第10章 赤い衣の

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頭上に燦々と輝く満月の光も届かぬ海の底、月に一度の宴が今夜も催される。 薄暗い海の見える二人掛けの席には、海竜の男女が仲良く座り宴を楽しむ。 「海はいつもと変わらぬ穏やかさよ。」 しみじみと呟く和悟之に、隣に座る瑠和が凭れ掛かって来ながら、腕を抓ってくる。 「何を考えているのかしらね、この助平魚。」 「何だ、そなたも焼きもちが焼けたのか?」 返してみると、瑠和がぷうっと頰を膨らませた。 「馬鹿和悟之。腹黒い貴方が人間の娘の面倒を一月も見るなんて、何かなければ有り得ないじゃない。」 容赦のない言葉に、和悟之はふっと笑う。 「面白い娘だったのだ。我を一月退屈させなんだ。懸命で一途でな、きちんとしてやらねばならぬ気にさせよった。」 「ふうん。」 瑠和が少しだけ拗ねたような、それでいて怒っている訳でもない相槌を返してくる。 「あの子の花婿の方も、可愛らしく一途にあの子が戻るのを待ってたわ。きっとお似合いの真っ当な(つが)いになるでしょうね。」 「そうよな。それで良かろうよ。したが、そうなると、あぶれたあれは哀れよな。」 元が魚の海竜には親子の情は薄いが、息子に当たる維矢留は和悟之や瑠和にとっては駒の一つでもある。 「維矢留ね。貴方がけしかけたのでしょう? 可哀想に海竜に変わったのに、子供っぽい姿だったそうじゃない。あの子にも受け入れられなかったようだし、今夜は戻らなかったようよ。」 「時期だったのだ。我はほんの少し後押ししたに過ぎない。後は、あれ自身の問題よ。」 瑠和の溜息が聞こえる。 「相変わらず冷たい。貴方本当、最低よね。」 「そう褒めるでない。今宵は久しぶりに朝まで寝かさぬぞ。」 そう耳元で囁くと、瑠和の顔が能面のようになった。 それに笑っていると、ふと隣に誰か立ったのに気付いた。 「和悟之貴様! 莉堵はどうした?」 見上げた先に、麻須岐(ますき)が仁王立ちになっている。 「何だ、満月の宴の席で無粋な。」 「答えろ和悟之。あの娘はどうした? 瑠和が戻って貴様が瑠和を選ぶなら、俺は莉堵を貰っても良いと思ってたんだぞ? 何処に隠した?」 僅かに顔を赤らめながら言う麻須岐に、和悟之はにやりと笑う。 「ふん、貴様、あれに惚れたか? 残念よな、あれは地上に帰したぞ。今頃、真の花婿と幸せになっておろうよ。」 訝しげに眉を寄せる麻須岐に、和悟之は更ににやりと笑う。 「待て。莉堵は、あの娘は、地上にはもう戻れない筈ではないのか?」 混乱したような麻須岐の様子に、にやにや笑いが止まらない。 「馬鹿ね、麻須岐。この腹黒和悟之はあの子に手なんか出してないのよ。」 口を挟んだ瑠和に、麻須岐がばっとそちらを振り返る。 「まさか、嘘だろ? そんな筈があるか? あんな、出来上がってますって雰囲気出しといて。」 「意外に、あれも演技上手でな。賢い娘であったな。何れにしろ貴様には勿体ないわ。諦めよ。」 麻須岐は、何か打ちのめされたように黙ってしまった。 「・・・莉堵。 くそっ、貴様に遠慮などするのではなかった!」 悔しがる麻須岐に、和悟之はまたにやりと笑った。 「和悟之様、失礼致します。」 そこへ、羽垂(はた)がやってきて声を掛けてくる。 「維矢留様のご様子を確認して参りました。」 羽垂には、海竜となった維矢留の動向を確認するように言っておいたのだ。 地上と海竜宮には、少し時間の経過に差がある。 だが、揺らぐ時空の中で、満月の輪を出入りする時だけ、二つの世界は正しく満月の夜に繋がる。 宴の間に、地上では二日程が経過している筈だ。 「して、どうしておった?」 羽垂は頷いて続ける。 「維矢留様は、莉堵様のお側の海を漂っておられました。魚達に、莉堵様の様子を探らせていたようで、一度は花婿殿とうまく行かれた様子の莉堵様に安堵しておいでだったようですが。それからまた何かあったようで、莉堵様は花婿の元を去って旅立たれておしまいに。只今は、それを海から追って行かれました。」 「何と・・・。」 流石の和悟之も二の句が継げない。 「ほら、貴方の所為じゃないの?」 瑠和から冷たい突っ込みが入る。 「やれやれ、そう言えばあれは、ちっとも大人しくしておれぬ質であったな。」 少し苦味を乗せてそう漏らすと、麻須岐が何かから復活したように、目を輝かせていた。 「ふうん、成る程。傷心の莉堵を慰めるなら、子供の維矢留より、大人の我の方が適任だな。」 何やらややこしいことを言い出している。 「黙れ麻須岐、貴様の草共を根絶やしにしてくれるぞ。貴様は大人しく草の番でもしておれ。」 久しぶりに冷たい言葉で脅しておくと、麻須岐の顔が引きつった。 「あら、余裕のない。貴方の方こそ、あの子に持って行かれてるじゃないの。」 瑠和が、和悟之の胸元をつつきながらそう言ってくる。 「ふん。あれは、汚れた手で触れてはならぬ者よ。どれ程泥の中に埋まろうとも、真っ直ぐに目指す場所に向かって進んで行ける、そんな稀有な存在よ。」 瑠和が肩を竦めたようだった。 「羽垂よ、ご苦労だが、また定期的に維矢留の様子を見に行って知らせるように。」 和悟之は羽垂に命じて、海に目を向けた。 海月達がゆらゆらと長い手足を揺らめかせて舞い踊る。 瞬く光は、和悟之にとってはいつもの姿だが、莉堵は美しいと涙した。 その美しい涙は、和悟之には眩し過ぎて、腕の中に留め置くことは出来なかった。 あの笑顔は、日の元で輝くのが相応しい。 和悟之は優しげな笑みを口元に浮かべた。 ーーー終わりーーー
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