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03 お前は誰だ
こつん、という小さな音で男は目を覚ました。
ベッドの中で伸びをしてから上体を起こし、窓へと目をやる。白いカーテンの隙間から、朝の日差しが漏れていた。
男は床へ足をつき、窓際へ向かう。手を伸ばし、半分ほどカーテンを開けた。
空を見れば、雲一つない晴天。気分が晴れやかになり、寝起きの怠さが吹き飛んだ。
「ヴィー、朝だ」
ベッドへ戻り、固く目を閉じ眠っている黒髪の女を揺り起こす。長い睫毛が震えたが、覚醒を拒否して、日光から顔を背けた。
「眩しい、閉めて」
小さな声で訴える。そして、寝たまま男にすがり付いた。
「寒い」
肩をむき出しにして眠っていたからだろう。男は苦笑して、寝具をかけ直してやった。
掛布に残る男の体温を感じ安心したのか、女は再び眠りについたようだ。男は柔らかく微笑み、女の頬にかかる黒髪をそっと退けてやった。
そのとき、またこつんと音がした。窓になにか当たったようだ。
鳥や小動物ではなさそうだ。足音を殺して確認に向かう。
控えめにカーテンを開けて見下ろすと、裏庭にシェリルが立っていた。こちらを見上げて、尋常ではない形相でなんらかのジェスチャーをしている。どうやら、早くここまで下りて来いということらしい。
了解を示すため、親指を立てる。
そして女を起こさぬよう、静かに寝台から離れようとしたが――。
「どこへ行くの」
腕を掴まれ振り返ると、女が薄目を開けていた。
気怠げで無防備な女は、普段の冷たい姿とのギャップもあって、たまらなく可愛く見えた。
「シェリルが呼んでいる」
「……そう、だったら、行ってちょうだい」
女はシェリルに優しい。シェリルが必要としているならばと、あっさり解放される。
「私も、すぐに起きるわ」
女はそう言うが、彼女の『すぐ』は果たしてどれほどのちに訪れることか。
「風呂を用意しておくよ」
「ええ」
女は満足そうに頷くと、一度は放した男の腕を、再度引っ張る。
彼女が何を求めているか理解した男は、その望み通り、顔を寄せてくちびるを重ねた。女は当たり前のように舌を入れてきたので、男は軽く噛み返す。
『彼ら』にとって、くちびると舌と歯での接触は、親しい者の間でごく自然に行われるコミュニケーションなのだという。最初はどぎまぎしたが、今はこちらも自然と返すことができる。
その口づけが終わると、女は男を追い払うように背中を向け、二度寝へと落ちていった。今のキスはさしずめ、『おはよう』と『いってらっしゃい』の入り混じった挨拶といったところだろう。
男は伸びをしながら部屋の出入り口へ向かう。胸の中には、穏やかな幸福感。
精緻な彫刻の施されたドアノブを握り、軽やかな心情のままに力いっぱい扉を押し開く。
途端、ごつんという衝撃。
「ぎゃっ!」
続く悲鳴。
やっちまった、と慌てて廊下へ顔を出し、被害者が何者かを確認する。聞いたことのない声だった。
「酷いじゃないか、ヴィー!」
自分と同じ歳くらいの黒衣の青年が、頭を抱えて蹲っていた。髪の色は珍しい銀色で、中央で左右に分けて、白い額を出している。
初めて見る顔だったが、自分と女を間違えて親しげに話しかけている様子から、不審者ではないのだろうと推察した。
「あの、ごめん、大丈夫か?」
話しかけると、銀髪の青年は凄まじい勢いで顔を上げた。目が合う。これまた珍しい、金色の瞳だ。
美形だ、と素直に思っていると、青年は秀麗な顔を歪め、大音量で絶叫した。
「お前は誰だぁっ!!」
「あー、その、俺は……」
「お前、いや、貴様ッ、ヴィーの部屋からなぜ一体どういうっ!」
青年は支離滅裂なことを口走る。怒りと混乱で頭と舌が回らないようだ。
なんと説明しようか迷っていると、痺れを切らしたように部屋へと侵入していく。
「ヴィー! 起きているのかい? この男は一体……」
青年の顔面に、白い枕がぶつかった。
人外の剛力による投擲。その威力は尋常ではなかっただろう。それを証明するかのように、青年はひどく醜い悲鳴を上げ、ひっくり返る。
「ああ、うるさいッ!!」
屋敷の主はベッドから身を起こし、不機嫌極まりない様子で髪をかき乱していた。
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