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カルテNo.2 さぁどうやって治そう?
「鉄欠乏性貧血…?なんじゃそれ?」
「簡単に言うと言葉の通り体内の鉄が少ない状態ですね。」
「体内に鉄?なるほど解らんのじゃ。」
鉄欠乏性貧血
それは体内のヘモグロビンを構成するために必要な鉄分が足りなくなっている状況で発症する貧血だ。前の世界では罹患している女性が多かったから記憶に新しい。
血液検査をしてないから断言はあまりしたくないが、今回は問診と身体所見からある程度判断が出来た。
倦怠感・眩暈・顔面蒼白に加え眼瞼結膜という瞼の裏が白くなる症状。これらは貧血によくみられる症状だ。
そして特徴的だった所見がコレ
「エリザさん、その爪いつもと違いますよね?」
「言われてみれば…。」
「なんじゃ爪がどうかしたかの?」
ラストさんがエリザさんの手を取ると指の爪が歪な形になっていた。中心部分が潰れ端がめくれ上がりスプーンのようだ。
俺が知る限り、本来吸血鬼の爪は肉の塊を抉れる程鋭利で硬質なものだと聞いている。その情報と比べたら異常と見るのは間違っていないだろう。
「どうしたんじゃこれ?」
「これが最も判断し易い特徴だった【さじ状爪】ですね。」
さじ状爪
それは鉄分不足によって弱くなった爪が変形する所見。
鉄欠乏性貧血の代表的な所見の一つだ。
「原因は出血や栄養障害なんですが、心当たりは?」
「出血は特に、食事もいつも通りですが。」
「ふむ?食事というと…吸血ですよね?」
「はい、そうです。」
今ある情報だけだと想定にすぎないがこの仮説はどうだろう。
「その吸血対象が栄養障害なのかもしれませんね。」
吸血鬼は自前で造血、つまり血を作ってはいないようだ。だが体の中には赤い血が流れ、繰り出す魔術では血を操ることもできるという。
では『その血がどこから来るのか?』と考えると吸血で得た血液、という結論に至るのはひどく明快だ。
「あり得るかもしれんの。」
仮説を投げかけるとラストさんが何かを思い出したかのように口を開いた。
「最近人間の領土で飢饉が発生してな、奴ら古い麦やイモばっかり食っとると思うぞ」
「なるほど、それなら十分辻褄が合いますね。」
エリザさんは魔王軍領土に攻め入ってきた人間の兵を相手にしか吸血していないらしい。飢饉で偏った食生活に戦闘で度々出血をしている人間なら血の質も悪くなるだろう。
となると、治療方針はひとまず様子見として鉄剤の投与…。
「あ、しまったな…。」
「どうしたのじゃ?」
「何か?」
鉄剤とは言ったもののここは異世界、鉄剤なんて絶対ない。鉄でできた調理器具で作った料理とかで補っていく、というのもあるけど地道だしなぁ。
「薬が無いと思うので、どう治療しようかと。」
「ふむ、お主の説明から察するに鉄をふんだんに含んだ血を飲めば治るのじゃろう?」
「理論的にはそうですね。持続的に摂取してもらう必要はありますが。」
「…まさかラスト様!?」
そこまで会話を紡ぐとエリザさんが声を上げた。
一体何を慌てているんだろう?
「多分おるぞ、健康そうな血を持つ人間が。」
「あ、本当ですか?魔王軍の領地には健康な人間が住んでるんですね。」
「うむ、1人心当たりがあるのぅ。」
「1人とは随分少な… ん?」
何だか嫌な予感がする。
ふと顔を上げるとラストさんが悪そうな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「まさか…俺ですか?」
「察しがいい男は好きじゃぞサカモトよ。」
◇
「流石にダメですよ!」
「とは言うてもそれぐらいしかなかろうて。」
目の前で二人の押し問答が繰り広げられている。
普通に考えたらラストさんの提案に対して嫌悪感を示す人間は多いだろう。
吸血鬼に血を吸われた人間は呪われた・穢されたと人間界で不当な扱いを受けるようになるからだ。
だが、提案として合理的だ。
健康な血液の安定供給を達成するには実に合理的だ。
不幸か幸いか俺の血液検査の数値は平常値だったと思うし
「あのー、俺別にいいですよ?」
「サカモトさん!?」
「吸う量を間違えなければその…魔物化はしないんですよね?」
この情報は先程ラストさんから貰った知識の中に入っていた。
人間は『吸われた=魔物化or呪わる』と思っているらしいが冷静に考えれば食料を同類にしてどうするんだという矛盾に簡単に行き着く。
「はい、ですが…嫌じゃないんですか?」
「うーん、嫌か嫌じゃないかで言ったら嫌ですけど。」
「そうでしょう?ならば…。」
「でもそれでエリザさんの病気が治るならいいじゃないですか?」
不死者の身体は病に慣れていない。
このまま症状を感じ続けていると心の病になるかも知れない。そう考えると患者のQOL(生活の質)を上げるためにも一肌脱ぐしかないだろう。
「ラストさん、俺の衣食住は提供してもらえるんですかね?」
「勿論じゃ!大事なエリザの健康にも関わる事じゃから優遇するぞぃ。」
「ということだそうですが。」
俺が渡りをつけてもエリザさんはまだ納得がいっていないようだ。吸血鬼としては血も吸えて病気も治って万々歳のはずだが?
「解りました…。でも条件があります。」
「なんじゃ?」
そう思っていると彼女が何か決意したような顔で口を開いた。
「私にユタカさんのお世話をさせてください。」
「は?」
「私が原因でここまで来ていただいて病気を治して頂いただけでなく、血まで頂いてしまったら…吸血鬼の名折れです。」
「妾としては構わぬが、お主はどうじゃ?」
そうかプライドの問題だったのか。
吸血鬼は不死者の中でも上位の存在
おいそれと施しは受けないというスタンスか。
「俺としては患者が近くに居るのは容態が見やすいので構いませんよ。」
「では決まりじゃの!」
会話ができる人がそばにいるのは有り難いし、患者観察の面でも合理的だ。早速話が纏まりラストさんが配下っぽい人達を呼び出しバタバタと騒がしくなってきた。
「えっと…と言うわけですが。」
「そうですね。」
「それでは宜しくお願いしますね、ユタカさん。」
「どうぞ宜しく、エリザさん。」
こうして俺の吸血鬼と過ごす異世界生活が始まったのだった。
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