卒業~伊上智幸~

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卒業~伊上智幸~

 玄関を出て、見上げた空は、灰色だった。低く垂れこめた雲からは、今にも雨が落ちてきそうだ。空気も冷たい。袖の隙間から入り込んでくる風が、肌を粟立たせる。うっわ、手袋取ってくっかな。そう思ったとき、「智幸」と声が掛かった。傘を持った菜穂が、門の向こう側からこちらを覗いている。 「早いな」  驚くと、「えへへ」と菜穂は笑う。 「最後くらい、ちゃんと早く起きようと思って」  その菜穂の言葉に、どきっとした。今日は卒業式だ。最後だということなんて、とっくに分かっていたはずなのに。傘立てから自分の傘を取って、何も言わずに菜穂の隣に並ぶ。「寒いねー、雨降りそうやし」と空を見上げる横顔をそっと窺った。ベージュのマフラーから覗く頬には、寒さで赤みが差している。智幸は右手に持っていた傘を左手に持ち替えると、グレーの手袋にくるまれた菜穂の手に触れた。菜穂は、驚いた顔でこちらを見上げてくる。「最後やけん」と目を逸らして言った。 「だって、帰りはそのままクラス会だろ。だったら、もう、ほんとに最後やし……」  言い訳をするように言葉を連ねると、「そうだね」と菜穂は静かに頷いた。それきり、俯いた菜穂は、何も言葉を発しない。  どちらとも無言のまま、少し歩いたところで、「ちょっと待って」と、菜穂が繋いだ手を解いた。そろそろ大通りに合流するからか、と理解して、手を引っ込めようとした。けれど菜穂は、手袋を外すと、その手を智幸に差し出してくる。引き寄せられるように、手を取った。肌と肌が、直に触れる。手袋をしていたせいか、菜穂の手はしっとりと少し湿っていて、柔らかい。 「智幸の手、あったかい」  照れくさいのか、俯きがちに菜穂が笑う。どくん、と身体の中で心臓が音を立てた。細く小さな手をぎゅっと握り締めて、大通りまでの短い距離を歩いた。
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