H.M.K

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はち切れそうな腹を抱えて事務所に帰ってくると、もう眠かった。 もう一回風呂に入るか?と聞かれたが首を振ってベッドに入る。 そしたら歯を磨けって椎名に怒られた。 椎名は優しいけど(今の所)結構自分の思い通りに人を動かしたいらしい。 面倒臭かったけど仕方が無いから風呂の前にある洗面所で、もしゃもしゃと歯を磨いていると、何やら風呂の中から水音がする。 椎名は部屋の中にいたし、磨りガラスから見えるシルエットは健二だ。 別に「俺の風呂だ」と偉そうに言える立場じゃないし、どちらかと言えば風呂もトイレも健二の物だ。 俺が逃げ出す心配をしてるなら部屋のどっかに繋がれても文句は言わないから、願わくば椎名も健二も早く自分の家に帰って欲しい。 早く一人になりたくてベッドに潜って、綿の毛布を頭から被った。 「葵?……」 「………」 「葵?寝たのか?」 寝てないけど……起きてるけどもうすぐ寝ます。 だから健二さん、話は明日聞きますから家に帰ってください。 「葵〜」 ゆさゆさって……。 もう口をきくのも面倒くさいけど初対面の相手だし、明日も顔を合わすし、焼肉食べたし……仕方がない。 「……何ですか?」 「葵、悪いけど、もうちょいどっちかに避けてベッドの片方を開けてくんないかな」 「……………何でですか」 「いいから、ほら、避けろよ」 「だから何で……」 「俺が寝れないだろう」 「…………」 「……………家に帰らないんですか?」 「あれ?椎名が言わなかったっけ?俺もこの事務所に住んでんだ、これからよろしくな」 「えっ!!!」 新事実発覚。 聞いてない。 そして、もしかして、もしかしなくても、同じベッドに二人で寝ようって言ってる? 嫌だし、冗談じゃ無いし、怖いし、気持ち悪い。 「俺!事務所のソファで寝ます!」 「何でだよ、このベッドはダブルだし、元々椎名さん用だから普通より長いんだ、二人でも十分寝れるよ」 「結構です!」 幸いな事に今は暑く無いけど寒くも無い秋口だ。 雨も掛からないし、金を盗み取られる心配もない。枕も掛ける物も何もいらない、ソファで十分だ。 「待てよ葵、何?何だよ」 「本当にいいんです、健二さんはここに住んでるって事でしょう?なら、あのベッドは健二さんの物です、俺は遠慮します。思う存分両手両足を広げて悠々と寝てください、俺に構わないで」 「葵?落着けよ」 「落ち着いてます!!」 嫌なのだ。 誰かと寝るなんて絶対に嫌。 健二も健二だ。 嫌だと言ってるんだから放っておけばいいのに、どうしてそんなムキになる。 広いと言っても男二人が一緒に寝れば手も足も当たったりするだろう、一人の方が絶対に快適な筈なのに「待て」と言って肩に腕が掛かる。 「嫌ってどうして?!」 「気色悪いからです!!」 「気色悪い?!何がだよ!風呂も入ったし歯も磨いたから俺は臭く無いぞ」 「離せよ馬鹿!」 顔を覗き込んでくる健二の体を押したせいだろう、肩に乗った手がスルリとズレて首に掛かった。 「きゃあ!!」 バッとしゃがんで口を押さえたがもう遅かった。 後ろ首を触られるのは嫌なのだ。 でも、つい出てしまう悲鳴はもっと嫌だ。 思わず出てしまった女のような悲鳴に恥ずかしさが込み上げる。 顔を上げる事が出来ずに丸まると、痴漢を疑われた男みたいに両手を上げて驚いている健二の前にスッと椎名が体を入れた。 何か事務仕事でもしていたのか、眼鏡を掛けている。 「椎名さん、俺は何も……」 「うん、いいから健二はもう寝なさい、悪いけど葵くんはソファで寝てね、そうだ、健二、納戸に予備の毛布と枕があるから出してあげて」 「椎名……さん……」 「ほら、早く、俺ももう帰るからさ、また明日な」 「はい……」 健二は少し不満そうだったが、毛布と枕を出してから素直にベッドのある部屋に入って行った。 ちょっと不思議だが……強い言葉も、命令口調も無いのに、椎名は人を従わせるのが上手い。 まあ、ヤクザだもんね。 何にせよ健二が何も言わずに引いてくれた事にはホッとした。 何故嫌なのかと聞かれても「嫌」としか言えないのだ。そして椎名に聞かれてもそれは同じだ。 きっと赤らんでいる顔を見られたくなくて、下を向いたまま立ち上がると椎名がマグカップを出してきた。 「暖かい牛乳……飲む?」 「え?いや……お腹一杯だからいらないです、……あの、椎名さん、すいませんでした、明日……健二さんにも謝っておきます」 「ん?何を?」 「大きな声を出したし……その……」 健二は何も首を絞めた訳じゃないし強く掴んだ訳じゃない。自分でも過剰反応だと自覚があるのに、オーバーな悲鳴を聞かされては不快な気持ちになるだろう。 椎名だって驚いたと思う。 それなのに、何も無かったようにニッコリと笑った。 「この事務所では怒鳴りながら包丁を振り回した奴もいるんだよ、もう凄かった、何があったか聞きたい?」 「はい……」 別に興味は無かったけど椎名もそれはわかってる。借金を盾に息子を隠したなって怒鳴り込んで来た男が包丁を出して窓ガラスを割ったって…… うん。凄く真っ当なヤクザの世界。 その男の借金額とか家族構成とかその後どうしてるか、なんてどうでもいい事をツラツラと並べ続ける椎名の話は長くて……遠くなっていく。 ボソボソと聞こえるのは2つの話し声だ。 ベッドに行った筈の健二かなって思ったけど、何を話しているのか気になったけど…… 何だか心地良くて、いつの間にか子守唄になってしまった。
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