる。 「渡津依様やこの家のことなら、大丈夫ですよ。海の国の元締めっていうのは、他の国の国主と変わりない家柄ですから、こんなことでは小揺るぎもしませんよ。」 言った深都波は、得意げに胸を張ってみせた。 莉堵はそれに少しだけ苦い笑みを返す。 また歩き出した深都波は、中庭に出た。 そこには、仮設の深い生簀があって、今は水を抜かれているようだった。 「渡津依様は一月、毎日のようにここにお通いでしたよ。莉堵様の為にご用意された赤い魚を眺めては、貴女を想っておられたのでしょうね。」 和悟之の本当の妻、瑠和は莉堵と入れ替わるように一月ここに居たのだろう。 そう思うと、少し複雑な気分になった。 「渡津依様は、満月の日にその赤い魚を海に放されました。そうしたら、貴女が帰って来た。」 深都波の口調が少し変わったのに気付いてそちらを向く。 「渡津依様は、毎日のように、赤い魚に話し掛けておられた。お前を海に返すから、莉堵を返して欲しいと。」 莉堵は、心が波立つような気がした。 「貴女は何者でしょうか? 本当に地の国の姫ですか? それなら、一月どこへ行っておいでだったのです? お伽話の通り、海の底の竜宮城に行っておられたのか? それなら、それを明かす物は?」 深都波に問い詰められて、莉堵は軽く目を閉じる。 言われても仕方の無い事だと思う。 そもそも、渡津依に普通に信じて貰えたのが、不思議なくらいの話しだ。 ここには今、深都波と莉堵しか居ない。 だからこそ、深都波は渡津依の為に問い詰めてきたのだろう。 「そうね。私だって、戻って話しをしても、信じて貰えなくて、離縁されたって不思議じゃないって思ってたもの。」 莉堵が目を上げて言うと、深都波が怪訝そうな顔になった。 「貴方が信じようが信じなかろうが、本当の事を話すわね。」 前置きをしてから、莉堵は生簀に目をやる。 「ここに入れられていた赤い魚は、海の底の年経た魚が仙人になって暮らす海竜宮の海竜の一人だったの。偶々人の網に掛かってしまって、私への贈り物にされてしまったけれど、魚達にとっては、神様みたいな存在だったのね。」 何とも言えない顔になって聞く深都波に、小さく苦笑してみせる。 「婚姻の日の夜、部屋を出て行った渡津依様を待つ間、縁から海を見ていた私は、赤い魚の身代わりに、高波から出て来た魚に拐われて、海の底の海竜宮に連れて行かれたの。」 難しい顔になっていく深都波は、信じられないのだろう。 「海に映る満月は、海竜宮への扉で、満月の夜の多分一定の時間しか開かないみたいなの。それで一月、私はその宮に閉じ込められてしまったの。」 こちらをじっと見詰める深都波は、莉堵の話しを真実かどうか見極めようとしているのだろう。 「その一月の内に、海竜宮のひと達とも仲良くなって、返して貰えたの。赤いお魚さんも戻ったし、ね。」 最後の一言だけ、少し苦い口調になってしまった。 深都波は、まだ莉堵をじっと吟味するように見詰めている。 「貴女は、あの赤い魚が変化(へんげ)した化け物ではないのか?」 慎重に詰めてくる深都波に、莉堵は不快感と軽い苛立ちを覚える。 「そんな訳ないでしょ!」 強い口調で言い切るが、それを明かせるものがある訳ではない。 「渡津依様は、貴女に赤い衣を着せたがった。つまり、渡津依様自身は、知らずあの魚と莉堵様を混同しておられるのかもしれない。」 深都波の言いたい事が分からない。 「渡津依様は、貴女が赤い魚の変化でも構わないと思っておられるのかもしれない。いや、むしろ一月毎日呼び掛けて、気持ちが通じたような気のする貴女が莉堵様に成り代われば良いと望まれたのかもしれない。」 莉堵は、心臓を鷲掴みにされたような気になる。 だから、渡津依は莉堵に赤い魚のつもりで赤い衣を着せたがるのだろうか。 愛しいと言ってくれたのは、莉堵を赤い魚の瑠和だと信じてなのだろうか。 莉堵は愕然として、目を見開く。 瑠和は、和悟之の心を掴んで離さなかったのに、渡津依の心も持って行ってしまったのだろうか。 そう思うと、胸がずきりと痛くなった。 知らず、目に涙が溜まる。 「そうなの? 渡津依様は。」 言葉が続かない。 胸が苦しくて、着物の胸元を握り締める。 「渡津依様も、そうなのね。」 深都波の怪訝そうな顔を無視して、莉堵は踵を返す。 ここにも、莉堵の居場所はなかったのだ。 心が一気に冷えた。 また、鉛を飲んだような身体を引きずって、与えられた部屋に向かう。 「莉堵様?」 後ろから追い掛けてくる深都波の言葉は、もう耳に入らない。 「莉堵様! 待ってください、まだ話しは。」 深都波は莉堵の肩に手を掛けて呼び止める。 が、莉堵はその手を振り払った。 「出て行きます! それで良いでしょう? 私が化け物魚? そう思えば良いわ! 大事な旦那様には赤い魚でもなんでも、相応しい方を別に迎えてくれれば良い。」 言い放つと、莉堵は足早に廊下を歩き続ける。 「待って下さい! 私や屋敷の者達の勘違いなら、それで良いんです。ただ、大事なこの家の嫁が化け物だったりしては困るというだけです。」 言いながら追い掛けてくる深都波が正直、堪らなく鬱陶しい。 「黙って! もう沢山よ! ついて来ないで!」 帰りついた部屋に入ると、深都波の前で扉を思いっきり閉める。 「莉堵様!」 扉を叩く深都波の声が聞こえるが、無視してこちらを驚いたように見る乃呼に目をやる。 「私、ここを出て行くことにしたわ。」 「はい?」 裏返った声の乃呼に、莉堵はむすっとした顔を向ける。 「地の国にも帰らない。丁度良いから、私はこのまま死んだってことにして貰って、他所の土地に行ってみようかな? 魚以外の食材を求めて、気に入った土地で料理屋でも開いて、拘りの創作料理を出すの。きっと楽しいわ。」 話す内に、段々と心が落ち着いてくるような気がした。 「姫様〜、どうしてまたそんな。」 乃呼の萎れたような声が返ってきて、莉堵はにっこりと手を上げる。 「大丈夫、乃呼は来なくて良いわ。地の国に返して貰いなさい。私一人なら、馬車なんかなくても、包丁背負って何処へでも行けるし。」 明るくそう言い切ると、乃呼が首を振った。 「いけません、姫様。私は莉堵様がお幸せになるまで、お側を離れないと決めていますから。」 何か諦めたような顔の乃呼に、莉堵は困ったように首を傾げる。 「駄目よ、乃呼。これまでと違って、今度の旅立ちは行く宛てが無いのよ? 連れて行けないわ。」 「なら、姫様も行かれるのはお止め下さいませ。せっかく、旦那様とご夫婦になられたばかりなのですから。」 その言葉に、また心がもやっとし出す。 「あの方が欲しかったのは、私じゃないのよ。勘違いで、愛しいと言って下さっただけ。間違いだったのよ。」 吐き捨てるように言うと、乃呼が泣きそうな顔になった。 「姫様〜。」 「とにかく、ややこしく止められる前に出て行くから、急いで支度するわ。」 寝台の下に隠してあった包丁の箱を取り出して、その他最低限の必要な物だけを纏めて行く。 途中から、渋々それを手伝いだした乃呼に、莉堵は溜息を吐いた。 「幻の珍味を探す旅、とか。何か目標を立てる方が良いかしらね。」 中々上がって来ない気持ちを振り払うように莉堵は黙々と支度に没頭することにした。
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