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第六話 うんめいの出会い。
大学卒業後、仕事をしつつ暇を見て書いては応募していた趣味の小説。
それが小さな賞を取った俺は、そのまま小説家としてふわっとデビューした。
特別凄いわけではないがそれなりにお手元にとっていただけるお手軽な作家として、五年経った今も、どうにか食うに困らず生きている。
世間のお陰様だ。
人相が悪いのと人付き合いが不精なので作家になりたいと思ったのが始まり。
そんな不健全な作家だが、誰かに読まれ親しまれると嬉しいものである。
今の俺の席は、郊外の土地に買ったこの家の仕事部屋に一つだけ。
隣の席なんてない。
家だって一つきり。
関わる人だって小説の題材にした職業の人たちに電話やチャットでインタビューさせてもらうか、担当さんと話すだけ。
パーティーや打ち上げはどうしてもという場合しか行かない。
愛想は良くないが、そのかわり俺は締め切りを絶対に守るし、どんなジャンルも欲しいと言われればチャレンジする。それが恩返し。
奇跡信者の俺は、もう奇跡なんていらないと思ったのだ。
アイツと俺は、あのトイレの扉を挟んで決して触れ合わずすごすのが正解だった。あれをこじ開けたのは間違いだった。
胸の傷はもう膿んでぐちゃぐちゃだ。
これ以上は心が、溶けてしまいそう。
リビングでお茶の準備をしながら、俺は時計をチラリと見た。
俺とここまで連れ添ってくれた担当さんが、今日から新しい担当さんに変わることになり、出迎えの準備をしている。
俺の数少ない関わる人なのだから、担当さんたちは大事にしたいのだ。
「そろそろだな……お」
ちょうどいいタイミング。
もうすぐと思ったところでピンポーン、と呼び鈴が鳴り、俺はいそいそと玄関に向かう。
トントン、と草臥れてブカブカのスニーカーのつま先をタイルで整えて、玄関の扉を勢いよく開く。
「はーい」
「イッ……!」
「!? す、すみません!」
しかし勢いよく開きすぎた扉が外にいた来客にゴンッ! と直撃してしまい、鈍い音がした。
俺は謝りながら焦って扉を開ける。
まずい、新しい担当さんだろう人を初手でキズモノにしてしまったかもしれない。
慌てて玄関から飛び出すと、そこには震えながら額を抑えて俯いているスーツの男。
「大丈夫ですか!? 怪我、は……」
「つぅ……大丈夫です、ちょっとこぶができた、……っ」
男が顔を上げる。
最後に見た時より大人びた男の顔。
子どもの頃みたいに赤くなった額に、焦げ茶の髪がさらりと風に揺れてかかった。
胸の傷から、膿がゴポ、と溢れる。
喉の奥で小さく声になりそこねたモノがキュッと縮み上がった。
お互いの見開いた瞳がかち合う。
──……あぁ。
また、こうして繰り返すのか。
すれ違っても、別れても、逃げ出しても、繰り返す。
俺たちは何度、出会ってしまうのか。
「ポ、チ……」
消え入りそうな声とともに、目の前のアイツの目尻から──ひと筋の雫がこぼれ落ちた。
震える手がゆっくりと俺に伸ばされる。
俺は後ずさり玄関の扉に背をぶつける。
もうひと筋、アイツの心が溢れる。
俺はキツく唇を噛みしめる。
溢れる、溢れる、溢れる。
伸ばされた手が、俺の頬に恐る恐ると触れる。迷子の子どものような、頼りない手。
俺はそれを振り払えなくて、ゆっくりと目を伏せた。
どうして、この手はこんなに愛おしい、離れ難い体温をしているのだろう。
出会いなんていらない。
悲痛な別れがくるのなら、いっそ出会わなければイイ。
出会いと別れがセットなら、奇跡ではなく呪いでしかないのに。
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