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第6話
昨日は結局休んでしまった。翌日の勇人はマスクをし、いかにも病み上がりを装ってバスに乗り込んだ。七時五十分のバスは学生でいっぱいだった。勇人が通った、県立高校の水色のチェックの制服がバスをうめている。
男子生徒のバカ騒ぎと女子生徒の噂話。揮発するような学生達のパワーが、今の勇人にはひどく苦しい。どっと笑い声が起きて目を上げると、前方の男子生徒のグループの屈託ない笑顔が目に入った。彼らにとってはきっと学校も楽園なのだろう。そこには支配者などいないに違いない。
学生たちが降りていく。急に静かになる車内。次はオサダ。瞼にパーティーの夜の凛の笑顔が浮かぶ。胸ポケットのスマホがいやに重い。
『潤が見つかりません。出版社の方も探しています。ご存知の方DM下さい。#拡散希望 #寺岡潤一』
朝一番の凛のツイートである。思い出すだけで鉄球を飲み込んだかのように胃が重くなる。蘇る画像。紙袋片手に笑う寺岡。素人臭いケーキ。夜の住宅街。血で染まったサバイバルナイフ。何が起きているのか、考えなければならない。勇人は頭痛を振り払おうと首を激しく横に振った。
寺岡が消えたのだという。恋人である凛が言うのだからそれは事実に違いない。実際寺岡のSNSの更新は途絶えた。そしてking-boldから届いたDM。あの動画。衝撃に固まった寺岡の表情。king-boldは完全犯罪だと言った。寺岡は、本当にking-boldに殺されてしまったのだろうか。
一体何が起こっているのか、勇人には理解できなかった。意味不明の前衛芝居の中に放り込まれたような気分だった。あるいは寺岡が書く、ミステリーという分野はこんな風な世界なのかも知れない。
寺岡の職業は作家である。凛と同じ県内の国立大学在学中にデビューし、犯罪をテーマにした著作は売れ行きもいいらしい。だから勇人はますます寺岡を憎まざるを得なくなる。社会的に高い地位を持ち、大金を稼ぎ、美しい凛の身体を自由にする権利を持つ寺岡。
長身でスマートで豊かな髪を持つ。顔の造作は勇人に分があるはずなのに、この違いは何なのか。憎かった。寺岡がSNSで自身の栄華を誇るほどに憎しみが増した。寺岡など消えればいいと願い処刑を望んだ。けれどそれは、その命令を遂行する者などいるはずがないと知った上でのことだったのに。
重い足を引きずり会社に向かった。そのたっぷりとした贅肉の背中を、やけに派手なブラウスを着た女が通りの向こうから眺めている。
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