第1話

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第1話

 地方紙の地域面には、そこに住んでいる者にすら読まれないような些末事が幅を利かせていることが往々にしてある。 「県北に住む農家の山田さんの田んぼで県下最初の田植えが始まる」 「県南の田中さんの庭先の枝垂れ桜が見頃」  中には「市立小学校で卒業証書用の和紙を手漉き」などという、小学校の授業内容が大きなカラー写真とともに紙面を彩ることもある。その地域で起きた普段とは少し違うこと、それを伝えるのが地域面の役割なのだ。  その日の地域面も、いつもと変わらぬ平和な趣だった。カラーページで「海をきれいに!県内企業30社による海岸の清掃活動」  粒子の荒い写真の中で、それぞれに自社の社名がプリントされたハチマキを締めた数人の中年男性が、海岸でごみ拾いをしている。背景は晴天の海。その手前の海岸には流木やペットボトル、色とりどりのプラスチックの破片が、玩具箱をひっくり返したかのごとく無秩序に散乱している。  新聞やテレビの取材があって初めて成り立つボランティアである。目だってナンボのアピールの場で、この日の勝者は緑地に白抜きで書かれた『けんぎん』のハチマキだった。  『県中央銀行』。中央の名を冠した県下随一の大型銀行。近隣県にも勢力を広げ、経済誌の地方銀行ランキングでも上位に名を連ねている。その『けんぎん』のハチマキが目立ったのは、購買者の減少著しい新聞社の忖度が働いたということだろうか。  その日の地域面で他に目を引いたのは、お悔やみ欄であった。  お悔やみ欄とは、故人の氏名、年齢、死亡日、葬儀場などを周知するためのものである。紙面の墓標とも言えるそこには、時折、酷く目を引く訃報が掲載されることがある。八〇代や九〇代の故人の横に並ぶ、極端に小さな数字がそれである。  その日のお悔やみ欄には『西野比呂(にしのひろ)』という故人の名があった。年齢は二十六歳。喪主は父親。斎場は県中央部の小さなセレモニーホール。  ――この二人が同じ日の新聞に載るなんて。  長い指が地方紙を閉じる。手早く畳まれたそれはストッカーに投げ入れられる。朝のリビングは光に溢れているのに、地方紙がもたらした情報が一瞬にして渦巻く闇を生み出した。長年恐れていた事態が起きた。清潔に整ったリビングの主は、迷いを吐き出すように大きく息をつく。  ――このままで終わるわけにはいかない。  マグカップにはコーヒー。となりにはトースト。日常が始まるはずだった朝。でも知ってしまったからにはもう戻れない。戻れるはずがない。  覚悟を決める。また人の命が失われたのだ。『西野比呂』が死んだ。  代償は、払われなければならない。
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