番組収録

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番組収録

 収録スタジオに入った小鳥遊愛利(たかなしあいり)は、大きな声で挨拶した。 「おはようございます」  透き通った声は、アナウンサーとして身につけた技術の一つだった。愛利の声に、これから料理番組の収録に向けて、準備をするスタッフやプロデューサーが手を止めた。  スタッフが一人ひとり愛利に挨拶を返す中、愛利はカメラから伸びるコードを踏まないようにして、プロデューサーの側まで歩を進めた。  プロデューサーは「おはよう」と素っ気ない様子で返してきたので、愛利は首を傾げた。 「どうかしましたか?」 「いやぁ、今日なんだけど、俺は嫌なんだよなぁ」  不満そうにプロデューサーは頭を掻いた。  少し背が低く、黒縁メガネに顎髭が特徴的なプロデューサーを、愛利はよく知っていた。愛利がアイドル時代に、主にバラエティー番組を担当していた。周囲からは敏腕プロデューサーとも言われ、当然視聴率も取っていた。愛利も何度か彼の番組に出演していたので、お互い面識もあり、気さくな人なので砕けた会話もできた。  それが今や情報番組のいちコーナーを担当するようになったようで、もしかしたら、時代の流れからバラエティー番組の視聴率が振るわず、移動になったのかもしれない。少し痩せて見えるのも、それらが関係しているのではないかと、愛利は思ってしまった。  アイドル時代の彼は、小柄ながら大胆な指示や、力強い動きで率先して番組を面白くしようとしてたことを思い出した。  そこで、ふと愛利は浮かんだ。 「もしかして、今日のメニューですか?」 「そう! それだよ! 今時料理番組で肉じゃがを作ってるところなんて、誰が見て楽しいんだよ」  プロデューサーは唾が飛んできそうな勢いで声を上げた。近くにいた愛利は、一歩後ろに下がった。 「肉じゃがってみんな好きですし、料理の基礎みたいなものだから、大切だと思いますよ」 「基礎なんてこんなミニコーナーに必要ないんだよっ! 欲しいのはインパクト。面白さなんだよっ!」 「けど、勝手なことをしたらスポンサーが怒りますよ」 「そこは黙らせるぐらいの面白さを見せるんだよ!」 「何かあるんですか?」 「……」  黙ってしまうプロデューサーに、愛利は苦笑いを浮かべた。それからプロデューサは一人でぶつぶつと「違うんだよなぁ、もっと、こうしたほうが……」などとうんうん唸った。  その姿を愛利が見ていると、一人のスタッフの声が聞こえてきた。 「佐藤先生。入られまーす」  その声と同時に、スタジオに中年の女性が姿を現した。短い髪にパーマをあてて、耳にはイヤリング。首元にはネックレス。花柄のゆったりとしたワンピースを着ていた。派手な格好で見ていると目がチカチカしてくる。  彼女の姿に気づいた愛利は、すぐに近づいて頭を下げた。 「おはようございます。今日もよろしくお願いします」 「……」  彼女は無反応だった。愛利を黙殺して、調理台のセットがあるところまで、すたすたと歩いて、台に置かれていたエプロンに袖を通した。  けして聞こえなかったはずじゃない。いつもなら、笑顔で挨拶を返してくるし、料理についてわからないことがあったら何でも聞いてね、と世話好きなぐらい親身になってくれる。  愛利は「あれ?」と一抹の不安を抱えながら、スタッフが「本番行きます」という掛け声に、慌てて佐藤の隣に駆け寄り、エプロンを身につけた。  スタッフがカウントダウンを告げる。愛利は笑顔を忘れず、番組の収録が始まった。  タイトルコールがあけて、愛利だけがお辞儀をした。 「おはようございます」 「……」 「潮子(しおこ)先生。今日のメニューは何でしょうか?」  打ち合わせは事前にそれぞれ済ませてある。収録自体短いので、愛利と潮子がスケジュールを合わせて、一緒にやる必要もなかった。  しかし、出だしから潮子は打ち合わせとは違っていた。笑顔もなく、お辞儀もせず、なぜか近くにあった包丁を握っていた。  愛利はカメラが回っているので笑顔を崩さず、潮子から包丁を取り上げて、なるべく潮子から遠くに置いた。 「潮子先生。まだ包丁は早いですよ。まずはメニューの発表からです」 「……ねぇ、愛利ちゃん」 「はい」 「わたしね。思うの。料理なんてできても、何の価値もないの」 「先生。メニューを」 「肉じゃがなんか作れたところで、何だって言うの?」 「そうです。今日のメニューは肉じゃがになります。今、旬の新じゃがいもを使ったおいしい肉じゃがを作ろうと思います」  愛利は番組を進行させるために、強引に潮子の話を(さえぎ)る。今日の潮子はやはり変だった。周りのスタッフの中にも、愛利と同じように異変を感じてざわつくものもいたが、肝心のプロデューサーはといえば、そのまま続けて、と口パクで愛利に言ってきた。面白いものを見つけた子供のように、目を輝かせていた。  愛利はあの髭メガネ、と内心で罵倒する。アイドル時代の口の悪いキャラが出てくる。アナウンサーになってからは派手な茶髪を黒に戻して、少し地味目な感じの化粧をして、社内の目を気にした。長年芸能界にいたので、そういった空気を読むのは得意で、口の悪いキャラも番組の流れから、演じざるを得なかった。  それでも、思った以上に身体にしみついてしまったらしい。愛利は笑顔を絶やさず、番組を進めた。 「では、材料の紹介です」  肉じゃがに必要な食材や調味料を、愛利が読み上げていく。すると、隣に立つ潮子が割って入ってきた。 「ねぇ、愛利ちゃん。料理の『さしすせそ』って知ってる?」 「もちろんです。あ、もしかしていつも潮子先生が言ってるあれのことですか? それなら私じゃなくて潮子先生が言ってくださいよ」  潮子には自己紹介するときのキャッチフレーズがある。潮子が自分で考えてきたもので、『料理の基本。さしすせそ。さは砂糖。しは塩。私の名前は佐藤潮子。美味しい料理の基本は佐藤潮子ですよ。忘れないでくださいね』とこの番組ではお決まりの挨拶だ。それが今日はまだない。愛利は潮子の気分を盛り上げようと促した。  ところが、潮子は愛利が置いた包丁を再び手にする。逆手に持っているところが怖かった。 「料理の『さしすせそ』なんて役に立たないの!」 「先生。包丁の持ち方が違いますよ」 「『さしすせそ』じゃ、足りないのよっ! 愛が足りないのっ!」 「じゃ、じゃあ足しましょう。『あさしすせそ』にしましょう」  愛利は自分で食材を切ろうとした。段取りでは潮子が調理を担当し、サポートする手筈だが、身の危険を感じた。しかし、潮子から包丁を取り上げようとすると、それよりも早く潮子は持った包丁を振り上げて、まな板に力強く突き立てた。  どんな膂力(りょりょく)をすれば、包丁がまな板にまっすぐ突き立つのだろうか。愛利は目を見張ってしまう。普段は気さくで優しい潮子に、こんな隠された力があったとは。  包丁を離した潮子は調理場に崩れ落ちた。 「なんでよぉぉ! どうしてなのぉぉお! 料理だけが私の唯一の取り柄だったのにぃ!」  こんなシーンをお茶の間に流したら、放送事故だ。愛利はプロデューサーに目を向ける。が、プロデューサーはオッケー、オッケーとジェスチャーを送ってきた。死ねと思った。 「潮子先生。カメラ回ってますよ。立ちましょう」  愛利は調理台で隠れた潮子の体を、抱き上げるようにして立たせると、潮子は泣いていた。 「あの人は私の料理をおいしいって褒めてくれてたのにぃぃ! それなのに、私より、料理もできない女の方がいいってぇぇ!」 「今日は私が調理をしますので、潮子先生はサポートをお願いしますね。あ、包丁持ってきてくださったんですね。ありがとうございます」  愛利はとりあえず肉じゃがを作ることに決めた。プロデューサーが止めない限り、収録は続く。それなら、自分の仕事をするまでだった。  じゃがいもをまな板にのせ、包丁で切っていく。作業時間短縮のために皮は剥いてある。一人暮らしが長いので、愛利の包丁捌きは中々のものだった。 「まず、じゃがいもを切っていきます」 「あの女もこのじゃがいもみたいに、ひと口大に切られればいいのよぉお!」 「そうですね。ひと口大が丁度いい大きさになります」  じゃがいもを切り終わり、次はニンジン、玉ねぎ、牛肉、しらたきを切っていく。それらが終わったら、鍋にサラダ油を入れて、切った食材を炒めていく。 「入れる順番は玉ねぎ、牛肉、からです」 「結婚生活は順調だったのよぉおお! いつもべったりくっついて、ご近所でもおしどり夫婦で評判だったのにぃぃ!」 「順番を間違えると牛肉が鍋にくっつきやすくなるので気をつけてくださいね。焦げてしまう原因になります」 「私たちの関係が焦げついてたって言いたいのぉ! うああっ!」  潮子は大きく口を開け、涙を流しながら叫んだ。顔も化粧が剥がれ落ちてきている。愛利は心を無にした。もう相手にしない方がよさそうだ。  鍋に全ての食材を入れて、だし汁を注いで沸騰させる。愛利は横にずれてもう一つの鍋の蓋を開けた。 「沸騰したものがこちらの鍋になります」 「私の怒りはそんなもんじゃないわ。だって主人は私が作ったお弁当を、あの女に食わせていたんだからぁあ!」 「出汁のいい匂いがしますね」 「あの女の方がいい匂いがするんだって言うのよっ!」  潮子は愛利の腕にしがみついてくる。 「男は料理ができる女より、若い子がいいのよ! そうなんでしょ! 違うって言ってぇええええ!」  潮子に腕を揺すられながら、愛利は灰汁を取り、醤油、みりん、砂糖を加えて、落し蓋を鍋に入れる。 「こうすると味が全体によく染み渡ります」 「あなたがいなくなってから、あなたを改めて愛していたことが骨身に染みているわぁああああ!」 「後は弱火で十五分ほど煮込んで完成です」 「火遊びだって言ってぇぇ! 一度の浮気なら許してあげるからぁぁ!」 「では完成した品が別にあるので、いただきましょう」 「帰ってきて! あなたぁあああぁあああああ!」  カメラに向かって鼻水を垂らしながら、泣き叫ぶ潮子は、まるで怪獣のような未知の顔をしていた。そこには家庭的で余裕のある女性らしさは欠片もなく、ただただ、夫に捨てられた(みじ)めな姿だった。  その後も収録は続き、愛利は肉じゃがを食べて、潮子は夫へ想いを告白し続けるという、おかしな料理番組となった。  プロデューサーは満足げな顔を浮かべていたので、愛利は蹴りを入れてやろうかと思ったが、押し寄せる疲れに、その日は仕事が終わったらすぐに自宅に帰った。  数日後に番組は放送された。話題や反響を集め、動画サイトなどでも何度も流されることになった。てっきりお蔵入りになると思っていた愛利は驚いたが、それだけではなかった。次の収録で、プロデューサーと潮子は別の代わりの人が担当することになり、二人の姿をあれ以降、見ることはなかった。  やはりスポンサーを怒らせて、プロデューサーと潮子はクビになったのだろうと愛利は勝手に納得してしまった。自業自得だと胸がすく思いだった。  それからしばらくして知ったことだが、実はプロデューサーはバラエティー番組の担当に戻り、潮子は旦那が戻って来てよりを戻したそうだ。テレビ局の上層部は一連のプロデューサーの暴走を危険と判断し、バラエティー担当に戻した方がいいという理由で、潮子は番組での必死の訴えが夫の目に入り、気持ちが通じたらしい。結果的に番組を去った二人は幸せになった。  それならいい。それだけなら。  残念なことに愛利には許せないことがあった。  なぜか愛利だけが、世間から評判を下げることになった。世間ではアイドルを卒業して地味な愛利の姿を見た元ファンや、愛利の名を何となく知っていた視聴者が、愛利を見てがっかりしたとか、アイドルの時の方が可愛かった、と心を(えぐ)ってくる声が散見(さんけん)された。結局あの番組で一番被害を(こうむ)り、一番損な役になったのは愛利だった。                              終わり
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