未来人

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未来人

 深夜、不審者が住宅街を彷徨いているという通報が管轄の交番に入った。どうせ酔っ払いだろうとなり、誰が現場に向かうかトランプの大富豪で決め、結果大貧民の俺が渋々自転車を走らせることになった。  通報のあった場所に辿り着くと、俺は酔っ払いを探した。それらしき人は見かけないなとノロノロ運転してると、サングラスにマスクという出で立ちのいかにもといった男が電柱の前で佇んでいるのを見つけた。何が酔っ払いだと俺は小言を吐いた。 「あのーすみません」  俺は自転車を降りながら穏やかな口調で男に話しかけた。男は黒光りのサングラスをこちらに向けるのみ。 「ここらへんで不審者が現れたと通報が入ったのですが、ちょっと身分証明できるものお持ちですか?」 「やっぱ遅かったじゃないか」 「はい?」  意味がわからず、俺はそう聞き返した。 「私が通報したのだよ」 「ええ?」 「つかぬことを聞くが、今日は西暦何年何月何日なんだ?」 「さっきから言ってる意味がよくわからないんですけども」  ああ、このパターンは酔っ払いより面倒臭い。早く帰りたい気持ちに俺は駆られた。 「だから通報したのは私で、今日は何年何月何日なんだ」 「自分で自分を通報したんですか?」 「そんなことをする馬鹿がどこにいる。不審者はもうじき来る。それより早く今日が何年何月何日か教えてくれ、時間が惜しい」 「2019年9月30日ですけど……ってまるで未来から来た人みたいなこと聞くんですね」  男がニヤリと笑ったような気がした。 「だったらどうする?」 「ふん、まさか」  こいつはいわゆる厨二病というやつだろうか。いい歳して可哀想に。 「とりあえず、どうやら上手くいったようだな」  タイムトラベルがとでも言いたいのだろうか。 「じゃあ次に何時何分何秒だ?」  はぁ、と俺は溜息をこぼしながら腕時計に目を落とした。 「23時46分12秒」  気だるげに俺は告げる。 「今から27秒後にグレーのスーツを身にまとった、やや挙動不審の男がそこの曲がり角から姿を現す」  そう言って男は俺のいる反対側の方の曲がり角を指さした。 「はいはい、もう設定はいいから交番まで同行してね」 「待て待て。あと24秒後にその男が出てこなかったら私を連れて行ってくれて構わない。その代わり、私の予言通りのことが起きればちゃんと話を聞いてくれ」  はぁ、と俺はまたもや肩を落とし「ああ、わかったよ」と仕方なく待つことにした。  男が「20、19、18……」とカウントダウンを進めていく。俺は自転車のサドルに肘を休ませながらその角をぼーっと眺めていた。 「5、4、3、2、1……」  誰も来ないじゃないか、そう俺が言葉を発しようとした時、人影が現れた。俺は肘を置くのをやめ、その出てきた男をじっと見つめる。まさにグレーのスーツで、どこか落ち着きのない男だった。 「嘘だろ……」 「な、言った通りだろ」  マスクをしているので分からないが、その奥で笑みを零しているに違いなかった。 「本当にあんたは未来から来たのか」 「ああ。今から28年後の世界からね」 「ならなんでそんな紛らわしい格好をしてる」 「タイムパラドックスって知ってるか」 「聞いたことは」 「今この世界では私という人間が二人いることになっている。もしそれが他人に知られてしまえばそれが事実となってしまい、未来に悪影響を及ぼす可能性が出てくる。そのためのこれだよ」  男は自分のこめかみあたりを二三度指で突いた。わかったようなわかってないような気分だった。 「俺はいいのか?」  男は直ぐに答えなかった。 「……君は特別だ」 「どういう意味かさっぱりだな。まあいい、っでその未来人がわざわざ何しに?」 「あの若い男」  男がスーツの男を指さす。距離が遠いせいなのか男の冷静さが欠けているのか、向こうはこちらの存在には気づいていないようだった。 「三つ先の家で一回立ち止まり、そこから住宅街を一周してまた元の位置に戻ってきた時、あいつは目の前の家に放火する」 「ええ?」 「私はそれを阻止しに未来からやってきたんだ」 「でも、なんでまた」  なんでその家のために、と俺は聞こうとした。 「私はあの家に住む家族の父親だった」 「はあ……なるほど」 「不幸なことに私だけが生き残ってしまったんだ。それからの人生は全く最悪だったよ。私はまるで生きた屍だったさ。日々後悔の念に打ちひしがれてたよ。そんな時に転機が訪れてね。タイムトラベルが可能な時代になったわけさ。それで私は大金をはたいてこうしてやってきた」  男は語尾を強めて言った。サングラスの向こうの目には様々な覚悟が表れているはずだった。 「それは分かった。じゃあ警察を呼んだ意味は」 「一人じゃ不安だろ?」 「それだけか?」 「いいや、もっと大事なことがある」 「それを先に言ってくれ」  この男と話していると一気に疲労が蓄積されていく感じがした。 「勿体ぶるのが趣味なんでね。それで君を呼んだ理由だが、過去の恨みを晴らすためだ」 「過去の恨みだって? 俺になんの恨みがあるって言うんだ。俺はあんたと初対面だ」 「君はね。でも私は違う。ここに来る前の世界に君と会っているんだ」 「その世界で俺は何をしたんだ」 「何もしなかった」 「はい?」  さっきから回りくどい言い方をする。 「ここに来る前の2019年9月30日、私は同じように警察に通報した。でも、君がやって来たのは既に私から全てが失われた時だった。私は君に問いたよ。なんでこんなにも来るのが遅かったのかとね。そしたら君は泣きながらこう答えた。トランプをしてて遅れましたとね」  きっと俺の顔は引きつっているに違いなかった。返す言葉を探したが見つからなかった。 「だから今ここで君に誠意を見せて欲しい」 「誠意?」 「君の腰にぶら下がっているそれは単なる飾りじゃないだろ?」  男は俺の腰に目を移した。 「まさか撃てって?」 「額に一発だ」 「冗談だろ?」 「ああ、冗談だ」 「お、おい。からかうのはよしてくれ」  この男は一体何を考えているのか。少なくとも未来から家族を助けに来たヒーローには到底見えなかった。 「私は病気で足を悪くしていてね。今こうして立っているだけでもやっとなんだ。だから私の代わりにあいつを捕まえて欲しいんだ」 「それも冗談か?」 「さあ、どうだろうね」  俺は男のサングラスの奥を覗くように見据えた。 「わかりました。ご協力に感謝します」  俺は男に敬礼した。  ちょうど話が済んだ時、スーツの男が一周してちょうど元の位置に戻る瞬間だった。俺は急いでその場に駆け寄った。 「おい。そこで何してる」  スーツの男が慌ててこちらを振り返った。ライターの光が色のない顔を灯している。汗もべっとりだった。 「ち、違うんだ私は……」  俺はそこでとてつもない違和感に襲われた。モヤモヤとした霧が心中を渦巻いている。なんなんだこれは。頭の中で糸と糸が絡まってしまったような感覚。 「ゆ、許してくれ……私は……私は……」  その時、俺の中で何かが弾けた。この声……。 「まさか」  俺は振り向いた。さっきいた場所に目を向ける。  しかし、もうそこに男はいなかった。
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