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第5話 莫逆の友
彼の視点
「ありゃ絶対、道わかってないよ」宮前が少し前を行く2人を指して言う。
それは僕もわかっている。最短ルートの曲がり角は通り過ぎた。
「やっぱり教えてあげた方がいいんじゃない?」天野が提案する。
「もうすこし、待ってくれ」逸る2人を押しとどめる。
「なんでだよ、このままじゃずっとまっすぐだぞ」宮前が不満そうに言う。
あの2人はもう少し2人だけにしてあげたかった。
心の中で確信があった。きっと姫里は真希にとってかけがえのない人になると。
すると2人が曲がり角を左に曲がる。
「おっ曲がったな」宮前が安心した声を出す。
きっと、真希が教えたのだ。姫里に、真希が、歩み寄った。それだけで僕は心が温かくなった。
僕らもそれに続いて左に曲がり、しばらく行くとまた左に曲がった。
「順調に商店街に向かってるみたい、でもどうして急に曲がったのかな」
「真希が教えたんだろ」僕が疑問に答える。
「あの子が? ふーん」天野は意外そうに言う。
そうしてまたしばらく歩き、右に曲がる。その先はもう商店街が見えるはずだ。
「何はともあれ、無事につきそうだな! よしよし!」宮前は僕を見て、『もう近づいてもいいよな』と視線で訴えてくる。
僕は頷き「ああ、それじゃいこう」と言った。
右に曲がり、歩みを速めて2人が待つ商店街の入り口へたどり着く。
「いやー無事につきましたな! 何より何より!」宮前は語調を変えて話す。「さてヒメさま! ここが天下に名高い白縄商店街です! 大抵の食材屋から、服に履物、風が吹けば儲かる桶屋までそろってる八百万の商店街です!」バッと宮前が手を広げて商店街を指す。「さあ、どこにいかれますか!」
姫里は少しだけ商店街を見つめた。「どこも魅力的なお店なので、皆さんがよく行かれるところに行きたいです」そう言って姫里はここから見える店の構えをゆっくり見る。
「はーい」と天野が声を上げる「まずはここから近いアタシのおすすめ雑貨屋の―――」
「『anninal』にいきましょ」真希が主張する。『anninal』はイタリア発祥のお店で、黒や赤を基調としたすっきりとした印象を抱かせる服が特徴の、婦人服ブランドだ。
「『anninal』って、商店街の真ん中じゃない! それにすっごく高いじゃない」天野が意見を言う。
「わたしが好きなんだもの、いいじゃない」真希は天野を意に介さない。
「あのねぇ…」
怒りにこぶしを震わす天野を僕と宮前がなだめる。
「ねえ、舞はどっちがいい?」未希が隣の姫里に聞く。
「舞って…私のことですか?」
「あったりまえじゃない。ほかに名前に舞が付く人、いないじゃない。好きに呼んでいいんでしょ?」
「は、はい! わかりました」
どうやら、僕が思った以上に関係が深まったようだ。
「で、舞はどう?」
「先に天野さんに教えていただいたので、まずは天野さんのおすすめでいいのではないでしょうか」
「あら、残念。まあ舞がそう言うんじゃ仕方ないか。それじゃ天野さんの言うところへいきましょ」真希はあっけなく自分の意見をひっこめる。
「あんたねぇ…さっきから人の神経を…」
怒髪天を突きそうな天野を宮前と必死の思いでなだめて、天野がおすすめする雑貨屋に向かった。
途中2,3ほどの食材店を覗いて、目的の雑貨屋にたどり着いた。
入り口に掲げてある看板を見る。
『雑貨屋 ナラ―シャ』
「ここよ! 日本を含めて、アジアのいろんなかわいい小物がたくさんあるの」
店の外観には、きれいな糸で繊細に織られたのれんのようなものがかかって目を引き、入り口の左右には作りこまれた木造の鹿が居て、僕たちを出迎えてくれる。
その時、突然姫里はのれんと木像にかけよった。
「なんて魅力的なんでしょうか! こののれんの模様は何でしょう? 宝尽くし文によく似ていますが、よく見ると弓なんかも書かれています! この鹿も! 目はべっ甲でしょうか!角の先から蹄まで…まあ! 足には有穴腫瘤まで!」
宮前と天野はその姿に呆けてしまっている。
「ねぇ」真希が話しかけてくる。「宝尽くし文と有穴腫瘤ってなに?」
どちらもあまり耳馴染みのない言葉だ。僕は頭の知識を探る。
「宝尽くし文っていうのは伝統の和柄で、扇や小槌なんかのめでたいものを集めて文様にしてあるんだ。普通は弓なんて柄には入ってないはずなんだが...。それと有穴腫瘤は鹿の足のできる、やまびるに吸われた跡のことだ」僕は真希に説明しながら、姫里がそんなことまで知っていることに驚いていた。
「それじゃ、はいろっか…」苦笑いしながら天野が店を指さす。
「はい!」姫里がそう答え、二人は中に入る。
「ずっと、あのテンションでいくのかな…」宮前が心配しながら2人に続く。
「わたしたちもいきましょ」
「ちょっと待ってくれ」僕はそう言って真希を止める。
「どうしたの?」
「姫里は、どうだ? その、真希としては…」どう聞けばいいかわからないがきっと真希ならわかってくれると信じてあいまいな聞き方をした。
「そうねぇ、お昼言ってた『世間知らず』は撤回する。今はこのくらいかしら」
「なるほどな」姫里はかなり真希に影響を与えてくれているようだ。
「もういいよね、いきましょ」
「ああ」
俺たち2人も少し遅れて、宝尽くし文かもしれないのれんをくぐった。
すると外界とは隔絶された世界が顔を出す。
本物の木を張り巡らした内装はジャングルを思わせる。
その木々の合間に置かれるようにして陳列されたものは、国籍も、年齢も、バラバラなはずなのにどこか統一感があった。
「なるほど! そうなのですね!」
またしても姫里が興奮していた。
向かいにはレジカウンターを挟んで男の人がいる。筋肉がたくましい、背の高い男性で、たしかこの店の店長さんだったはずだ。
「なみえちゃん、すごいわねこの子。知識も豊富だし、すぐ吸収しちゃう」話し方でわかるとは思うが店長さんは心は女性だ。
「すみません、暴走しちゃって…どうしてこんなになったのか…アタシもわかりません…」
「あら、いいのよ! アタシの感性を理解してくれるんだもの、歓迎しちゃう」
その輪の中に宮前はいない。どうやら店の奥に行ったらしい。
「あっ」姫里がこちらに気づく。「近衛さん! 日向さん! すごいんですよ! 店長さん、あののれんと鹿、ご自分でおつくりになさられたそうですよ!」あまりの興奮で言葉の使い方が怪しくなっている。
「へぇ、そうなのか」僕もこの店に来たことは数回あるものの、そんなことは知らなかった。
「あの生地や木像を、自分で…」真希も驚いているようだ。
「あら、やだわ。そんなに褒められると照れちゃうじゃない。時間があっただけよ。それにのれんの方はまだ満足してないの、その都度つけ足してるんだから」
「自分の大好きなものをあつめて、自分なりの宝尽くしを作られてるそうですよ! その考え方が素敵じゃありませんか?」目を輝かす姫里。
「アタシ、おだてられたら木にも登っちゃう。まだ店頭に出していない面白いものが裏にあるの、みてみない?」
「いいのですか、ぜひ!」
そう言って店の奥に消えていく2人。
「ちょ、ちょっと。待ちなさいよヒメ!」あわてて追いかける天野。
そして僕たちは取り残された。
「ぷっ」っという音とともに真希がケタケタと笑い出す。
「なによ、舞ったら。めちゃくちゃじゃない」そう言って続けて笑う。
天野の予想は当たったわけだ。ただし、思わぬ人物によって。
「ほんとめちゃくちゃだな」僕もつられて苦笑する。
「すごいよな、ヒメさん」ひょっこりと横から宮前が現れる。
「宮前、どこに行ってたんだよ」
「あれに巻き込まれたくなかった」そう言って宮前は姫里たちが消えていった方を見る。「今日はこの店で終わりそうだな」
「そうね、まあ舞が楽しそうだからいいんじゃない」
「おっ」っと宮前は小さくつぶやいて「今日はごきげんそうねぇ、日向さん?」と言った。
「宮前君には関係ないでしょ」フイッとそっぽを向く真希。
宮前はうんうん、と頷いた。
「いやでも、まさかヒメさんがあんな性格してるとは…」
「あら、意外?」
「そりゃね、もっとおとなしいもんかと。深窓の令嬢って感じで」
「信一は?」真希が聞いてくる。
僕は今までの姫里を顧みた。
会う前の真希に対して『いいお友達になれそうです』と言った姫里を思い出す。
「意外じゃない。あれこそ姫里だよ」
その言葉を聞いて真希はうんと頷く。「わたしも、そう思う」
「えー、なんでさ」宮前は納得できないようだ。
宮前が言う深窓の令嬢も外れてはいないように思う。
ただ深窓の令嬢はきっと、眺めてばかりだった窓の外に、今初めて出てきたのだ。
彼女の視点
「また来てね、まってるわよ!」
もう日がすっかり沈みきり、帰らないとと店を後にしようとすると、店長さんがわざわざお見送りに出てきてくださいました。
「ありがとうございます! またお伺いします!」
「その時はなみえちゃんも、ほかのみんなもいらっしゃい、いい紅茶を用意しておくわ」
「ありがとうございます!」天野さんに続いて、皆さまそれぞれお礼を口にされます。
そうして私たちは歩き出しました。「じゃあね~」と手を振り続けてくれる店長さんに私はずっと後ろ髪を引かれる思いでした。
「ちょっと、ヒメ! 前見ないと危ないよ!」だって店長さんがずっと見ていてくれるのです。
けれども天野さんのいうことは正しいので、私は前を向くことにしました。
「でもさ、いいお土産もらったじゃない。よかったね! ヒメ!」
そうなのです。お店の奥でお話を聞かせてもらっているうちに見つけた、まだ店頭に並んでいない、刺繍の入ったお守り。店長さんが作られたそれにはかわいらしいウサギさんが描かれていました。それを今日の出会いの記念にとくださったのです。
「本当にお金を払わなくてよろしかったのでしょうか」無料で人から何かをいただくなど、家族以外ではまたまた経験のないことです。
「いいのよ、あの店長はそれが趣味なんだから」
店長さん曰く、『アタシの店を広める手段』なのだそうです。私にはわかりませんでしたが、いつか理解したいと思います。
感動を胸に、空を見上げます。星が夜空をかざりつけています。私のせいで予定よりも遅くなってしまいました。日向さんの教えてくれたお店にも行けませんでした。
自分の計画性のなさが、いやになります。
「いやーヒメさんが満足してくれたようで何より!」少し前を離れて近衛さんと日向さんと話していた宮前さんが近づいてきました。
「そうですね、宮前さんのおかげです。―――」私は反射的にありがとうございますと言いかけると、宮前さんが身振り手振りで言葉を制されました。
そして前のお2人に聞こえない程の声量で「このショッピングの真の目的忘れてない?」とつぶやかれました。
あっと気が付きました。
私は、信一さんに聞きたいことがあって宮前さんにこの機会を設けていただいたのでした。すっかり忘れていました。
「ごめんなさい、失念していました」
「それはまあいいけどさ。聞くタイミングはもうこの帰り道しかないよ」
確かにそうです。急がなければなりません。
「そこで俺は一計を案じた。さて…あまのっちさんよ」
宮前さんは私の隣を歩く天野さんに話しかけます。
「なによ、宮前。さっきからこそこそ2人で話しちゃって…」そう言いつつ天野さんも声量を抑えてくれます。
「言っていた通り、ヒメさんと信一に話をさせよう大作戦を発動するぞ」
「あの話、まだ生きてたんだ…」
「当たり前。あまのっちだってそれ込みでついてきたんだから、今更尻込みは許さないぜ」
「わかったから、んで? 作戦って言うからには計画があるんでしょうね」
「もちろん! いいか? まず―――」
そうして宮前さんは作戦を聞かせてくれました。
「そんなの、うまくいくわけ?」私も疑うわけではありませんが、少し運頼みが多い気がしました。けれども宮前さんの顔は自信に満ちているようです。
「文句はやってみてから! あの電燈を過ぎたらもうすぐ公園だぞ! 作戦開始だ」
「おー」と小さな声で宮前さんが言うので、私も、「おー」と続き、天野さんも渋々「おー」と言ってくださいました。
成功するかどうかは私にはわかりませんが、作戦を立てていただけることがうれしく、作戦を実行することが楽しかったのです。
では、行動開始です。
まずは少し歩みを早めて前を行く近衛さんたちと距離を詰めます。
十分に声の届く距離に近づけたら次は宮前さんの言葉。
「そういや、この辺りに公園なかったっけ? なあ信一?」
さすがは宮前さん、自然体です。
「ん? ああそう言えばあるな」
「久しぶりに遊びたいなぁ、ちょっと寄っていかね?」
「俺はいいが…」ここまでは宮前さんの予想通り。この後きっと近衛さんは日が暮れていることを理由に皆さんに尋ねるはずです。その前に天野さんが畳みかけます。
「いいねー!久しぶりに滑り台、滑りたくなってきた!」
天野さんも演技を感じさせません。
私も、いきます。
「なつかしいですよね! いいと思います!」
どうして私は演技が下手なのでしょう。お2人とは比べるべくもありません。
さあ残るはあと一人。勝負を分ける第一関門です。そしてやることは祈るのみの、いわゆる運否天賦です。姫里さんがどう出るかにかかっています。
「そうか…真希はどうだ?」
どうか、お願いしますと私は心の中で手を合わせます。
「いいんじゃない」
意外な言葉が飛び出しました。
天野さんもここで失敗すると思っていたらしく2人して顔を見合わせます。
宮前さんがすこしこちらを向き、私に笑いかけてくれました。姫里さんのその言葉を予測していたのでしょうか?
「おーし! んじゃ公園にいこうぜ」宮前さんのその言葉にもう否定する人はいませんでした。
夜の道にひっそりとその公園はありました。
決して広くはありませんが、少し多めにちりばめられた電燈がきっと夕暮れに帰る子どもたちを見送るのだろうと、温かな気持ちを抱かせてくれる…そんなところでした。
電燈が、ベンチやブランコ、ゾウの滑り台を照らします。この場所は、私が幼少の時、望んでやまないものでした。
「さあ、遊ぼうぜ!」宮前さんがそう語りかけます。
「わかったわよ」と返事する天野さん。
それにつられて、私も参加したくなります。
でもいけません。私はベンチで待っている役なのです。
「私はベンチに座って待っていますね」ベンチを指さしながら、そう伝えます。
「それじゃ、わたしも―――」とベンチに顔を向ける日向さん。
すかさず宮前さんが対処します。「あー女子と並んでブランコ漕ぐの夢だったんだよなー!日向さん! 一緒に漕いでくれませんか!」そうして宮前さんが日向さんにお辞儀をしながら手を差し出します。成り行きを知らない人にこの場面だけ切り取ってお見せしたら、きっと美しい告白のシーンだと思われるでしょう。
ここが最後の関門です。どうでしょうか。
「―――いいわよ」日向さんは、手を取ることはされませんでしたが、宮前さんのお願いは無事聞き届けられました。
「ありがとう!」と両膝をついて、神にも祈るようにお礼を言われる宮前さん。どうしてこう宮前さんの考える通りになるのでしょうか? 不思議です。
「でもどうしてわたしなの? 天野さんでもいいと思うけれど」日向さんが少し笑いながらそんなことを聞かれます。
「いや、あまのっちじゃあ、ノリきれないでしょ」その問いは予測できていなかったのでしょう。天野さんに配慮の欠けた発言になりました。
案の定、天野さんの雰囲気が硬くなりました。あとで宮前さんを弁護することにしましょう。
「んじゃ、残った信一はヒメさんを守る役ね」最後の一手を宮前さんが打ちます。
「ん? そうなのか?」近衛さんはもちろん意外そうです。
「女の子をひとり、ベンチに座らせておくわけにもいかないだろ」
「それはそうだが…」
少し、悩んでいる様子です。日向さんのことが気にかかるのでしょう。
やはりダメなのでしょうか。
残念で肩が落ちます。
天野さんと宮前さんを見ると、次の手を探っているようで、視線が泳いでいます。
ダメでもともとだったのです。近衛さんを悩ませてまですることはありません。
私はひとりで座っていると伝えることにします。
「いいじゃないの、信一。守ってあげなさいな」
私のあきらめの言葉を遮った思わぬ言葉の主は日向さんです。天野さんも、宮前さんも、その言葉で日向さんを見ました。
「ああ、わかったよ。それじゃあ姫里、行こうか?」そう言って近衛さんはベンチを指し示します。
「ええ、それではいきましょう」私はそう答えて、狐につままれたような感覚を持ちつつ、近衛さんと一緒にベンチに向かいました。
途中、ちらりと背後の日向さんを盗み見ました。
日向さんはにこっと、微笑んでくださいました。
一つの電燈が見守るように照らしているベンチに近づきます。公園に備え付けられたベンチというのを初めて近くで見ましたが、年季が入っていて、ところどころささくれています。公園というのはどこでもこういうものでしょうか?
「ちょっと待っていろ」そう言って近衛さんはポケットからハンカチを取り出して少し広げます。そしてベンチの私の前にふわりと乗せました。「その上に座るといい」
流れるようなその所作に、とても複雑な感情を抱きました。
うれしいのです。ですが、この所作をどうして身に着けたのだろうと考えたとき、ちくりと胸に痛みがあるのです。
両親から、こういったときは遠慮をしないようにと教えられた私は「お気遣いありがとうございます。失礼します」と腰を下ろしました。
さて、ようやく話せる時が来ました。
けれど改めて考えてみると、私は何が訊きたかったのでしょう?
近衛さんは私を避けているわけではありません。思い返してみても、会話が少ないといっても、同級生としては十分なほどです。
では何故?
いくら思索しようとも答えにたどり着けません。
「姫里は―――」
考え事をしていたので少し驚いてしまいました。
「…なんでしょう」どうにか平静を装えたはずです。
「―――今日はどうだった?」
その言葉に楽しかった1日が走馬灯のように思い返されます。
姫里さんと手をつないで歩いた道のり。
天野さんに教えていただいた『ナラ―シャ』とその店長さんとの出会い。
握りしめているお守り。
思うたび、顔がほころんでしまいます。
「楽しかったですよ。本当に。以前居たところでは、こんな一日考えたこともありませんでした」以前の思い出に出てくる私は家の外ではいつも1人です。
「そうか、よかった。あいつらと一緒にいるならこれが毎日続く」
その言葉に沈んだ思いが浮上します。なんとすばらしい日々でしょう。
「願ってもないことです」
「なら…」一呼吸おいて近衛さんが続けます。「改めて頼む。真希の友達になってもらえないか?」
その言葉にまたちくりと胸が痛みます。しかしお話を途中で切るわけにはいきません。
「お友達…ですか…」
「真希は不器用で、自分から傷つきに行こうとする奴なんだ。誰かが近くにいてやらないといけないんだ」
今日、私に語りかけてくださったお姿を思い出します。毅然と、されど慈母のようなあのお姿と近衛さんがおっしゃるお姿は似ても似つかない様な気がしました。
「そうなの…ですか? とてもそうは思えませんが…」
「今日の真希からは想像つかないだろうがな、真希はああ見えてつらいことをいくつも経験しているんだ」
その時私は、自分の浅慮に思い至りました。
あの包み込むようなやさしさは、母のようなぬくもりは、それだけ傷ついてきた表れではないかと。
今日の日向さんの行動が、すとんと腑に落ちました。
「だから、真希のことを、頼めないか?」
そのなりふり構わないお願いに、私も正直にぶつかろうと思いました。
「近衛さん。私は、お友達という関係はいつの間にかなっているものだと考えています」ずっと抱いてきた理想、その考えは変わりません。けれど。
「でも私は友達を作るのは初心者ですから、そうやって決めてお友達になるのもいいですよね」話しているうちに、分かってきました。どうして近衛さんに話したいことがあったのか。
「どうすればいいのか、わかりませんが。私、日向さんとお友達になります」だから。
「だから―――」どきどきと心臓が早鐘を打ちます。
「―――近衛さんも―――」言葉を飲み込もうとする臆病な心を奮い立たせます。さあ、続きを伝えましょう。
「―――お友達になってください!」
顔が熱くなるのがわかります。こんなことは初めてです。
今まで幾度も人の前に立つ機会はありました、千を超すほどにも。けれどそのどの時よりも、身体が硬くて動きません。
顔を動かそうにも……近衛さんの顔を見ることがかないません。
今にもどこかへ逃げ出したい、けれども足は動くことを拒みます。
こんなにも身体は変調をきたしているのに、思考は冷静に現状を把握し、私に羞恥心を押し付けてきます。
もう、私にできることは残されていません。ただ、近衛さんの審判を待つのみです。
いかようにも、お裁きください。
「ああ、いいぞ」永い時間の後、頷きとともに、言葉を口にしてくださいました。
な…。
なんということでしょう、近衛さんが提案を受け入れてくださいました。
耳がおかしくなったのではないでしょうか、それとも夢なのでは? 今日は幸せなことが続きすぎて、自分が信じられません。
「あっ、ありがとうございます! 改めましてよろしくお願いします!」気が変わってはまずいと思い、そう言って両手を差し出します。
「ああ、よろしく」近衛さんは私の手を取ってくださいました。ぎゅっとお友達の握手を交わします。その手は暖炉のように温かくて…
そう感じるともういてもたってもいられません。このままでは締まりのない顔を見せてしまいそうです。
バッと手を離します。「みんなのとこへ行ってきます!…ああハンカチ! ありがとうございました! 洗って返しますね!それじゃ行ってきます!」私はそう言って飛び出そうとしてまたもう1つやらなければいけないことを思い出しました。
くるりと近衛さんに向きなおります。
「転校初日…私が困っていた時―――」40の知らない顔を前に、頭が真っ白になっていたことを思い出します。お友達を作るという、東京からの列車の中で決意したちっぽけな勇気が吹き飛ばされそうになったあの時。
さっそうと現れて、見事に救ってくれた救世主が、 今私のお友達になってくれたのです! きっと私はこの感動を知るために今まで歩んできたのだと過去の自分に教えてあげたい!
「―――あの時の近衛さんがいなければ今の私はありません。本当に、本当に―――ありがとう」
私はようやくあの時のお礼を言えたのでした。
近衛さんはゆっくりと頷いてくれました。
「こっちこそ、姫里のおかげで毎日が楽しい。ここに来てくれて―――友達になってくれて―――ありがとう」
その言葉でもって、私はもう何も考えられなくなりました。
「それでは!」
ようやくその言葉を伝え、無上の喜びを抱きながら、日向さん、天野さん、宮前さん。3人のもとへ駆けました。
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