たかが世界の終わり

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たかが世界の終わり

セキュリティ技術の発達によってクラッカー(つまり悪意あるハッカー)たちの数は目に見えて減った。単純に現在のセキュリティに対して個人で所有できるコンピュータでは計算処理能力的に太刀打ちできなくなっていることに加え、暗号化技術や分散処理技術などの発展でその行為によって得られる利益と労力が釣り合わなくなってきたからだ。 コンピュータ関連の技術はほとんどが自動化され、日常業務でそれらを扱っている人にとってもブラックボックスが増え続けていた。中には機械語を操る昔ながらの凶悪なクラッカーも存在したが、そのような能力を獲得する労力を払う人間はもうほとんどいないのでいずれ絶滅してしまうのではないだろうか。 そんな状況で今日、世界的な停電が、あるひとりのクラッカーによってもたらされた。分散する様々なシステムが世界中で同時にハッキングされたのだ。 彼がやってのけたもの、それは電子回路のハッキングだった。 「被害は?」 「わかりません」 「やつは何者なんだ」 「わかりません」 「いったいなんだったらわかるんだ?」 「わかりません」 男のもとへ寄せられる情報には何一つとして新しいものはなかった。誰もこの状況を理解できていない。この状況をもたらしたと言っているその人物以外には。 男は目の前の巨大モニタに繰り返し流れ続けるその動画に目を向けた。 「私はあなたがたを救うためにこのようなことをしたのです」 現在のアメリカ大統領の声でそれは告げる。映像は今年世界で一番美しい顔に選ばれた女優だった。彼女の口の動きに合わせ、大統領の力強い声が流れる映像にはぞっとするところがあった。 「地球人はもう、自らの手で更生することのできないところまで来てしまいました。繰り返される争いは見るに耐えません。ですから今後、地球人は私が管理します」 「いったいこいつは何を言っているんだ?」 男は隣で呆けたような顔をして動画を眺めている部下に尋ねた。部下は嬉しそうに一度頷くと男の方を振り向いた。 「私たちは救われるのです」 「救われる?」 その瞬間、部下が自分の首を締めあげ始めた。男は慌てて手を離させようとし周りのものを呼んだが誰も反応しない。そして男はまわりのうめき声に気づいた。みながみな、自分の首を自分で締め上げているのだ。 「何をしているんだ!」 しかしやがて男にも同じ命令が下された。その命令が脳内にあるICチップに入力された瞬間、男が感じたもの、それは底知れぬ幸福感だった。すべてはひとつになるという、なんとも言い難い安堵がもたらされた。 そのハッキングはいつから始まっていたのだろう。集積回路というものはひとつの企業で完結するものではない。チップメーカーがさまざまな専門分野の企業に部分的な開発を委託し、それらをくみ上げることでできるものである。 そのどの段階で、どのようなギミックが組み込まれているのか、すべてを把握しているものはいない。つまり情報セキュリティ技術に比べ、集積回路はハッキングに対してあまりにも無防備だったのだ。 そして今日もチップは生産されている。集積回路クラッカーに操られた人類が、赤子の頭にチップを埋め込む。
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