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2 美少年のあれこれ
その後すぐに、カイリの意識は混濁した。
咳こんでは血を吐き、熱い身体とは裏腹に命の灯が儚くなっていくように感じたのは、百花の錯覚ではないだろう。
救急車が到着し、一番近くの総合病院に運ばれてからも、すったもんだの大騒動だった。
搬送されてすぐに検査を受けたはいいが、数値が未知なる値だったそうで、医師たちは大混乱。血を抜いても血液型すら判明せず、とにかくカイリ自身の症状から考えられる治療を、まるで実験をするみたいに片っ端から試し、なんとか彼の病は肺の感染症である可能性が高いとアタリをつけられたのだそうだ。
百花に説明をしに来た医師はぐったりしていた。
このまま入院して、様子を見ながら治療を続けると言われ、百花は頭を下げて病院を後にした。ひとまずカイリの生命は助かった。入院手続きをしにまた来てくださいとは言われて生返事をしつつ、あまりの眠さにふらつきながら病院を出る。
とにかく眠かった。色々なことがありすぎて、頭がもうろうとしていた。
アパートまでのタクシー代は痛い出費だが迷わずタクシーに乗り込み、そして、自分の部屋でベッドに倒れこんだ瞬間から眠っていた。
次に意識が浮上した時、当たり前だが陽は高くのぼっていた。
時計を確認すると午後二時を過ぎている。よく寝たなぁと大きく伸びをしてベッドから出ると、真っ先にベージュのラグに染みた血痕が目に入った。
昨晩カイリが吐いた血であるのは明白で「あちゃー……」と百花は頭を抱えた。結構時間がたって、色は茶色へと変色している。そこをウェットティッシュで一度ふいた後、そのそばにある不自然に盛り上がった部分のラグをめくった。
そこにあるのはかなりくたくたになっている革のベルトと短剣。昨日カイリが身につけていたものだった。
彼が倒れこんだ時に短剣が目に入り、まさかと思ってはぎとったのだ。レプリカかもしれないが、誤解を生むのも面倒くさいことになる。
「まさか……ねぇ……」
短剣を手に取り、その重みに一瞬息がつまる。木製の鞘から少しずつ短剣を引き抜くと、鈍い色で光る金属の刀身が出てきた。重さといい厚みといい、プラスチックではなかった。
「本物……」
やっぱり隠しておいて良かった。全長二十センチくらいだろうか。果物ナイフにしては立派すぎるし、これを携帯していたら明らかに怪しい。百花はため息をついて刀身を鞘に戻した。
そしてもう一つ、ベルトにくくりつけてある巾着袋を今度は開けてみる。
「何か、身元がわかるもの……」
早く彼の両親に連絡して、病院に来てもらわないといけない。身体があんなになるまで放っておかれたということは、もしかしたら不遇な環境なのかもしれないとは思うけれど。
巾着袋の中には、身分証になるようなものは何も入っていなかった。あるのはビー玉のような石ばかり。たったひとつ小さく折りたたまれた紙は見つけたけれど、ミミズのような線がのたうっているだけで、何なのかまるで分からなかった。
「やっぱり本人に聞くしかないかぁ……」
どっちにしろ一度病院には行こうと思っていたのだ。ベルトや短剣は退院後に返すことにして、クローゼットの奥にしまう。そして百花は病院へ向かうことにした。
◆
百花が看護師に案内されてカイリの病室をのぞくと、彼は眠っていた。
腕からは点滴の管が伸びて、顔色は真っ白。病人そのものだ。
「様子、見にきたよ」
小さく呟いて、百花はベッド脇の椅子に腰掛けた。感染症病床のため百花は微粒子マスクをつけていて、おそらく声はほとんど聞こえなかっただろう。カイリは何の反応も見せずに眠り続けている。あどけない寝顔もきめ細かい肌も彼の若さを主張していて、だからこそこんな少年があんなにひどい状態だったことに胸が痛んだ。
死ぬかと思った。
あんなに苦しそうで、血をたくさん吐いて、もう助からないのかもしれないと一瞬思った。見ず知らずの他人相手だとしても、ものすごく怖かった。
だからこうして無事な姿を見られて、百花の胸のつかえがすっとおりる。
「落ち着いて良かった……」
深い息とともにこぼすと「ありがとう」という返事とともに、カイリの目がゆっくりと開いた。いつのまにか起きていたらしい。彼の目はやっぱり青かった。
「あ、ごめん。起こしちゃったね」
「いや、そういうタチなだけ」
カイリはゆったりと体を起こして、座る百花と目線を合わせると「僕、生きてるんだね」と呟いた。自分の腕に刺さった点滴を興味深そうに眺めている。
「当たり前だよ、ちゃんと生きてるよ。これから治療していったら、ちゃんと治って元気になるからね」
「……治るの?」
心底不思議そうにカイリが問いかけるから、百花は「大丈夫! さっき先生から聞いたから!」と大きくうなずいた。カイリが目をしばたかせ「本当だったんだ……」とこぼすから「お医者さんが嘘つくわけないでしょ」と苦笑してしまう。
「それで、入院手続きとかもあるし、家族に連絡したいの。スマホ持ってないのはわかったから、連絡先教えてくれる?」
「家族はいない。連絡先もない。というより、つながらないと思う」
「つながらない? 電話止められてるとか?」
「デンワってなに?」
あまりに自然にたずねてきたけれど、その質問の内容は完全におかしい。
(嘘でしょ……。電話を知らないとかありえないでしょ)
何か変だ、と違和感を覚える。この感覚は、短剣が本物だった時の衝撃と似ていた。おそるおそる住所もたずねたが、カイリからは「知らない」とにべもない返事しかもらえなかった。
「いやいや、住所も知らないって……どこに住んでるのかくらいは教えてもらわないと……」
「モモカ」
不意にカイリが手を伸ばしてきて、百花の手に触れた。びっくりした百花を気にするそぶりもなく握りこみ「これから全部説明するよ」と低い声で告げた。
まっすぐな視線を受けて、百花はごくりとつばを飲む。
「きっと君は驚くと思うけど──できれば僕を信じて欲しい」
そう言いながら、カイリの目は不安の色を宿した。心もとない表情に彼の迷いのようなものが透けて見えて、気づくと百花は自分もその手を握り返していた。
「大丈夫。まずは話してもらわないと始まらないよ。ちゃんと聞くから」
にこりと微笑めば、カイリも同じものを返す。
かすかに細められた青色の瞳がうるんでいて、彼の美しさを更に際立たせた。その表情に心臓が跳ねる。
二十三年間の人生の中で、カイリのような美男子と接したことはほとんどないから、無意味に緊張してしまいそうだ。
(平常心、平常心!)
必死で心を落ち着かせるよう苦心しながら、百花はカイリの話を聞き始めた。
◆
結論から言うとカイリの説明は百花の想像以上で、聞く前のときめきは彼方へと消え去り、別の意味で心臓が早鐘を打つこととなった。
そのくらい衝撃的で、眉唾物で、荒唐無稽な話。
──カイリは異世界の住人だそうだ。
彼の祖国はオミの国と言い、現在隣接する帝国と戦争中。カイリはそこで戦争を終わらせるために色々と働いていて、ある任務でとある町の酒場のドアを開けたら、百花の部屋につながっていたとのことだ。
あいた口がふさがらない。途中からあまりに驚いて、相槌も打てなかった。
(こういうの、普通なら中二病ってやつだよね……)
いやいやまさか、と否定したい。
目の前にいる少年は、目の色さえのぞけば高校生にしか見えないのだ。髪の色だって黒だし、ふわっとした髪質も元々のクセ毛かゆるくパーマをかけているかという印象でしかない。
(でも……)
青い目は、コンタクトではなくて彼本来の目の色だとしたら?
腰に差していた短剣は、戦争中という状況で必要なものだったら?
そして常識を知らない素振りが、本当に初めて見聞きするものだからだったら?
信じられないと思う一方で、もしかしたら本当かもしれないとも思う。
「なかなか……ジャッジしづらいというか……ものすごい話だね」
正直な気持ちを伝えると、カイリは「わかるよ」とうなずいた。
「僕もそう思う。まさか自分にこんなことが起こるなんて思わなかった」
カイリの表情を見る限り、冗談を言っているようには見えない。ただ百花にはどうしてもひっかかることがあった。
(異世界って本当に実在するの……?)
ここがクリアできないと、本当の意味で信じられる気がしない。百花は別にリアリストなわけではないが、オカルトに興味はないクチだった。
「これで全部を信じてもらえるとは思わないけど……」
カイリは言いながら、自身の左手にはめている指輪を抜いた。それをサイドテーブルに置いて、口を開く。
「ーーーーーーーー!」
「え?」
耳に入ってきた音に、百花は目をしばたかせた。カイリが何か話しているのはわかる。けれど、その声が発する言葉が何一つわからない。初めて聞く外国語のように異質な響きを持っていて、その音を単語として認識できないのだ。
「ーーーー、モモカーーーーー」
かろうじて名前だけはわかったけれど、他はちんぷんかんぷん。
今の今まで会話が成立していたのに、どういうことだろう。
困惑しつつ百花が首を横に振ると、カイリは小さく笑って、百花の目の前に外したばかりの指輪をかざしてみせた。小さな青い石のついた指輪だ。
「これが何?」
百花が聞くと、カイリはゆったりした動作でその指輪を元のように左手の小指にはめた。
「僕が今何話してたかわかった?」
途端にカイリの声がクリアに聞こえてくる。
(一体どういうこと?)
返事をするのも忘れて、百花は口をぽかんとあけた。カイリは微笑んで「これ、僕の国の道具。これをはめると世界中どんな言語も適当に変換してくれる。僕はさっきも今も同じ言語を使ってたんだけど、聞こえ方違ったでしょ?」と確認してくる。
百花はうなずきながら、カイリの指で輝く指輪を呆然と見つめた。
(ものすごいトンデモグッズだな……)
「ちなみに動力は使用者の魔力」
「ま、魔力……」
(ファンタジー用語でた! 魔法がどうとか言ってたもんな……)
オミの国はもちろん、カイリのいる世界では、当たり前のように魔法が息づいているそうだ。視力や聴力と同じように、生まれつき誰にでも『魔力』が備わっていると聞いて、百花は天を仰がずにはいられなかった。
「魔法って実在するんだ……。じゃ、じゃあ、あれなの? 呪文を唱えたら、ぱっと炎とか氷が出たり、瞬間移動したりできるってこと?」
「別に呪文なんてないけど、できるよ」
「呪文ないの!? そしたら魔法陣とか!?」
「そういうやり方もあるけど、僕は使わない」
平然と百花の質問に答えるカイリに嘘っぽさを感じられなくて、百花はいよいよ信じるしかないのかという気持ちになってくる。それに追い打ちをかけるようにカイリが「とりあえず簡単なのを見せてあげるよ」と百花に向かって、両手を開いた。
無言でそこを注視していると、ぽんっと何かはじける音とともに丸い氷が出現した。
「!?」
カイリは百花の手をとって、そこに氷をのせる。こぶしよりもひとまわり小さなそれは冷たくて、手のひらですべるように溶け始める。本物の氷だった。
「つめたっ!!」
「ああ、ごめん」
ひょいとカイリが氷をとって、また破裂音。すると、彼の手に移ったはずの氷は消えていた。いまだ手のひらがじんと冷たい。それが目の前で起こったことの証左だった。
「すごい……ほんとに魔法だ……!」
おとぎ話のような、ゲームのような、ファンタジーな世界の片鱗に、百花の頬は紅潮した。自分はものすごい場面に立ち会っている。それを思うと、また鼓動が激しくなってくる。
その時、病室のドアがノックされて、看護師が入ってきた。検温の時間だそうだ。百花の姿を認めて「ご家族の方ですか?」と確認される。
「あっ……えーと……はい! そうです、関係者です! 笹原と言います」
(関係者って! 明らかに言葉間違った!)
咄嗟に出た言葉だったから、挙動不審気味になってしまった。看護師は一瞬眉をひそめたが「でしたら、この後一度入院手続きをしていただいてもよろしいですか?」と言い置いて、カイリに体温計を渡している。それが済んで看護師が出て行った後「……大丈夫なの?」とカイリが声をひそめる。
「だ……いじょうぶさ、きっと……」
完全に強がりだったが、百花はあははと笑った。
「こうなったら、わたしにまかせて! ちょっとまだ混乱中ではあるけど、これも何かの縁だから!」
とりあえず身元はどうやったって証明できないから、何かしらの理由を取り繕ってゴリ押しするしかない。
「生き別れの弟……? いや、やっぱり遠縁の親戚?」
ぶつぶつとつぶやきながら設定をこねて「よし、これしかない!」と百花は拳を握った。
「とりあえずカイリはわたしの従兄弟ってことにするから!」
「従兄弟?」
「名字は笹原ね。さ・さ・は・ら! 言ってみて」
「ササハラ……?」
「カタコトすぎる! さ・さ・は・ら! これだけはちゃんとスムーズに言えるようになって!」
何度か「ささはら」の発音を練習した後で「オッケー。じゃあ行ってきます」と片手をあげる。
「モモカ」
「うん?」
「……ありがとう」
カイリが微笑み、その拍子に涙がほろりとこぼれた。百花もびっくりしたが、当の本人も驚いた表情で自分の頬をさわって確かめている。きめ細かい肌に涙の筋が通って、蛍光灯の明かりに反射した。
(そりゃそうだよね、病気を持ってて、たった一人でなんだかわかんない国に飛ばされちゃって……不安に決まってる)
「あのさ、わたしもできる限り力になるから。あんまり考え込みすぎないようにね。困った時はすぐに言ってね」
ティッシュを何枚かつかんでカイリに渡して、百花はさっさと病室を出た。
きっと彼はまだ泣きたいだろうと思ったから。
百花と同じように、一人で気持ちを整理することが必要だろうから。
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