第六連鎖 「上昇ト下降」

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

第六連鎖 「上昇ト下降」

「もう夏休みが終わっちゃうのかー。  ずっとずっとずっと、若いままでいたいなー。」 その少女は窓の外の荒天の景色を眺めて呟いた。 彼女はクラスメイトからこう呼ばれていた、センター。 よくアイドルグループで使われる用語である。 中心、真ん中。 確かに彼女はクラスの太陽的な存在ではあった。 「…今年の夏も、もう一歩だったのになー。」 溜息混じりに、つい口から漏れてしまう。 彼女自身はクラスのセンターでは満足していなかった。 彼女は本物のアイドルになりたかったのである。 今年の夏休みも幾つかのオーディションに応募した。 最終審査にまで残ったグループもある。 …だが合格出来なかったのだ。 彼女は本物のアイドルにはなれなかったのである。 彼女は進学なんて意味が無いと思っていた。 若い内に自分に付加価値を付けていかないと…。 女性の一番の価値は若さである、その次が美貌でしょ。 …それは強迫観念に近かったのだ。 「それにしても、さっきのメールは何なんだー。」 彼女は校内にダンス部が無かったので合唱部に所属していた。 少しでもアイドル活動の足しになればと、選んで入部したのだ。 その部活の顧問から不思議なメールが届いた。 顧問はクラス担任の女性の新人教師。 生徒からはネガティブのネガと呼ばれている。 それは彼女が付けたニックネーム。 彼女は勉強が出来る女性が好きではなかった。 性格や気質を見抜いて、遠回しにディスりたかったのである。 そのネガからのメールが不思議なものであった。 先ずパスワードを打ち込まないとリンク先に行けない。 何かの情報らしいのだが開く事が出来ない。 しかも、そのパスワードが待てど暮らせど送られて来ない。 全くネガらしい…、彼女は少し呆れていた。 以前にも似た様なメールが送られて来た事がある。 その時は後からパスワードが送信されてきた。 そのパスワードを入れて飛んだリンク先は画像倉庫である。 合唱部の発表会の動画だったりした。 個人情報に関しては、学校側はうるさかったのだ。 そんな事を思い出したりしている時に着信音。 両親からの電車事故で帰宅が遅れるとのラインが届く。 彼女はチラッと時計を見て、また深く溜息を吐いた。 「電車事故だってー?  ふざけんなー。」 仕方が無いのでセンターは独りで夕食を取る事にする。 野菜サラダがメインディッシュ。 彼女は成長期の自分の身体のフォルムを気にしていた。 アイドルにしては大き過ぎるのでは…? 下半身が女性らしくなってきているのも気に喰わなかった。 独りで夕食を取りテレビをボンヤリみながらスマホをいじる。 その間もネガからパスワードは送られて来ない。 彼女は大して気にもせず、そのメールを放置していた。 「何でグループラインじゃないんだよー。  ほんとにネガっぽい事するなー。」 まだ台風も本格的じゃないし、休校は在り得ない。 明日になったら本人に直接聞けば良いのだ。 本人に…。 そのメールは、踏切事故の現場から送信されていた。 送ったのは、かつてネガだった亡骸である。 事故で失ってしまった利き腕の代わりに、左腕の指だけで操作された。 その送信時刻は事故発生時間の後だという不思議。 それどころか、即死したネガの死亡推定時刻よりも後であった。 だが、その事実はスマホが大破してしまっている為に誰にも知られていない。 彼女は自分の部活の部員に、とあるメールを送信した。 それは或る一人の生徒に宛てたものだったのだ。 それこそセンターである。 カムフラージュの為に一斉送信した。 死して尚、自分の感情を読み取られるのを嫌ったが故に。 授業をしながら、クラブ活動の顧問をしながら。 ネガはセンターを見ていた。 彼女はセンターが羨ましかった、自分もこんなに明るければ…。 自分に無い部分を一杯持っている彼女が羨ましかった。 そして妬ましかった、憎らしかったのだ。 自分にネガティブの烙印を押したのもセンターである。 慎重な守備型性格を切って落とされたのも嫌だった。 勿論ネガなんてニックネームも、気に入る訳が無い。 早くクラス替えしないかな、…センターがいなくならないかな。 …いなくなれば良いのに。 彼女が死ぬ瞬間に、それらの思いが凝縮して結晶化した。 自殺した少年の復讐の為のデスマスクの写真。 それが媒介となって呪いの感染が拡大している。 その写真に転移した強烈な恨みが作用しているのだ。 ただ、不思議な事に第一発見者の青年を除いては…であるが。 その青年も明日から新学期なのに全く寝付けない。 少年の自殺からの一連の出来事で神経が過敏になっていた。 まさか自分が助ける為に撮影した写真が媒介になっているなんて。 …想像もしていないだろう。 彼はボンヤリ考えていた、…もう忘れられないな。 この町を出ないと、あの少年の一連の事は。 …学校の近くに引っ越したいな。 青年が住んでいるのは元々は実家である。 その賃貸住宅に家族全員で入居していたのだ。 離婚した母親が抽選で当てた公営住宅。 母が若くして亡くなってしまい、兄弟姉妹は独立していった。 その為、祖父が保証人となり継続して住んでいる。 公営だけに家賃が安いという事のみで。 部屋は二間も在って広いが、独りには寂しい。 時々、友人や彼女が宿泊しに来るのには便利ではあったが。 漠然と、何処かへ行きたいと思っていた。 もう熟睡する事なんて出来ない様な気がしていたのだ。 何処か遠くの誰もいない場所で暮らしたいな…。 センターは天気予報で台風情報を見ていた。 唐突に臨時ニュースが字幕で流れ始める。 地元の路線の人身事故による不通のニュースであった。 彼女は舌打ちして再び時計を見る。 CMに代わった途端にビスケットが飛び跳ねる映像になった。 アルファベットを象ったビスケットが整列して商品名に。 BGMを歌うアイドルグループが好きだった。 新メンバー募集のオーディションは書類審査で落とされている。 「ちぇっ。」 センターは、気持ちが落ち込んできたのが自分でも分かった。 ダウナーだなー。 そんな事をボンヤリと考えていて、ふと閃いた。 アルファベットを頭の中で組み替える。 そしてそれを試してみたのだ。 ネガから送られてきたメールを見る。 そしてパスワードを書き込む画面にクリック。 そこに打ち込み始めたのだ。 「NE…GA…。」 NEGATIVE…ネガティブと入力してみる。 それは予想通りパスワードとして認証された。 そして画像が提示される。 それは見知ったクラスメイトの少年の…、血まみれの頭部であった。 「なっ…、趣味悪っ…!」 担任の悪戯で、加工された画像だと思った。 …思い込もうとしたが。 全身を駆け抜ける悪寒と、立ったまま消えない鳥肌。 叫んだら吐きそうな嗚咽を繰り返した。 「ネガのやつー、ふざけんなー。」 恐怖で涙が溢れ出てきた。 このまま此処に独りじゃいられない。 センターは直ぐに家を飛び出した。 1階のエレベーターホールで両親を待とう。 …独りじゃいられないんだってば。 急いでドアを開けて外に出る、直ぐに鍵を閉めた。 よろける足取りで廊下を通りエレベーター前へ。 エレベーターは二台で、片方は故障で点検中であった。 慌てて両方のボタンを押してしまう。 何故か点検中の貼り紙がしてある方が昇ってくる。 ドアが開いてライトが点いた。 「故障してないじゃんー。」 早く1階のホールに降りたい一心で乗り込んだ。 そうしないと彼女自身が故障してしまうからである。 1のボタンを強めに連打した。 その度に頬から涙が飛び散っていく。 がこん。 エレベーターは下降を始める。 センターはホッと安堵の深い息を吐いた。 やっぱり故障は直ってる、…良かった助かったー。 その時である。 がこん。 何故か急停止してしまった。 そしてユルユルと上昇を始めたのだ。 「…えっ、…えっ。」 もはやセンターはパニックになってしまった。 停止ボタンを押しても上昇は止まらない。 10階を過ぎ…、13階も過ぎた…。 残るは屋上への入り口のみである。 それが半分ぐらい見えた時に突如エレベーターは停止した。 そしてドアが開いたのである。 連れてホール側のドアも開いてしまった。 「…!」 センターは絶句した。 全く自体が把握出来ず、何も呑み込めていない。 やはりエレベーターは故障していたのである。 全体の半分ぐらいだけの所で止まってしまったのだ。 ちゃんとドアの前に停止していない。 「どうしよ…。」 彼女はパニックで一刻も早く此処から出たかった。 頭上の半分だけ開いている隙間を見上げる。 バリアフリー仕様の手摺りに足を掛けて登ってみた。 そして半分しか見えていない屋上ホールを覗く。 …小さなLEDのライトだけなので青っぽくて暗い。 だが非常用出口のドアは開いている様である。 それなら階段を降りていけば、1階まで辿り着けるのだ。 彼女は恐怖のせいか決心する。 躊躇せずに半分だけの出口に手を掛けた。 手摺りに足を掛けたまま身体を伸ばしてホール床に腕を出す。 力を込めて身体全体を引き摺り上げて床に預ける。 …その時である。 がこん。 エレベーターが少しだけ下降してしまった。 センターの身体が狭くなった隙間に圧迫される。 ぎりぎりセーフであった。 彼女は流れ続ける涙と失禁で、既にびしょ濡れになってしまう。 恐怖と戦慄で状況判断力も無くしていた。 その狭くなった入り口から身体を出そうともがく。 だが下半身が引っ掛かって上手く脱出出来ない。 それは彼女の懸念とは別に、ポケットのスマホが引っ掛かっていたのだ。 少年の写真が怖くて家に置いて来たつもりであった。 だが、いつもの癖で尻ポケットに突っ込んでいたのである。 ただその事に、彼女自身は気付いていない。 無意識の内にであるが、またも自分自身の下半身を呪っていた。 叫んで助けを呼ぼうにも過呼吸で苦しい。 …その時である。 誰かが非常用階段を上ってきている足音が聴こえてきた。 ことっ…ことっ…ことっ…。 確かに足音が聴こえる。 誰かが上ってきてくれたんだ、…助かったー。 センターは涙で朦朧としている視界の中、非常用出口を凝視した。 かたり。 LEDライトの薄青い光の中から、人影が浮かんだ。 それは先程まで彼女の頭に浮かんでいた人物であった。 センターは目を凝らして顔を見る。 「せんせ…っ?」 確かに、その人影はネガと呼ばれている女性教師であった。 …かつては。 「ひっ…!」 ただその顔は半分潰れている、狂ったデッサンの絵の様に。 その為に視点は定まらず、彼女の方を見ていない。 流れ出ている血が、まるで涙の様に見えた。 右腕が無く肩からシャツの袖が揺れて、その先から血が垂れている。 …ひらり、ひらひら。 「…やだっ、やだよー。」 変な方向を向いてしまっている足を引き摺りながら近づいてくる。 センターは恐怖で気が狂いそうであった。 震えが全身に拡がって止まらない。 ずずっ…ずずっ…ずずっ…ずずっ…。 青白い光なので分かりにくいが、ネガは血まみれであった。 引き摺る足から血の跡が描かれていく。 どんどんセンターに近付いてきて、遂には止まった。 「…アナタ…ナラ…。」 ひしゃげた口から血を吐きながら喋り始めた。 それは何処か遠くから聞こてくる様な声である。 「…ワカル…ト…、…オモッテ…タ…。」 もうセンターには聞こえていない様である。 瞳は真っ紅に染められ、見開いたまま。 彼女は見えている事が信じられないのであった。 明暗も色相も真逆に反転して見えているのである。 それはまるでネガフィルムの中の景色の様に見えていた。 かつてネガだった亡骸は、その潰れた顔で笑った。 そしてセンターを見下ろしながら左腕を伸ばしたのだ。 それから全く躊躇もせずに下降のボタンを押した。 「ぐぐっ…!」 がごっ、…がこん。 エレベーターは少しだけ下降して13階に止まった。 屋上のホールにのセンターの上半身を残したまま。 彼女の下半身はエレベーターの中である。 エレベーター内に、液体が零れる様な音がしている。 そしてネガの亡骸は、もう一度ボタンを押した。 エレベーターはユルユルと降りていく、センターの下半身を乗せたまま。 地下1階の駐車場入り口ホールに着いた。 そこでライトも消えて動かなくなってしまう。 故障で点検中の状態に戻ったのだ。 これではセンターの下半身は暫く見付からないだろう。 尻ポケットのスマホも、…その中の写真も。 これでセンターは女性らしくなってきた下半身を気にしないで済む。 何故なら、それは離れてしまって目が届かなくなったのだから。 屋上入り口ホール、上半身だけになってしまったセンター。 それでも尚、彼女は美少女であった。 口から溢れ出た血が、ルージュの代わりに唇を紅く染める。 それは死して尚、彼女の美貌を引き立てた。 暫く佇んでいたネガの亡骸は、ユラユラと非常用出口に向かう。 そして階段に出て、外から扉を閉めた。 …鍵が閉まる音がする。 台風の時に屋上に来る人は誰もいない。 これでセンターの上半身も暫くは見付からないだろう。 「ずっとずっとずっと、若いままでいたいなー。」 彼女の願いは叶ったのだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!