5 ヤキモチ

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5 ヤキモチ

 そして翌日。  勤務から帰って一度着替えた百花を見て、再びカイリの眉はつり上がった。 「何その短いスカート」 「いや、短くはないでしょ」  百花がはいたのはちょうど膝が隠れるくらいの丈のプリーツスカートである。この程度の長さで短いなんて言ったら、世の女子高生たちはどうなるというのか。 「大丈夫だって、このくらい普通だよ」 「嘘でしょ!?」  もっと長いスカートはないのか、とか、ズボンはいていけばいい、とか。言っていることが保護者そのものだ。 「もー大丈夫だってばー! じゃ行ってくるからね!!」  だんだんカイリをいなすのに疲れた百花は、話途中で無理やりに家を出た。「あ、ちょっと!」とカイリの憤る声が聞こえてきたが、かまっていられない。アパートの階段を駆け下りて、駅までの道を走った。  特に行きたいわけでもない合コンだというのに、行く前からやいのやいのカイリと騒いできたせいで、会場についた時には百花はどっと疲れていた。都心に出るのも久しぶりで、人の多さに辟易したというのもある。  友人が連れてきた男性陣は、大手商社の営業マンで皆一様に『できる男』なオーラがあった。明るくて社交的で華やかで、ちょっとした圧迫感すらあるほど。 (カイリ、怒ってるかなぁー)  店に入る前に『いってくるね』とメッセージを送ったが、既読はついても返信はない。  どこか気になりつつ、それでもみんなでわいわいと飲み食いして、ほろ酔い気分で一次会は終わった。    よし、義務は果たしたと『いまからかえります』とカイリにメッセージを送る。そうして挨拶もそこそこに帰ろうとした百花の肩を、店で隣に座っていた男がつかんでとめた。 「百花ちゃん、次も行くでしょ?」 「ううん、今日はもう帰るよー。ほんとごちそうさまでした!」  にっこり笑って、肩の手がはずれるように一歩踏み出す。が、相手の手は外れないどころか百花の手首を握って来た。店で話している時はそんなふうに積極的な雰囲気はなかったのだが、まさかの強引系男子だったようだ。 (そこまで愛想振りまいてなかったのに、何かがストライクゾーンに入ってたのか!)  困る百花に気づいていないのか、男は「二人で飲み直そうよ」と更に無茶な提案をしてきた。助けを求めて彼の後方から様子を伺っている友人たちを見ても『がんばれ!』なんてまとはずれなアイコンタクトとともに背を向けて行ってしまう。他のメンバーはどうやら二次会へと流れて行くようだ。 (こ、これはまずい流れだ!)  百花は精一杯の作り笑顔で「今日はもう帰らなきゃならないから、ほんとまた次の時で……」と再度断りを入れる。が、相手はすっかり酔っ払っているのか、百花の声が聞こえていないようで「百花ちゃん、バーとか行く方?」なんてとんちんかんな質問を投げかけてきた。 (バーなんて行かないから!)  とりあえず手首を解放してくれないだろうか。動けない。というか、駅とは反対方向に連れて行かれそうだ。空気読め! はなしてくれ! と少し大きな声で言おうと決めた時、不意に男の体が崩れ落ちた。拍子に、百花の手も自由になる。  男はがくんと膝をついて「あれ?」なんて言っている。自分でも何が起こったのかわかっていないようだ。 「ど、どうしたの? 酔いがまわっちゃった?」  相手の突然の変調に、あわてて様子を見ようとしたところを、背後からまた腕を引っ張られ「ぎゃあ」と変な声が出た。 「行くよ」  耳元で聞こえたのは、アパートにいるはずのカイリの声。びっくりして振り向くと、おそろしい形相のカイリと視線が合った。夜の薄暗さの中、青い目が光っている。さながら肉食獣のような獰猛な光だった。 (お、怒ってる!)  ぐいぐい腕を引っ張られ、百花はあわててそれについて行った。 「ちょっと……カイリ、あの人に何かした?」 「ほんの軽く手刀入れただけ。別にすぐ起き上がれるだろうし、心配ない」  手刀……ってあれか、時代劇とかでよく見る峰打ちっぽいやつか。そばにいたのにまるで何が起こったのかわからなかった。音もしなかったはずだ。 (なんて早業……忍者みたい)  一応今日の店は知らせておいたけれど、まさかずっと店の前で待ってたのだろうか。  いつからいたのか、夕食はどうしたのか、もろもろ聞きたいことはあったけれど、どれもこれも聞ける雰囲気ではない。  ずんずんと先を急ぐカイリに引きずられるようにして、百花は帰りの電車に乗せられた。腕をつかんでいたカイリの手は、いつのまにか百花の手を握っていた。なかなかの力で握り締められて少し痛かったが、それが彼の怒りやら心配やらを体現していると思うと、百花も同じだけの力で握り返してせめてもの誠意を見せるしかない。  お酒でぼんやりした頭で電車に揺られながら、口を一文字に結ぶカイリを眺める。  どちらかと言えばカイリは感情の起伏があまり表に出ないタイプだと思っていたのだけれど、今のケースに関してはそれはあてはまらないようだ。いまだかつて、ここまでカイリが不機嫌な様子になっているのは見たことがない。  ……これは機嫌を直してもらうのに、結構な努力が必要かもしれない。 (大丈夫って大見得切ってあれだったからなぁ……説得力ない)  よりによって今日の合コンであんなことが起こるとは、ついてないにも程がある。今まで何度か合コンには参加したことはあるが、連絡先を交換したり次の約束をすることはあっても、あんな強引に引っ張るような人はいなかった。  最寄り駅に着いて改札を抜けても、カイリは百花の手をつかんだままで、そして無言だった。なかなかの圧迫感に耐えきれず「心配かけてごめんね」と声をかける。カイリは相変わらず仏頂面だったが、片眉をあげて百花の言葉に反応した。 「あの人、意外に強引だったから困ってた。助かったよ」  ありがとうとお礼を言う百花に、カイリはため息をついて「僕がいなかったら、どうするつもりだったの」とにらみつけてきた。  その大きい目から放たれる鋭い視線で射抜かれそうだ。  百花は「そうだねぇ」と視線を外しながら「なんとか手を振り払って、走って逃げた……かな」と答えてみた。実際そうする一歩手前だったわけなのだがそこは言わずにいると、カイリが手の力を強めた。 「それ、できたと思う?」  振り払ってみてよと言われ、げげっと思いながらもそれを試みる。案の定というかーーカイリの手は離れなかった。無言でみおろすカイリの視線が痛くて、もう見ていられない。百花は再度謝って、もう何も言わずにアパートを目指すことにした。  結局カイリのぶすっとした表情をとりなすことができないままアパートに着き、とりあえずシャワーをあびてこざっぱりしてからリビングに戻って来ても、帰った時と同じくカイリの口は真一文字だ。  ベッドにどかりと座って腕を組んでいることから、いまだ怒りは継続中のようだ。空気が重たい。 (いくらなんでも怒りすぎじゃない?)  あんなに謝ったし、助けてくれたお礼も言ったのに、これ以上どうすりゃいいんだよ!   と叫びたくなったが押しとどめて「カイリもシャワー行ってくる?」と声をかけてみる。カイリは「いい。それより、モモカに話がある」と重苦しい口調で言った。 (また説教か……)  げんなりと肩を落として「なに……」と水を向けると、カイリは「モモカは僕のことなんだと思ってるの」と言った。 「何って言われても……」  予想外の質問に百花はじっとカイリを見つめる。ふわっとした猫っ毛に大きな丸い目、なめらかな肌質は、アイドル然としている。ボーダーのロンTにジーンズというシンプルな格好がよく似合い、スタイルも抜群だ。 (モデルになるには背が足りないけど、アイドルならいけそう……)  百花が160センチなのだが、立った時にそこまで視線をあげる必要がないので、カイリはおそらく170センチくらいと予想していた。めちゃくちゃ愛想が良くて、歌とダンスができれば……。と、ここまで考えて、自分の思考が完全に脱線していることに気づいて、あわてて「ちがうちがう」と百花は首を振った。 「何が違うの」  すかさず突っ込まれて「いや、ごめん。心の声が出ちゃった。えーと、カイリのことね。カイリのことは……」と改めて考えてみる。 (友達? 家族? どういう枠になるんだろう?)  あんまり突き詰めて考えたことがなかったから、そのどちらも少し違和感がある。  はじめは唐突な侵入者で、病気が発覚して世話をすることになって、退院して一緒に過ごすようになって、多分普通の友達以上に近い存在になっている。衣食住をともにしても全然違和感がなくて、一緒にいて楽しくて、どこか安心感があってーー。 (カイリは、もうわたしの生活の一部になってるんだよなぁ……)  となると、家族だろうか。  多分それが一番近いのかもしれない。年齢的には弟になるけれど、カイリがしっかりしているため、最近はあまり年下に見えなくなっていた……でも兄という感じでもない。 「つきつめて考えると難しいね! いい言葉が見当たらないよ」 「……そんなに悩むこと?」 「うん。でも家族みたいな感じで大事だなって思ってるのは確かだよ。きょうだいって感じもあんまりしないんだけどさ」 「──当たり前でしょ」  どうやら百花の答えには不満があるようで、カイリは眉根を寄せたまま立ち上がった。つかつかとそばにやってきて「なんでそこで恋人って選択肢が出てこないの」と怒気をにじませた。 「恋人? いや、それはちょっとありえないでしょ」 「なんで」 「なんでって……」  そりゃそうでしょ。住む世界が文字通り違うし、いつか離れ離れになるかもしれないし、と言いかけて、百花は口をつぐんだ。カイリの表情がものすごく険しかったからだ。ぎゃあっと小さく叫んで、百花は後ずさった。その分カイリも距離を詰めてきて、えも言われぬ迫力を感じる。そこから導き出される答えは、もしかしたら……。 (いや、まさかとは思うけど……でもありえなくもない……のか?) 「……わたしのこと、好きなの?」  聞いた瞬間カイリが目を見開いたから「あ、いやごめんごめん、つい出来心で──」と百花は冗談に変えようとしたのだが「そうだよ」と肯定の返事がきた。 「モモカのことが好きだよ。──気づいてたでしょ?」 「いや、全然」 「はあ!?」  眉をつりあげるカイリに「わかんないでしょ普通!」と百花もついに大声で反論した。  この一ヶ月、カイリは全く異性を感じさせないスマートな同居人だったのだ。百花の風呂上がりの姿を見てドキっとしている様子もなく(逆はあったのだが)、夜にベッドと床に分かれて眠る時もものすごい寝つきの良さだし、女の子と言うには無理があるがどこか中性的な存在だった。  そんなカイリが百花を恋愛対象として見ていたなんて、にわかには信じがたい。 「そんな素振り、ひとっつもなかったよね? 気づくわけないじゃん」 「毎日メッセージ送ったり、食事作ったりしたのは、なんでだと思ってたのさ」 「それは、家に置いてもらってるお礼的なものかと……」 「もちろん、それはある。僕がモモカに返せることはそれしかないから。でも、天気がいい日は布団をほしたり、洗濯物にアイロンをかけたり、モモカが生活しやすいように僕なりに苦心したつもりなんだけど」 「いや、そこは本当にいつだって感謝してるよ! いつもありがとう、カイリ!」  純粋な厚意というか、彼からしたら責務みたいにとらえていると思っていた家事が、好意の発露だったなんてどうして気づけるだろう。スーパー主婦みたいだなと常々思っていたけれど、その『スーパー』の部分がおそらく彼の好意分の上乗せだったのだ。  わかりにくいことこの上ない。 「──もういい」  低く呟いたカイリに「え、ちょっとまって! お願いだから今の家事のクオリティは下げないでー!!」と懇願すると「そういうことじゃない!」と一喝された。そしてカイリが一歩踏み出して、百花の両肩をつかむ。 「モモカが僕のことを好きなのはわかってる」    言いながら、カイリは百花に口付けた。
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