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午後八時。私は1階のベランダの窓から空を見上げた。半分になったお月様が夜空におかしな穴を空けていた。
ドクン、と心臓が強く脈打ち、全身に流れる血が熱くなる。体が何かに締め付けられるような感覚が走る。。
「うっ」
別に痛くは無いのだが、妙な感覚に思わず声が出る。
違和感は一瞬だけで、気づけば変身は終わっている。
目線はほぼ地面にがぐっと近くなり、暗闇の中もよく見える。体は小さいが、身は軽くなり、人でいる時よりも幾らでも動ける気がする。
全身毛だらけの素っ裸ってのは、今さら気にしないことだ。
「ミャア」
さぁ、夜の散歩だ。
さっきまで着ていた部屋着はその場に乱れたまま置いていき、ベランダの窓を開けて外に出た。もちろん、出るときは閉めるのを忘れない。
アパートの敷地から出て、車の通りの少ない道を進んで駅のほうへと向かった。
私は月を見ると猫になるという化け猫の血を引いている。こうして猫に変身してはこっそり家を抜け出して、夜の散歩に出かけるのが趣味のひとつだ。
8歳の時に蒸発した父親も同じ能力をもっていた。父親が言うには、私のご先祖様はある時人に化けた化け猫だとは知らずに、その美貌に惚れて結婚したそうだ。そして間に生まれたのは人だったが、ただの人ではなかった。
化け猫は月を見ると元の姿に戻ったが、化け猫と人の合いの子は、月を見ると猫になったという。その変わった性質のお陰でやれ呪いだ祟りだと猫になる子は非難された。
そしたらその血は途絶えてもおかしくはなさそうだが、現代まで私のような猫に変身する人がいるということは、生き延びてこれたということだ。
それと、父は言っていた。
「この能力のことは、大切な人にだけ打ち明けなさい」
大切な人の具体例は言われなかってけど、家族とか、友達とかそういうのだと思う。
ちなみに母はこのことを知っている。ただし、私が夜に一人で出かけていることは秘密にしている。正直に言ってしまえば危ないと叱られるだろう。
細くて暗い道を歩き続けると、駅周辺の街に出た。この辺は飲み屋やカフェ、レンタルショップに本屋と店が立ち並ぶ。この時間帯は会社帰りの人や塾に通う学生などが多く出歩いている。
駅前はうるさいので、予備校の裏にある小さな公園に行き、ベンチのそばの茂みの中で腰を下ろした。
この公園には周辺の野良猫がたまにやってくる。やはりこの能力のおかげか、猫の言葉がわかるので、気まぐれに会話もしている。
会話と言っても野良猫たちはたいてい「眠い」か「寒い」か「腹が減った」としか言わない。時々、どこどこでいい獲物が捕れた、だとか話しもするが、とにかく話の中身はいたって平和なものしかない。
猫は長者の生まれ変わりとはよく言う。人は何かと煩わしいことが多い。それに比べたら、確かに猫でいるほうが気楽かもしれない。
私はしばらく茂みの中でじっとしていたが、野良猫は誰も来なかった。
途中で眠くなりウトウトしていたら、人の声で目が覚めた。
「ごめんね、伊藤さんとは付き合えない」
聞いたことのある声だった。
茂みから顔を出して公園の様子を見ると、中央にあるベンチに男女が座っていた。
「だっよねーわかってた。早見君に告白した人は全滅って聞いたもん」
どうやら私は告白現場に居合わせたらしい。しかも早見君って私のクラスの人気者じゃないか。
「わかっていても、告白してくれたんだね」
「そりゃあね。好きな気持ちは抑えられないもん。まぁでも、玉砕覚悟で告って振られたほうがちゃんと諦められるからさぁ」
「……伊藤さんは俺よりずっと強いね。尊敬する」
早見君は優しい声で言った。
「そんなことないよ。今だって本当は……泣きたいくらい」
伊藤さんは少し涙声になっていた。その言葉の後、二人の間に沈黙が流れた。
月明かりが二人を照らしていて、まるで何かのドラマを見ているみたいだった。
「あー! もうヤダヤダ。暗い空気にさせるつもりはなかったの。別に付き合えなくったっていい、本当わかってたし。それより、これからも今まで通り友達でいてくれる?」
「もちろんだよ。伊藤さんとまた勉強の話がしたいし」
「よかった。まだ受験まで1年以上あるけど、お互い頑張ろうね」
「うん、頑張ろう」
伊藤さんはベンチから立ち上がって、軽く伸びをした。
「それじゃあ、今日は本当にありがとう。それで悪いけど、親の迎え待たせてるから私はちょっと急いじゃうね」
「うん、わかった。またね」
「またねー」
伊藤さんは早見君に手を振った後、小走りしながら公園を出ていった。少し急いで帰った彼女の気持ちはなんとなく察する。
ベンチには早見君が一人で座ったままだった。彼もすぐに帰るのかと思いきや、ため息をついた。
「断るのはいつも心苦しいな」
振られるのは辛いけれど、振るほうも神経を使うんだろう。人気者も大変だ。
早見君は下のほうを見て動かなかった。それほどまでに、告白を断ることに胸を痛めていたのだろうか。
そろそろ私も家に帰る頃合いだったので、立ち去ってもよかったが、少しくらい遊んでみようと思った。
私は茂みから飛び出した。
ガサっという音に早見君は顔を上げてあたりをキョロキョロ見まわした。
「あ、猫」
「ミャー」
早見君は私に気がついた。そしてじっと見つめている。彼は猫は好きだったかな。
すると手を下に出した。おいで、という合図だ。
私は猫であるという特権を振りかざし、近づていって早見君の白くて綺麗な手に頭をこすりつけた。学校では話したこともないというのに。
「わー可愛いな君。野良なのに随分人に慣れてんだな。三毛ってことはメスか?」
そう、私は三毛猫。ちなみに変身した時の猫の毛色は人によって違うらしい。父の毛並みは黒だった。
そうだよ、と答えたつもりで鳴いてみた。
「お、そうかそうか女の子なんだな」
早見君は私の頭を優しくなでてくれる。これはなかなか気持ちいい。どうやら彼は猫が好きなようでよかった。少しは癒やしになってくれればと思う。
「あ、もしかしてさっき俺が告白されてるところ見てたのか」
あ、はいガッツリ見てました。
「俺ね、自分で言うものあれだけど、けっこう告白されんのね。でも、全部断ってるんだ。なんでだと思う?」
んー、付き合うのとか興味が無いから?
「ミャーオ」
「あはは、何言ってるかわかんないけど、多分違う」
わかるわけないないさ、そんなの。
「猫にだったら言えるけど、俺、好きな人がいんだ。そして相手は男」
へー早見君好きな人いるんだ。それも男。
男?
「あれ、急に固まってどうした? 俺の人生初のカミングアウトだってのにノーリアクション?」
カミングアウト。それは周囲に本当の自分のことを打ち打ち明けること指す葉だったような。
早見君はゲイ。そして好きな人がいる。それが告白をすべて断っていた理由。情報量が多すぎる。
「これがみんなに言えたら、そもそも告白しようだなんていう女子もいなくなるんだろうけど、俺にはまだその勇気が無いんだ」
早見君の手はずっと私の頭を撫で続けた。頭を押さえられているような形だから、彼の顔を見上げられない。でも、重たい声の調子から、ずっと心に抱えてる悩みであり、今も葛藤し続けているのだということはわかった。
いつも人の中心にいて、みんなからも好かれている明るい人が、まさかこんな悩みを抱えていたなんて、知らなかった。普段から一切関わりの無い私なんて、なおさら知る由もない。
人生初のカミングアウトをしたとか言っていた。ということは、家族にも友達にも言えていないんだ。それはとても苦しいに違いない。
本当の自分を誰にも言えない辛さは、わかる。私はこんな猫になれるなんて秘密、母親は知っているけれど、そのことはあまり話さない。いつか話した冗談みたいに扱われいる。ましてや他の人に言う気にはなれない。
私は早見君の白い手を舐めた。
「不思議だな。ただの猫なのに、なんだか言えて少しスッキリした。いい猫だね君は」
ただの猫じゃないんだよ、とは言えるはずもなく。
「ミャー」
「あはは。これじゃ本当に話してるみたいだ。君はいつもここにいるのか?」
いつもじゃないけど、金曜日ならいるかな。
「……」
「いつもじゃないのか。でもま、たまに会えたら俺の相手してほしいな。火曜と金曜にここ覗くからさ。……って、さっきから俺猫に話しかけてばっかりだな。はたから見たらちょっと変な奴?」
そうかもね。でも、早見君がそれで何か気持ちがすっきりするなら、私は付き合ってあげなくもないかな。
そろそろ帰ろう。母親が家に帰る前に、家にいなくてはいけない。
早見君の手からすり抜けて、歩き出した。
「あ、お帰りか? 俺もそろそろ帰らないとな」
早見君は立ち上がって歩き出した。
「なあ、また会ってくれる?」
変な奴だと思わてるのを気にしてたんじゃないかと突っ込みしたくなったけれど、まあいいか。
「ミャオ」
「ははっ。じゃあまたな」
一度立ち止まって早見君を振り返り見た後、またひと鳴きしてから私は走った。
それにしても、えらい話を聞いてしまったものだ。早見君の秘密を私が知ってしまうなんて。
◆◆
私はそれから、学校では前より早見君を注意深く観察するようになった。もちろん彼には気づかれないように。
同じクラスだから彼の行動の様子のほとんどを見ることができたが、男子からも女子からもどんどん話かけられて、私から見ると煩わしそうだなと思った。
そして早見君はいつもの早見君だった。外見で同性愛者だとかわかるものではないのは知ってたけど。
それは、誰も私が猫に化けられることに気づかないことと一緒だ。
ある日の昼、友達と机を寄せて弁当を食べていた時、友達は言った。
「ねぇ、早見君また記録更新したらしいよ」
「記録って?」
私はすっとぼけた。
「ここに入学して告白された回数及びそれを断った回数だよ。2組の伊藤愛って子、けっこう可愛いのに、これで16人目」
「へぇ、そうなんだ」
「反応うっす。由希はイケメンのゴシップには関心ないよね」
「知ったところで何もないからね」
そんなことより私は早見君がゲイだと知ってしまったのだ。関心はもっと別のところにある。
「にしてもさー、なんで付き合わないんだろね」
「そりゃあ付き合おうって思えないからじゃない?」
「それはそうだけど、普通可愛い子から告白されたらよく知らなくてもとりあえず付き合うもんじゃない? 男子は」
「そう、かな」
可愛ければとりあず付き合うって、私はどうかと思うんだけど、世間はどうもそうみたいだ。
「まぁでも、早見君はいろいろできがいいから選り好みできるよね。さすがに椿原さんを振ったのはあり得ないと思ったけど」
椿原さん。確か、すごく美人な人。早見君の女子版みたいな。
「早見君ってやっぱり好きな人いるのかな? ここまでくるともう男だったりしてー」
「ぐふっ」
飲んでいたお茶でむせた。友達は冗談のつもりで言っているのだろうが、実情を知っている私には笑えない話だった。
咳が落ち着いてから私は友達に聞いてみた。
「もし本当にそうだったらどうなるかな?」
「えー早見君が? それは残念過ぎるわー。女子全員落胆よ」
「男子は?」
「え、男子? 男子は、んー引いちゃう人もいそう」
友達の予想はだいたい私も同じだった。最近テレビでは同性愛のタレントがよく出ているから全くなじみのないものでもないが、身近な話となると違ってくる。
「もし早見君が男好きだったら、多分相手は屋島君ぽいよね」
友達は、もし早見君がゲイだったらという想像を楽しみだしていた。
「なんで屋島君?」
ちなみに屋島君も私たちと同じクラスメイトだ。背が高くて、体が大きい。いつも眠そうというか、だるそうで、そして一人でいる印象が強い。そういえばちょっと猫みたいだ。
「屋島君てあんまり人とつるまないけど、実は早見君と幼稚園から一緒なんだって。でね、実は私前に見ちゃったんだけど、体育の授業で男子がサッカーやってた時に、早見君がゴール決めた後に屋島君が早見君にこう、腕を首に回してたの」
友達は私の首に腕を回すことで再現した。急にやられたので少しびっくりした。
「それは別によくあることじゃない? そっから仲が良いだけで、好きとかは」
「確かにね。でも、その時の早見君がさ、なんていうか嬉しそうだったの。いつもの感じと違って、ちょっと照れてる感じ?」
友達の観察力は私よりよっぽど上のようだ。そのサッカーの授業は確か一昨日あったはず。その間私は隣のテニスコートでボールを追いかけるのに必死になっていた。
「普段はあんまり話してるところ見ないけど、あの二人って本当はすごく仲良いんだと思う。さすがにゲイとかじゃないだろうけど」
先ほどから友達の言葉は早見君のことを思うと辛辣に感じる。それでも、これが現実なんだと知った。私も知らされてなかったら、まさかと思う。
確信はまだ持っていないけど、早見君の好きな人は屋島君で間違いないだろうと私は思った。
私はその日の夜、大きな賭けに出た。
◆◆
その夜は空に雲がほとんどなかった。二十一時半に、私は人の姿のままで家を出た。
恰好は黒のTシャツの上から紺のパーカーを羽織り、黒パンツにスニーカー。夜に紛れそうな恰好をして、フードを深く被って例の公園まで歩いた。
月を3秒も見なければ、体が変身することはない。
私は胸は緊張で高鳴っていた。考えてみれば人生で初めてのこと、しかもかなり勇気のいるはずのことを、私は割とすぐにやろうと決めた。足は前に進んでくれているけど、震えていた。
公園に着いた時はまだ誰もいなかった。今日は早見君とここで会ってちょうど2週間の日だった。あれからまた数回猫の姿で早見君と会った。彼は自分がゲイであることや好きな人のことについて、最初の日以来話さなかった。
私は公園の真ん中にあるベンチに座った。駅の近くだというのに、音も少なくしんと静まり返っている。
静けさが私を少し冷静にさせた。私が今からやることは、果たして本当に必要なのか、意味があるのか。
「宮永さん?」
待っていた人の声で呼ばれた。声がしたほうを向いたらやはり早見君だった。
「えと……こんばんは」
私はここで重大なことに気づいた。面と向かって早見君と話すのはこれが初めてだった。猫でいたときは気軽に近づいては撫でてもらったりしていたおかげで、
すっかり彼と親しくなったつもりでいた。
「宮永さんてこの辺に住んでるの?」
「……いや、そうでもない」
「じゃあ、ここで何してたの?」
「あー、それはー……」
言葉にするにはいろいろ面倒がすぎる。一か八か、もうやるしかない。
「あのね早見君。突然で申し訳ないんだけど、早見君に謝らないといけないことがあるの」
「俺に? 宮永さんが?」
謝られるような覚えはない、と早見君は首をかしげている。当然だ。
私は立ち上がり、被っていたフードを脱いだ。
「今からあるものを見せるけど、そのことは他の人には言わないでほしい。それで、いろいろ思うことがあるかもしれないけど、詳しい説明は明日学校でするから。……あ、あと、私の服はこの袋に入れてできれば公園のその辺の茂みの中に隠してほしい」
「服を? 宮永さん一体何するの?」
「……これが私の秘密なの」
私は空を見上げた。今夜の月は真ん丸で、ずっと眺めていても飽きない美しさだった。
「ぐっ」
「宮永さん! 大丈夫か!?」
身体がねじれて縮むような感覚に耐えるために、体を抱きかかえる私の姿はさぞ苦しそうに見えるだろう。
パッと私の体は猫に変身した。
「えっ」
早見君は自分が見ているものが信じられないといった風に目を丸くして、口を押えていた。
「いつもここに来る野良猫……宮永さんなの?」
「ミャア」
そうだよ早見君。私は君にすり寄っていた猫だったんだ。
早見君は唖然としたままだった。
私の姿を見て引いただろうか。気持ち悪いと思ったか。あまりいい感想ははなから期待していない。
ずっとこのままでいるのもいたたまれず、最後に一度だけ早見君の目を見てひと鳴きした後、その場から逃げるように走った。
私の服、ちゃんと片しておいてくれるかな。
◆◆
次の日の学校はどよめきが起きた。朝来て早々、早見君は私話しかけてきた。
「今日の放課後、二人で話したいんだけど、いい?」
わかってはいたけれど、早見君の圧がやたら強かった。
「うん」
みんなの前でこんな堂々と言われたおかげで、その日は一日じゅう私がみんなの注目の的になっていた。生きた心地がまるでしなかった。
放課後、私は早見君に連れられて、こんな場所良く知っていたなと思うくらいひっそりと隠れた場所にある喫茶店に連れられた。
早見君はテーブルに着くと「宮永さんてコーヒー大丈夫な人?」と聞かれて反射的に「大丈夫」と答えた。普段コーヒーは全然飲まないけど。
二人分のコーヒーが運ばれた後に、早見君は今まで我慢していたものを解き放つように会話を切り出した。
「本当、驚いたよ。正直今でも夢でも見たんじゃないかって思う」
「そうだよね。……普通は夢みたいな話だよね」
「宮永さんはその、正体は猫なの?」
私は口をつけようとしたコーヒーカップをテーブルに置いた。
「誤解のないように言っておくと、私は人間で、月を見ると猫に変身できるの。そういう血をどうしたものか引いてるみたいで」
「へぇーすごいなぁ」
「すごい? むしろ気色悪いとかって思わなかった?」
「いやぁ別に、まぁ俺猫好きだし、むしろ羨ましかったりするけど。猫って自由そうじゃん?」
思っていたより軽い感想だった。なんて単純な人だろう。
「それで、謝らないといけないことって?」
いけない。肝心なことを忘れていた。
「私、早見君の秘密を知っちゃったから……」
早見君は今になってやっと、ハッとして思い出したようだった。
「俺、人生初のカミングアウト、宮永さんにしちゃったってこと?」
「そういうこと、です」
「マジかぁ~」と早見君は頭を抱えて突っ伏した。
「ごめん。悪気は無かったの。あの時た公園にいたら、早見君たちが来たて、それであの、元気なさそうだったから、癒しにでもなればと思って近づいた。でも、余計なことだったね」
早見君は突っ伏したまま無言だった。数秒して、そのまま話し出した。
「宮永さんは何も悪くないよ。ただ、俺情けないだけなんだ。猫に話聞いてもらうとか」
「ううん。だって、そういう大事なことは、大切な人に言うべきだもん。私が知っていいことじゃなかった」
早見君は顔をあげてポカンとした表情をしていた。
「大切な人?」
「そう。大切な人。早見君は周りに言えなくて悩んでるみたいだったけど、言わなきゃいけないことってわけじゃないと思う。でも秘密にしていることが苦しいなら、まずは信頼できる人に打ち明けたほうがいいと思うよ。家族とか、友達とか。ほら、私はただのクラスメイトだし、早見君も不本意だったでしょ?」
「……宮永さんはどうして秘密を教えてくれたの?」
「私の秘密を教えたら、フェアになるかなと思って」
私は本当にそう思って答えたつもりだった。それなのに早見君は笑い出した。
「秘密のレベルが違いすぎるよ! 俺みたいなのは今じゃ認識されてるけど、宮永さんのはファンタジーのレベルだって!」
言われてみれば、……いや、今はレベルなんて関係ないと思うんだけどな。
「あーおかしい。なんか悩んでたことが少し馬鹿らしく思えてきた。そういえば、俺がゲイだって知って宮永さんはどう思ったの?」
「びっくりしたよ。まぁでも、そういう人はどこにいてもおかしくないと思ってたし、というか私みたいなのがいる時点で、世の中には本当にいろんな人がいると思ってるから」
「そっか。……ふふっ。猫にはさすがには負けた」
まだ笑いが収まらない様子だった。これでお互いの秘密は共有した。これからが本題である。
「早見君の好きな人って、屋島君?」
「え」
彼は笑いが止まって硬直した。
「俺、誰にも言ってないんだけど。猫にも」
「これは私の推測。で、やっぱり当たってる?」
「ああーもう俺学校行けないよー」
早見君は、両手で顔を覆った。耳が赤くなっていたので、どうやら本当に当たりだった。友達の観察力、恐るべし。
「俺そんなにわかりやすかったの?」
「んーどうかな。幼馴染だっていうし、可能性高いのかなって」
彼は顔から手を下ろし、テーブルの上でもじもじし始めた。
「俺は確かにゲイなんだけど、リュウ以外は好きになったことないんだ。小学校ぐらいにそれに気づいたけど、言える勇気もないままここまできちゃってて」
語る姿は恋に悩む高校生そのままに、見た目の良さもあって可愛いと思ってしまった。
「二人ってかなり仲いいよね。高校まで一緒にするくらいだし」
「あぁ、それはリュウがついてきてくれたんだよ。俺がこの高校目指すって言ったらじゃあ俺もって」
それってただの仲良いから超えてるのでは?
「屋島君ってあまり人とつるむイメージ無いけど、早見君は別なんだね」
「あいつ、愛想がないから誤解されがちなんだけど、すげーいい奴なんだよ。俺なんかよりずっと。それに、俺より頭いいし」
早見君は学年でも上位の成績と聞いているけれど、屋島君がそれより上だとは初耳だ。
「言っておくけど、入試の成績の首席ってリュウだったんだよ? 新入生代表の言葉やりたくないって言って入学式遅刻してけど」
「えぇー!」
私の中の屋島君のイメージがどんどん変わっていく。思っていたよりもすごい人なのかも。みんなから憧れられる早見君が惚れる人だから、只者じゃないことは当然?
「そんなにいい人だったらひとまずカミングアウトしても大丈夫じゃない?」
「あーうん。俺もそう思う。でも、まさか自分がそういう目で見られてるって知ったらさすがに距離置かれるんじゃないかと思って怖いんだ」
「……簡単な話じゃなかったね。軽く言ってごめん」
「あぁもう謝らないで。俺はこうやって話せる友達がいてくれてすごく嬉しいよ。今まで誰とも話せなかったから」
「友達なの、私たち?」
「秘密ばらし合ってこれだけ話したら友達も当然じゃん」
早見君は屈託のない笑顔を見せた。
心がぐっと掴まれたような気がして、月を見たときの感覚と似ていた。彼の笑顔は美しかった。
そして彼はそこで、わざわざ私の服を持ってきてくれていた。心もきっと美しい。
◆◆
私はまさかの早見君と友達になって、あれから放課後に何度か話すようになった。周りからは怪しまれないように、時間差で学校を出て喫茶店に行くという周到ぶり。
早見君は今まで抱えてきた思いをたくさん話してくれた。私がとんでもない秘密を持っている人だからというのがいいのか、安心して話せると言われた。
それがひと月ぐらい続いた頃、早見君は突然こんなことを言い出した。
「リュウに全部言おうと思う」
私は驚きはしたものの、彼の決断を止める理由は無かった。むしろ応援してあげたい。
「でもどうして急に? 怖いって言ってたけど」
「宮永がいるなら大丈夫かなって」
「私がいるだけで?」
「うん。えーっと、猫の姿でいいから立ちあってほしい」
「……はい」
まさかの逆指名となった。猫として。
◆◆
それは秋も半ばを過ぎ冬が近づいていた時期だった。猫の身は寒さが特に応えるので告白の場所は早見君の自宅の部屋にしてもらった。
金曜日の放課後、私は夜を待って猫に変身をしてから早見君の自宅に向かった。
今日の塾はお休みで、屋島君は早見君の家に来ており、一緒に勉強をしてそのまま寝泊まるそうだ。
約束の二十一時、早見君の家の裏の玄関の前で凍えそうになりながら待っていると、早見君が迎えてくれた。
「ごめんな宮永。寒かったよな。今リュウが風呂に入ってるから、今のうちに俺のベットの下に入ってくれ」
私は早見君に持ち上げられて部屋まで運ばれた。こんなかたちで男の子の部屋に初めて入るのはちょっと緊張した。
ベットの下に入ってから10分後くらいに、屋島君が風呂から戻ってきた。
「布団あざす」
部屋には布団が一つ敷かれていおり、屋島君は吸い込まれるように布団の上に寝転んだ。
私のいるちょうど上に早見君がいる。声は聞こえるけど、姿は見えない。目の前には屋島君のつま先だけが見える。
「あのさリュウ」
「んー?」
「実はさ、話したいことがあるんだ」
「……なに?」
屋島君は今にも寝そうなところで、むくっと体を起こした。
「俺はリュウのこと、一番信頼できると思ってるんだけど、リュウは俺のことどう思ってる?」
「……俊以外の人の家に泊まろうとは思わない」
遠回しな言い方だけど、つまりかなり信頼してるってことだ。
「俺がどんな奴でも、離れないでいてくれるか?」
「なんか悪いことでもしたのかよ。聖人みたいなお前が?」
「そんなんじゃなって。つか、聖人でもないし」
「まぁ、人の道外したら正気になるまで殴って引きずり戻してやるよ」
物騒だな。でも、それって見捨てないってことだから、すごくいい親友じゃないか。
「ははっ。ありがとう。でも、悪いことはなんにもしてない。ベクトルが全然違う」
「早く教えろー」
「……リュウが好きなんだ。ずっと言えなかったけど、俺はゲイなんだよ」
早見君はついに言った。声が震えていたのがわかった。
「げい?」
「うん」
「男が好きなの?」
「うん」
「で、俺なの?」
「……うん」
屋島君の反応どういったものなのか掴めない。多分驚いてるんだろうけど。
「だから告白全部断ってたんだな」
「まぁ、そうなるな」
屋島君は少し黙った後、立ち上がってベッドの上に座った。多分早見君の横にいる。
「うわっ……リュウ?」
ベットの下からでは何も見えず、何が起きているのかわからない。
「辛かったよな」
「え?」
「こんなにずっと一緒だったのに、気づいてやれなくてごめん」
「……謝ることじゃないよ」
「それに、俺は俊のことは好きだけど、俊の気持ちに応えてやれないんだと思う……ごめん」
「……なんで振るほうが泣いてるかな」
気になりすぎて、私はそっとベットの下側のほうから抜けて上を覗いた。屋島君が早見君の首に腕を回して、頭を掴んでいた。
二人は下を向いて、屋島君はポロポロと涙を流している。
「俊の力になりたいのに、なれるはずなのに、なれないから悔しい」
「それでいいんだよ。リュウのそういうまっすぐで正直で、優しいところが俺は好きだから」
「俺も俊が好きだ」
「……うん。受け入れてくれてありがとう、リュウ」
早見君の言葉は緊張の糸がほぐれて、穏やかだった。
よかった。本当に良かった。私も感動で泣いてしまいそうだけど、猫は泣くことはできない。
22時頃、早見君にはこっそりまた外に連れ出してもらうことになっている。
屋島君がテレビのバラエティ番組に夢中になっている間に、早見君はさっと私を抱えて裏の玄関まで移動した。
降ろされる前に、早見君にぎゅうっと抱きしめられた。
「ニャアア」
ちょ、いきなりなんだ。
「ありがとう。宮永。全部君のおかげだ」
そんなことない。早見君自身の勇気だ。
「振られちゃったけど、それでもリュウは俺と親友でいてくれるって言うんだ。時間はかかると思うけど、いつか次に踏み出せると思う」
「ニャー」
「宮永もさ、学校で話そうよ。俺ら友達だし。もちろん公園でまた猫になってきれくれてもいい」
もちろん行くよ。
「今日はありがとな。じゃあまた月曜日」
「ニャア」
さよならをして、私は外に向かって走った。
さあ家に帰ろうと思った時、私はふと、早見君の家の前で二階の窓を見上げた。
昨日せいだろうか。誰かに見られていたような気がしたのは。
◆◆
次の月曜日の朝、日常は変わりなく続いていた。
早見君は相変わらずみんなから構われていて、屋島君は授業中にうとうとしていた。
私はもうそこまで早見君を観察する必要もないなと思って、授業に集中した。
ああ、この能力持ってて初めて良かったと思えた。みんなに言えることではないけど、誰かの励みになれるなら、悪くないな。
二年の冬だし、そろそろ来年の受験意識したほうがいいかなぁ。私も塾行こうかな。
そんなことを考えていたら授業も終わり、さあ帰ろうとしたところで、意外な人に呼び止められた。
「宮永さん」
後ろを振り向いたら、そこには屋島君がいた。
「屋島君?」
屋島君に声をかけられたのは初めてだった。
「一つ聞きたいことがあんだけど、いい?」
「別に、いいよ?」
一体何だろう。
「ミャオ、ミャア、ミャアア」
妙にリアルな猫の鳴き真似。だと思った。でも私にははっきり聞こえた。
『月を見たら、猫になる、違うか?』
何も言い返せずに、ただ屋島君の顔をまっすぐ見ていた。
「同じ匂いがした。早見の家と、宮永さんと」
ああ、まさか。そんなことってあるのだろうか。
屋島君は私に近づいてニヤッと笑って言った。
「今度一緒に月見でもする? 季節外れの」
私はこう答えるしかなかった。
「……ニャア」
【終】
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