第12章 いつか二人になる

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星野くんの述懐が一体どこへ着地しようとしてるのかわからないまま聞いていた。だけど、彼がここで本当にわたしに伝えたかったのは。 そういう未来の話だったのかもしれない。 彼はあのときのようにもうわたしの手を取ろうとはしなかったけど、それでも視線で包み込むようにしてこちらの反応に頷いた。 「強い恋愛感情はひとを振り回すしコントロールが効かないし、時としてそれ一色に全てが染まっちゃうものだけど。救いは永遠に続くものじゃない、いつかはそこから抜け出せるってことだよね。僕は今からその日を楽しみに待ってる。…茜さんと一緒にゆっくりと、ここで顔を見合わせて穏やかな時を過ごす。そうしたらきっと、その時こそほんとに心の底から安らげるんだって…。いつか僕たち、ここでもっといろんなことを共有して二人で暮らそう。その時まだ、君のパートナーが僕なんかでも構わないと思ってくれてたなら」 「…本当に?」 わたしはちょっと信じられない思いでまじまじとほど近い彼のすっきりした顔を見つめた。 正直わたしは彼にとって、香那さんの補完的存在というか。彼女がいるから反作用的にわたしがいる。あの人に対して意地を張って、自分にも配偶者がいるんだってバランスを取るために結婚相手を見つけたに過ぎないのかもって思ってた。 だから親切にしてくれるし何かとわたしのことを思いやってくれてるのはわかるけど、ずっとそばにいてくれるかとかはあまり期待するのもどうかと。やっぱり香那さんを幸せにしたい、っていつか告げられても恨みっこなしだなとどこかで覚悟して身構えてた。 彼女に捉われてる気持ちから将来自由になれたら。ここに完全に戻ってきて穏やかに二人で一緒に暮らしたい、って考えてくれてるとは。ほんとに予想もしてなかった…。 「…でも、なんで?あの人に対する気持ちがいつか薄らぐって思うなら。その頃はわたしについてももうどうでもよくなってるかもしれないでしょう。ただ静かに一人になりたいって感じるだけかもしれないよ?」 あるいは、また別の新しい女の子を探したくなるとか。…星野くんに限ってそれは、ちょっとイメージしづらいけど。 彼は小さく笑って疑い深いわたしの呟きをすぐに否定した。 「それはないよ。君に対しての僕の思いは。そういう波のある、不安定なものじゃないんだ。…いつもここにある、あったかい穏やかな気持ち」 組んだ手を解き、片手をそっと自分の胸に押し当てた。 「君のことを思い浮かべると自然と顔が綻んでほっこりする。茜さんは僕の帰る場所、僕が自分の意思で選んだたった一人の特別な家族だよ」 「…うん」 わたしはここでどんな表情を浮かべるべきかわからず、俯いてすっかり冷めかけた自分のカップを持ち直した。 じん、とその言葉が次第に胸に沁み通ってきた。…お互いわたしたちはこの世界でたった一人を選びあった、かけがえのない家族。 血脈で繋がってもいない、生まれつき何の根拠もない。だけどだからこそ、ほんとに自分の意思で選択したって言える。 少なくとも彼はそう考えてくれてる。わたしの方はというと、それでも自分が彼の視界に入ったのはたまたまの偶然だよなって冷静に思わないこともないけど…。 「せっかく選んでくれたのに。こんなだらしのない、自分の蒔いた種も一人で片付けられない女でごめんね。これからはもう、星野くんにおかしな迷惑かけないよう。気をつけていくつもりだから」 つい今日の出来事を思い返してしみじみとそう呟くと、顔をそっちに向けなくても彼が隣で優しく微笑むのが伝わってきた気がした。 「だから。…そういうのは本質的にあまり関係ないよ。今まで僕の知らないどんな要素が出てきてもそれも君だな、って思う。それで君を見る目が変わったり、失望したり関心を失くしたりはしないから。だって、それが恋愛感情や身体の関係にいちいち左右されないでいられる特別な、何にも代えがたい『家族』ってものでしょう?」 「…茜」 一週間ぶりの翌土曜日。今日はわたし一人だからなんの気兼ねもなくインターフォンの前で 「あ。…わたし」 といつものように平然と名乗る。何も言わずにがちゃ、と切る音がしたかと思うと速攻でドアがばっと目の前で開いた。 ため息をつくようにしみじみとわたしの名前を呼んで、そっと中に入るように手で促す。そうか、先週はいろいろあって大変だったんだよな。と改めて思い出してるわたしを招き入れて背後でドアを閉めた途端、ふわと抱き上げられた。 「いや。…無理だよ。重いよ」 そのまま部屋に上げようとする川田にびびって思わず辞退する。靴も脱いでないし。そんなにめちゃくちゃ体重が軽い方でもない。特別太ってはいないと思うけどそこそこ身長あるし。 川田はわたしを無理やり抱きしめながらぎゅっと顔を肩に埋め、くぐもった声で答えた。 「重くなんかないよ全然。お前細いし」 「いやいやそんなわけない。…だいじょぶ、自分で歩けるって。靴脱がなきゃだし」 「あそうか」 そのまま部屋の中へ引き入れるとこだったのをさすがに一回玄関に降ろした。やれやれ、なんなの本当にもう。屈んで靴を脱いだ途端にひょい、と後ろから抱え上げられた。…まさかのお姫様抱っこ。 わたしは仰天した。絶対途中で取り落すでしょ! 「川田。…そりゃちょっと、さすがに。無理だって。…言ってんのに」 「へーき、それより。…暴れんなって。じっと大人しくしてないと落っことすぞ」 恫喝としか思えない。わたしは思わず奴の首っ玉に両腕を回してひしとかじりつき、身を縮めて黙り込んだ。
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