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「今夜、泊まりにこいよ」  酔っ払った大人たちの声に混ざって、隣からオリヌスの声が届いた。 「いいのですか?」 「ああ。一緒に寝ようぜ」  オリヌスが喧騒に負けないように体を寄せてくる。  カイは嬉しくて笑顔でうなずいた。  洞窟で二人きりで過ごした日から、オリヌスとの距離が急激に近づいた。どうやらカイを気に入ってくれたらしく、一日に数回だった会話は増え、食事の席は一番遠かったのに、今や隣だ。  優しくて格好良い兄ができたようで、嬉しかった。 「殿下」  食事を楽しんでいるオリヌスに、従者から声がかかる。  従者は小声でオリヌスに何かを囁き、正面に手を向けた。カイもその手の先を視線で追えば、一人の男性と若い娘が目に入る。 「オリヌス王子、お食事中に申し訳ございません」  男性が、オリヌスの機嫌を取るかのような笑みを浮かべる。 「何用だ?」 「私の娘は他の町で踊り子をしておりまして、ちょうど今日帰ってきたのでご挨拶を、と」  頭を下げていた娘が顔を上げた。動きに合わせて、艶やかな黒髪がさらりと揺れる。  瞳を伏せている顔は美しく、胸を強調する服を着た、妖艶な女性だ。 「王子の身の回りのお世話を、娘にさせていただきたいのです」 「いや、世話なんていい。使用人は間に合っている」 「では、踊りを披露しますので」 「せっかくだが、もう食事は終わりだ」  オリヌスは気乗りしない様子で、席を立とうとする。それを止めるように、男は慌てて声をかけた。 「それならば、お部屋で『話し相手』をさせていただくのはどうでしょう」  カイはまだ子供ではっきりとはわからなかったが、男性の言葉がなにか意味を含んでいるのはわかった。娘とオリヌスを親しくさせようとしているのだろう。 「いいかげんにしろ」  低く鋭い声が落ちた。短い言葉は怒りを携えていて、恐ろしさが背筋を伝って心臓を凍らせる。  辺りは静まり返り、誰もが動きを止めた。 「娘を使って俺にとりいろうとしても無駄だ。自分のために娘を男に差し向けるなど、気分が悪い。俺は、カイ以外と親しくなるつもりはない」  突然自分の名を出されて肩が跳ねた。  縮こまるカイの背中に、大きな手が触れる。 「ごめん、怖がらせたな。カイを怯えさせる気はなかったんだが……」  オリヌスは数秒前までの怒りをまったく感じさせない手つきで、カイの背中を撫でた。 「部屋に行こう。甘味はそっちで食おうぜ」 「……はい」  いつもの様子に戻ったオリヌスに手を握られる。  彼のあとについて広間を出る。扉が背後で閉まる瞬間まで、大人たちは一言も発しなかった。謝るのも忘れて、ただじっと自分の喉元に突きつけられた刃を恐れているようだった。  オリヌスの手は温かい。ごつごつとした手はいつだって優しくカイに触れる。だが、オリヌスという猛獣の鋭い牙を垣間見た気がした。
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