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「ヴァルディード様。どうしたんですか、そんな憂い気な顔なんてしていたら、列ができますよ」  眩いばかりの光に満ちたホールは夜だというのに昼間かと思うほど明るい。それが火ではなく、苔の明かりだという。信じられなくて見上げていたヴァルディードは、補佐としてやってきた従兄弟のクラースの言葉に首を傾げた。 「列?」 「ええ、あなたに抱いてもらおうという列です」  ヴァルディードは、ワインを飲んでいなくて良かったと真剣に思った。 「クラース、憂い気な顔が素敵なんていうやつは信用ならないぞ」  論点がずれていると知りながら、そう答えた。  夜会は始まったばかり。知らない場所だからと早めに来たせいか、人はまだ少なかった。知り合いなどほとんどいない王宮の舞踏会で、もてるとも思えないとヴァルディードは呆れたように息を吐いた。 「どんな顔をしていてもあなたは人を惹きつけるんです。でもこの国に来てから、少し変ですよ。心ここにあらずといった感じです。具合でも悪いんですか?」  ヴァルディートは、年下の親戚で幼い頃から知っているクラースの言葉に鼻を動かした。お互いに王族の末席で、気心も知れているクラースが部下としてヴァルディードの元に来たのは、つい先日のことだった。けれど、何度か違う場所で組んで仕事をしてきたこともあるから互いの長所も短所も手に取る様にわかっている。  体躯はαだと見た瞬間に納得させるだけの大きさがあり、つややかな黒い毛皮は豊かさを、立ち居振る舞いには教養を感じさせるヴァルディードは、実際どこへいってももてないわけがなかった。ヴァルディードは、子供の時から性的な目や彼の身分にすり寄ろうとする者達に囲まれていたせいで用心深くなっていた。簡単に落ちないヴァルディードから漂うストイックな雰囲気は、更に彼を際立たせていた。  クラースからは、常々『素晴らしい美食が腐っていくようでもったいない』という身も蓋もない台詞を吐かれているが、ヴァルディードの知った事ではなかった。  クラースと今ではそれなりの関係だったが、彼が番を得て落ち着くまで随分面倒くさかったことをヴァルディードは覚えている。隙あらばヴァルディードを襲ってくるのでおちおち酒で潰れることも出来なかったのだ。 「この国の匂いは我が国と違いすぎる」 「人族と狼獣人の間に両種族の特徴が合わさった人狼族と呼ばれるもの達が生まれて、増えているらしいですね。気持ちが悪い……」 「あれには驚いた。我が国には人族自体がいないからな。この国は神の箱庭と呼ばれているだけあって、他の国とは違う」   この国に人狼族と呼ばれる毛皮の少ない――耳と首筋と尻尾にしかない――ものが生まれたのは、そう遠い昔のことではなかった。  長く統治した聖王トラヴィスが王位についたその時、人族であった番の王妃を祝福して、山々に白き花が咲き乱れたという。その後、二人を祝福するかのように狼族と人族の特徴を受け継いた赤子が国に生まれはじめた。今は、五人子供が産まれれば、一人は人狼族というほど多くなっている。  「神に祝福されたとか神の箱庭なんて呼ぶのは、選民意識が激しいこの国のものが勝手に言っていることです。見ましたか? 人狼族なんていいながら、耳と尻尾と首に狼族の毛が生えているだけで、あれで同族なんてありえません。弱くて、しかも全部Ωなんですよ。我が国が攻め入れば、あっという間に侵略できるでしょう」  メリラード国の王族らしい意見だ。ヴァルディードは何も言わなかった。そうだと思えなくても、反論するだけ無駄だということを知っているからだ。  侵略しようとしてできなかったのは一度や二度でない。けれどクラースは知らないのだろう。いや知っていても認めはしないだろう。何も言わないヴァルディードにクラースは納得したと思ったようで満足気に頷いていた。  侵略しようと海を渡ろうとすれば必ず嵐が襲い船は大破する。未だ一度として侵略部隊がこの国の地を踏めた試しがないのをどう説明すればいいのか。 『あの国はおかしい。そうでなければ俺が王位につけなかった理由にならない』  ヴァルディードが子供の頃、骸骨のようになりながら目だけが爛々と光っていた祖父を思い出した。祖父は、この国の王族だったという。 『もう少しで王位につくはずだった! 弟でありながら俺を嵌めたトラヴィス。あの冷血なアレンと白い奴に復讐するためにこの野蛮な国に来たのだ――。ヴァルディード、祖父の無念を晴らすのだ!』  ほとんど覚えていないと思っていた祖父の言葉が、突然脳裏に浮かんだ。メリラード国のαに負けない強さとカリスマで王族の番を得た祖父は、傲慢を絵に描いたような人物だった。その彼ですら、メリラード国を野蛮な国と言い切っていた。  国民性の違いは港に降り立った時から気付いていた。αとβとΩが普通に同じテーブルで食事をしているのを見たときは、ヴァルディードでさえ仰け反った。同じように笑い合い、誰に見咎められることもなく恋人同士は手を繋いで歩いていた。  メリラード国では、いや、大使としてあちこちの国を巡っていたヴァルディードだがそんな光景をみたことはなかった。 「甘い花の匂いがする……」 「まとわりつくような匂いです。あちこちで花が咲いているからでしょう。人狼はあまり鼻がよくないといいますから。この国の狼族もそれになれてしまったのか、何にせよ不快な匂いだ」  どこもかしこも花が植えられ咲き乱れている。匂いに敏感なメリラード国の狼族が好きではない匂い、つまりこの地に拒否されているのだろう。  クラースの態度からすれば、ヴァルディードはまだマシなほうなのだろう。祖父の血のせいかもしれないと甘い匂いに包まれて、ぼんやりとしそうな頭を振った。 「メリラード国の大使ヴァルディード・タイアン様と副官のクラース・ニーマン様でいらっしゃいますね」  背後から声を掛けられてヴァルディードはゴクリと息を飲んだ。気配が全くなかったのだ。振り向くと長身の狼族の女が立っていた。 「エリザベス・ラフォーレと申します。この度はわざわざ遠いこの国までお越し頂きありがとうございます。今宵の主役であります王子殿下が欠席されることが決まりましたので取り急ぎお報せに参りました」  昨日、王宮を案内してくれた国王の補佐官という狼族の男もラフォーレといったはずだ。 「ラフォーレ……? この国にはその姓のものが多いのだな。欠席というのは……」 「馬鹿にしているのか! 何のためにこの国に来たと思っているんだ」  クラースの憤りはわからないでもないが、もう少し抑えて欲しいと願いながらヴァルディードは訊ねた。 「体調が優れず、皆様に病でも移したら大変だと欠席されることを決断されました。とはいえ、夜会自体は催されますので、この国の主立った者達との有意義な時間を過ごされますようお願い申し上げます」  エリザベスは、女性でありながら優位なαの気配を持っていた。そしてそれを隠そうともしていない。つまりこの国では、女性であることが劣ることではないのだと気付いてヴァルディードは新鮮に思った。  エリザベスの姿が見えなくなると、「女のくせに! 私の前で頭を上げて意見するとは!」とクラースは怒っている。本人の前で言わなくてよかった、大使でありながら何故補佐の動向にハラハラしなければいけないのかと、ヴァルディードの補佐にクラースをつけた王に文句を言いたかった。ヴァルディードに対する嫌がらせで国同士がもめたらどうするんだと思うが、言うだけ無駄だと諦めている。  クラースが他の国の大使と一緒に不満を漏らしているのに呆れ、ヴァルディードは一人で会場内を歩いてまわった。価値観が違う相手との旅行(少し違うが)というものは、苦痛だということを改めて知ったヴァルディードだった。
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