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-敬愛なるお嬢様へ-
わたくしが執事としてお嬢様にお仕えするようになって十五年……。
月日の経つのは本当に早いもので御座いますね。
代々当家にお仕えしていた父に手を引かれ、初めてお嬢様のお顔を拝見した日の事は今でも鮮明に覚えております。
小さな寝息を立ててお休みになられているお姿はとても愛おしく、神の御使いである天使とはきっとこのようなお姿をされているのだと感動をしたものです。
だからこそ、後に旦那様からお嬢様のお世話をするようにとの命を賜り、執事としてお仕えするように仰せつかった時は、喜びに打ち震えるこの身を抑える事が出来ず、無礼な事とは分かりながらも屋敷の中を駆け回ってしまったもので御座いました。
その後も健やかに成長されるお嬢様のお姿は、わたくしにこの上ない喜びをお与え下さるものでした。
わたくしの心に刻まれた思い出は、一日ではとても語りつくせぬほどで御座いますが、中でも一番の思い出と言えばお嬢様が初めてお言葉を話された日の事で御座います。
わたくしは今でも思い出す度に涙腺が緩んでしまうのですが、お嬢様は覚えておられるでしょうか。
旦那様や奥様の事よりも……。
わたくしの父や母を含め、周りに居る他の誰の事よりも先にわたくしの事をお呼びになられた時の感動は、旦那様に悪いと思いつつも、密かに喜びの涙を流しながら勝ち誇ったもので御座いました。
お嬢様はどのような身分の者にも分け隔てなく接せられるお優しさが御座いましたね。
執事である、わたくしにさえも気軽にお声を掛けて下さるそのお姿に、わたくしは無礼ながらも本当の妹に接しているような愛おしい感情を抱いてしまったものでした。
初めて寝返りをうたれたお姿も。
初めて立たれたお姿も。
泣いておられる時のお顔も、怒られている時のお顔も。
そして我儘を言って拗ねておられる時のお顔も。
その思い出の全てが、わたくしにとって掛け替えの無い宝物なので御座います。
素直に育たれるお嬢様をお守りする事は、わたくしの生き甲斐でした。
兄のように慕って下さったお嬢様は、わたくしの自慢でした。
優しいお心で周りの者を慈しみ、暖かい風を届けて下さるお嬢様は、わたくしの誇りでした。
そんなお嬢様を見る度に、お嬢様に対する私のお世話は何も間違えてはいなかったと、これで正しかったのだと思えたので御座います。
でも……。
たった一つ……。
たった一つだけお嬢様との事で反省する事があるとすれば。
なぜ、わたくしはお嬢様との主従の壁を守り通す事が出来なかったのか……それだけが悔やまれてならないのです。
わたくしが明確に意思を貫きさえすれば、こんな事にはならなかったのに。
わたくしが間違いをお咎めすれば、お嬢様は不幸にはならなかったのに。
なぜ……。
なぜお嬢様は、わたくしのような者に心を寄せられたのですか。
なぜお嬢様は、わたくしのような者に愛を求められたのですか。
世界中の誰よりも幸せになって欲しいと心から願う人の事を、世界中の誰よりも不幸にしてしまう存在となってしまった事を恨めしく思っております。
どう足掻いた所で認められる事などある筈がないのに。
お嬢様と執事とでは超えられない壁がある事など分かっているのに。
それなのにお嬢様の想いを受け入れてしまった己の愚かさが恨めしいのです。
わたくしのこの両手はお嬢様のお命を奪う為にあったのでしょうか……。
冷たくなったお嬢様を見つめながら自問自答を繰り返した所で、納得の行く答えなど見つかる筈がないのに、心を締め付けられ、例えようのない苦しみが襲って来るのです。
お嬢様を天国へとお送りする時に、わたくしの手はお嬢様に苦しみを与えはしなかったでしょうか。
ほんの僅かでも、わたくしへの憎しみを芽生えさせてしまうような痛みを与えはしなかったでしょうか。
お嬢様のお声を聞けない今となっては、それだけが気掛かりなので御座います。
それでも、わたくしが苦しい思いをすればするほど。
悲しい思いをすればするほど、これで良かったのだと言った思いが強くなるのです。
愛する者を手に掛ける苦しみを。
掛け替えの無い者が骸となり横たわる姿を見る悲しみを。
そんな辛い想いをお嬢様に味わわせる事がなくて本当に良かったと……。
心の底からそう思っているのです。
旅経つ為の身支度も全て終わり、わたくしからのご奉仕はこれで最後となりました。
純白の衣装を身に纏われたお嬢様はこの世の誰よりも輝いておられます。
死してなお微笑みを絶やさぬお嬢様はこの世の誰よりもお美しいです。
そんなお嬢様と共に死地へと向かえることは至上の喜びであり、これ以上の幸せは御座いません。
このあと、すぐにお嬢様の元へと駆け付けますので、今しばらくの間だけお待ちください。
お嬢様……。
わたくしの生涯で只一人、永遠の忠誠を誓えるお方……。
願わくば来世もまた、お嬢様の御側でお仕えする事をお許し下さい。
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