天使と悪魔とうさぎと天秤座

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天使と悪魔とうさぎと天秤座

 水晶玉に天体が映し出され薄く光る部屋に、秤を床に置き座り込む、背中に翼を生やしたひとりの女性がいた。  女性は両手いっぱいの大きさの水晶玉の様な物をじっと見つめ始める。  無垢の瞳は水晶玉の中に沈む灰色の世界を眺め、ひとつの魂を見つけた。  目を瞑り顔を上げると、薄いベージュの長い髪が靡き、ふんわりと優しい香りが部屋に漂う。  ほんの少し間を置いてから瞳を開き両手を広げる、その手を外側へ払うたびに水晶玉に映る魂は女性に近づき、ゆっくりと救い上げられた。 「この魂は健全な心を持っているはずです、哀れな人の子に慈悲を」  立ち上がる女性の白いローブが揺らめき、背中に生えた白く大きな翼を広げ光を集める、救い上げられた魂は水晶玉の光るこの部屋の中央に解放された。  よく見ると、ふよふよと揺れる魂は小さな魂を守るように覆いかぶさっていた  魂がこの部屋に救い上げられたら、人の形に戻るはずだったのに、救い上げたふたつの魂は、人の形には変化せずふにゃりと溶けてしまった。 「あれ、溶けちゃった……こういう時はどうすれば……」  魂を手で軽く払うと心の形が透けて見える、白い心に無数の傷。徐に女性の顔が青ざめ、手が震えぽたりと汗が垂れた。  女性の手から緑色に光る粒子が溢れ魂を包む、治癒魔法だろうか。  傷は消えかかるがそれでもすぐに傷口が開いてしまう。 「治癒魔法が効かない……原因は……」  首を傾げる女性、その様子を遠目で見ていた背中に翼が生えた天使のような外見の男性が近寄り魂を取り上げようとする。  女性はその手を払いのけた。 「ゾネスまさか、君って奴は……」 「リブラ様の研究を間近で見ていた俺は分かります、こいつは悪魔です……俺が頂きます」  ゾネスと呼ばれた男性がリブラと呼ばれた女性の手を払い魂に触れた。ふよふよの魂は地面に叩きつけられ、小さな魂がゾネスの中で揺らめいていた。 「リブラ様、俺はこれでもっと強くなりますよ!」  女性は焦る表情で手を伸ばした。 「ダメだよ! まだ臨床実験が終わってないんだから!」  ゾネスが胸元に小さな魂を押しこんだ。体の中に小さな魂が入り込みゾネスの魂が収まる場所へゆっくりと接触した。  胸の奥深くに収まるゾネスの魂へと小さな魂はゆっくりと進み、つぷりと魂の奥深くへ入り混ざり合った。  その感触をぞくりぞくりと感じたゾネスは未知の力への期待に胸を躍らせる、体の変化は始まり体内を熱くさせた。  ゾネスは不敵な笑みを浮かべリブラを見つめた。 「成功しましたよリブラ様、俺は新たなる力を”……ガハッ!!」 「ゾネス!!」  ゾネスは咳き込み口から黒い血を吐き出す。体のバランスを崩して倒れそうになり、腕と足は男が耐えられない程の負荷が掛かり引きちぎれそうになる。  全身がぞわぞわと、何かが生えてくる感覚に襲いこまれゾネスの感情は不安と恐怖に支配された。これは魂同士の融合の失敗、精神が歪み始め、揺らぎ壊れていく。 「オレ、ダメダッタノカナ……、クズレ……カナ……!」  言葉がたどたどしい、人間性……心が崩れてく、顔の形の変化が始まり鼻先が伸び違う生き物の形に変化した、全身茶色と白色の体毛を覆い、どす黒いオーラを纏った彼の姿はまるで悪魔のようだった。 「ウグ……グア”ア”ア”ア”ア”!」  尻尾がギュンッ! と一気に生える、その感覚で体が仰け反り男は肉体の崩壊を理解した、足が逆関節に変化し二足による直立が不安定になり後退りする、無意識にふわふわの尻尾がぶらんと揺れる。何もかも全てが変わり果て、意識を保っているのが精一杯。  背中に生えていた翼は枯れ落ち、頭の上に浮かんでいた輪っかすらカシャンと金属のような音を鳴らして床に落ちてしまった。  咄嗟に女性が片手を水晶玉にかざすと灰色ではない緑色の大地が現れた。 「この部屋からゾネスを出したらダメだ……簡易テレポーテーション、座標は……間に合わない……!」  悪魔に変貌してしまったゾネスの周囲に、魔法陣が展開され光りはじめる。  悪魔がどこかへ歩き出すまえに、リブラは一心不乱に魔法を詠唱した。 「詠唱:ファスト・テレポーテーション! ゾネス、ごめんね……」  女性は目を細め悲しそうに悪魔を見送る。  魔法陣から中にいる悪魔が見えないくらい眩しい光が放たれ、次の瞬間悪魔の姿は無かった。  リブラに安息は訪れない。  目の前に残されたふよふよの、傷だらけの魂に触れ、両手で救い上げた。 「ごめんなさい……私の声、聞こえますか?」 「ぁ…………」  ふよふよの魂から声が聞こえる。ほんの微か、耳を澄ませていなければ聞こえない程の声で、ふよふよの魂は最後の力を振り絞ってリブラに話しかけた。  リブラはそのまま、落ち着いて話す。 「聞こえますよ、よかったぁ……」 「パトラッシュ……パトラッシュは無事ですか……」 「パトラッシュ、って?」  突然の名詞に動揺してリブラは首を傾げる。命の灯が消えてしまうその瞬間が訪れる前に、リブラはふよふよの魂の小さすぎる叫びを聞いた。 「犬……です、ぼくと、いっしょにいた……」 「犬……まさか……!」  リブラは息が詰まる。  弱った魂が大切に抱えていた小さな魂は、ふよふよの魂が大切にしていた尊い命だということを理解して身震いする。  既に小さな魂はゾネスと融合してしまった。取り戻せない現実に言葉を失った。 「いませんか、さっきまで一緒に散歩していたんです。何で僕はここにいるんですか? 散歩に……戻らないと……」  ふよふよの魂は動き出そうとするがふにゅんと女性の手の中でほんの少し動くのみ。ふよふよの魂に付いた無数の傷が、この魂が生きていける時間がほんの僅かだということを物語っていた。  リブラの口が震えながら開く。 「あ、あなたの願いを、ひとつ……叶えてあげます…………」  瞳には涙が浮かび上がり、ゆっくりと溢れ零れ落ちる。 「願い……パトラッシュに……普通の生活を、神様が僕を許してくれるなら……パトラッシュと幸せになりたい…………」  弱ったふよふよの魂から生気が失われた。  感情移入しすぎたリブラは彼を助けたいと願った。  消えゆく魂の灯火へ無慈悲を感じさせられた。 「願いは叶えられないけど……もしも君が幸せを求めるなら、私は全力で支えるよ」  リブラは懐から手のひらに収まるサイズの球体を取り出す、球体の中にはうっすらと兎のような物が見える。 「君に……もしかしたら苦痛を与えるかもしれない、それでもこれしかないんだ」  声が届かない消えかかったふよふよの魂をひとつの球体を押し付ける、つぷっと魂に飲み込まれた球体はゆっくりと魂の傷を覆い隠し、崩れそうな魂をひとつの球体へと形作る。  瞳を瞑り俯く。リブラがふよふよの魂に集中すると、球体の上に黄色く輝く輪っかが浮かび、更に小さな両翼も生えてきた。 「成功……? 助かった……?」  弱った魂はゆっくりと浮かび始める、傷口はすっかり見えなくなり失った生気も戻ってきたようだった。  リブラは安心するあまり膝から崩れ落ちてしまう。すぐにゆっくりと立ち上がり袖で涙を拭い笑みを浮かべた。  水晶玉の後ろに透明な階段が浮かび上がりその先に扉があった、ゆっくりと扉が開かれると光が差し込む。 「よかった……そうだよ、これから君は幸せになる、幸せになれるんだよ! ようこそ……天使と神が住まう天空の楽園、天界『エデン』へ」
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