2006

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2006

 僕は24歳になった。  十文字中学校の先生になった。担当は社会科だ。    2006年10月11日  加地智彦(かぢともひこ)は19時のニュースを見ていた。  十文字中学校に通う13歳の中学2年生の少年がいじめを苦にした遺書を残し、自宅の倉庫内で首を吊って自殺した。同中学校の調査により、蘆名光彦(あしなみつひこ)が中学1年の頃に受けたいじめについて当時学年主任で担任だった本庄敬之(ほんじょうのりゆき)へ相談したところ、彼がクラス内で相談内容を漏らしたために、いじめがエスカレートしたこと、本庄は光彦へのいじめにも荷担し、これが本庄への自殺の要因のひとつとなっていたことが発覚した。  本庄はその年度より担任を外されていたが、引き続き同校で理科担当の学年主任を務めていた。本庄は蘆名の遺族に謝罪し「一生償います」と述べたものの、遺族から詰問される結果となった。  本庄は「からかいやすかったから、光彦を罵倒した」と述べた。本庄は教え子を、理科の成績別に元素記号で呼んでいた。   1H 水素、2 He ヘリウム、3 Li リチウム  4 Be ベリリウム、5 B ホウ素 。  光彦は水素と呼ばれていた。  成績は良くないが、福祉委員として頑張っていた光彦に対しては「偽善者にもなれない偽善者」などの問題のある発言を繰り返していた。さらに女子生徒に対しても「お前は太っているから豚だね」と暴言を吐き、クラス内でのいじめを誘発した。  このような状況下で自殺をちらつかせていた光彦に対し、本庄は「本気なら下腹部を見せろ」と言う旨を発言しズボンを脱がそうとし自殺に至った。  末松(すえまつ)村松(むらまつ)といった優等生たちは、光彦の葬儀にて笑いながら棺の中を携帯電話のカメラで撮ろうとしたり、自殺後「せいせいした」「別にあいつがいなくでも、何も変わらないね?」などと発言していたと言う。  学校側は当初いじめを否定していたが、後に発言を翻す。10月15日に遺族に謝罪したがその後「本庄の発言を無かった」と発言を二転三転させた。10月16日に行われた全校生徒への朝礼の際は藤原(ふじわら)校長が「先生たちがちょっと手を抜いちゃいました。ごめんなさい」と一応は謝罪した。また、いじめは中学校でも実際には複数把握していたにも関わらず、解決したとしていじめは『0件』と報告していたことも判明した。  智彦は十文字中のOBだ。あの学校が滅びればいいのに?と思っていた。  まん丸い月が窓の外に浮かんでいた。   光彦の遺族に接近して十文字中に復讐してやりたい。    僕は光彦が亡くなったことが信じられなかった。光彦の亡霊が出てきたら退治しないとな?残り10匹もいる。
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