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「どうしたの?」
「シンジに俺の言葉は聞こえん」
姿が見えないまま、淡々とした声が聞こえた。どこか寂し気に聞こえる。
どうしてたぬきの声が聞こえないのか、慎二を昔から知るたぬきに関係があるのかないのか。気になるが、それを今たぬきに問うことはできないと思った。
「また……会える?」
「会える、会える」
言葉は返ってきたが、気配は消えてしまった。山へ帰ってしまったようだ。不思議な存在であるたぬきに、愁は初めて不安を覚えた。
「おまたせ~。あっちー」
背後で突然聞こえる声に愁は振り向いた。ボクサーパンツだけ履いた慎二が立っている。どことなく元気のない愁の表情を見て、慎二が頭に被ったタオルは外し、横へ座った。なにも言わず、愁の肩を抱き寄せる。
「どした?」
慎二の手も肩もポカポカ温かい。低く穏やかな声に引き寄せられ、つい身を委ねたくなる。そうできれば、胸の内にある不安も消えるような気がした。もたれかかりたくなる気持ちを押し殺し、たぬきの消えた庭木に目を向ける。
「さっき、庭にたぬきがいたんだ。でも、もういなくなっちゃって」
「ああ、そっか。ここら辺はいっぱいいるしな」
慎二はそう言って、何かを思い出したような表情になった。
「そういえば、俺も夏休みによくたぬきを見たよ。懐かしいな……」
愁はそのたぬきがたーさんだと直感的に思った。慎二にパッと顔を向ける。
「話したこと、ある?」
「えっ? たぬきが庭に現れるって? 美代ばあちゃんに話したと思うよ。山が近いし、珍しいことじゃないって言われたかなぁ」
慎二は愁から庭へ視線を移し、「小学生だったからあんまり覚えてないけど」と付け加えた。慎二の答えがたぬきの言っていたことの答えなんだと愁は思った。
たーさんは話しかけたけど、小学生の慎二には聞こえなかったのかな……。
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