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第1話 出会い
彼の視点
少し開いている窓から入る春の風がふわりふわりとカーテンを舞い上げる。
「信一(しんいち)ってほんと純だよな」
僕の前に座る男、宮前(みやまえ)がそう話す。
机に座り、1時限目の授業の準備をしている僕はその言葉を聞いて、心中ムッとしながら「そんなことはない」と否定した。
「ああ、悪い。嫌いだったよな」そう言って両手を顔の高さで広げ左右に振って悪気がないことを体で伝えてくる。「でもさ、ほんとすごいと思うって。みんな今日来る“美人”転校生の話題で持ちきりだってのに、お前ときたら、いつも通りなんだから」
今日の教室がいつも以上に騒がしいのはそのせいだ。
1週間前に担任が漏らしてしまった情報。
「仲良くはしたいけど、“美人”だとかそんな期待してどうする。ただ受け入れてやるだけだろ」
僕のその言葉を聞いて、宮前はため息をしつつ「ほんと言うこともやることもかっこいいんだから......」と呟いた。
キーンコーンカーンコーン
チャイムがなる、予鈴だ。
ガラガラッ
「はいはい! みんな着席や!いつもより早いけどホームルーム始めるで! 理由はご存知の通りや! みんな楽しみやろ!」朝の鶏のごとくけたたましい声で僕らの担任が教室へ入ってくる。
教室の騒がしさも担任の勢いに負け、すぐに沈静化する。
「みんなええ子や! いやそれだけ楽しみなんか! ならさっさと紹介するわ! 転校生入場や!」
慌てて皆が視線を教室の入り口に集中させる。
スッ
その少女は淀みない足運びで入ってきた。
コツコツコツコツ
甲高い革靴の音が教室に響く。
歩くごとに腰まである黒髪が春風に揺れるカーテンのようになびく。
背筋はピンとして太陽に向かう向日葵のよう。
滑らかなその歩みは舞い落ちる紅葉を想起させる。
その横顔は目鼻立ちがはっきりとして、例えるなら樹氷であろう。
規則的な音は黒板の中央で止まり、音を鳴らした主はクイッとこちらに向き直る。
「さあ、自己紹介頼むわ!」
担任の言葉の後一呼吸置いて彼女は口を開いた。
「はじめまして、姫里 舞(ひめさと まい)と申します。どうか皆様、よろしくお願いいたします」
風鈴のように澄んだ声が教室に伝わった。
ひとときの静寂の後
「うおおおおぉぉぉー‼︎‼︎」「きゃぁぁぁぁー‼︎‼︎」
というクラスメイトの魂の叫びが響き渡った。
「気持ちわかるで! せんせも職員室で叫んだわ! 色々知りたいことあるやろ! せやなぁ、時間もないから4つだけ質問許す! 好きなこと聞き!」担任がそんなこと言うものだから皆さらにヒートアップする。
「どこ出身ですか」
「スリーサイズを」
「趣味はなにか」
「そのサラサラ髪の秘訣教えて」
「服のサイズとか」
「どうしてそんなモデル体型なの」
「何かやりたいことはある」
「靴のサイズだけでも」
「彼氏はいるのですか」
クラスメイトたちが質問に答えてもらおうと我先にと口を開く。
正面で受け止める彼女は、気高き相貌を崩しはせずとも、クラスの勢いにあてられた動揺が隠せず、半歩下がってしまった。
担任は腕を組み、満足そうな顔で頷いている。自主性を重んじるといういつものスタンスだ。
仕方がない。
バンッ
僕はわざと両手で机を思い切り叩いて大きな音を立てて立ち上がった。ちなみに痛い。
クラスに一瞬だけできた隙を逃さず、足早に黒板へと歩み出る。
そうしてチョークを取り、黒板に書く。
1.名前
2.どこ出身か
3.趣味は何か
4.高校でやりたいことは
僕は書き終わり指差しながら「この4つに答えてくれればいいから」そう言ってチョークを彼女に渡す。「好きに書いていいから」
まだ自失する彼女に向け「さあ」と促し、戸惑いながら書きはじめたのを見届けてからゆっくり自分の席へと戻った。
席に着くと前に座る宮前が少し顔をこちらに向けてきた。
『うまいことやったな』声を出さず口だけ動かしそう伝えてきた。
『前を向け』僕も同じようにそう伝えて黒板に向かう彼女を見た。
1.姫里 舞
2.どこ出身か 東京
3.趣味は何か 読書 家庭菜園
4.高校でやりたいことは 友達をたくさん作る
彼女は書き終わり、顔だけをこちらに向けちらりと見る。
僕はバッチリだと示すためにグッと親指を立てた。
そして彼女は黒板側からくるりとむきなおった「改めて、よろしくお願いします」
「ええなぁ! せいっしゅんやなぁ! ほれみんな拍手!」担任のその一言でクラスは万雷の拍手に包まれる。
「よっしゃ! ほな姫里の席を決めようや! さあどうする!」また担任はこのクラスを煽ろうとする。
「はい! はい! はーい! はぁーい‼︎」皆が騒がしくなる前に宮前が機先を制した。
「なんや、いきがいいな宮前。意見あるなら言ってみ」
「さっきの近衛がかっこよかったので、近衛の隣がいいと思います!」意気揚々とそんなことをのたまう。
「ちょっと待て、僕は別に」と否定するが
「おう、そうやな! ビシッと決まってたしな!それじゃ近衛の隣にしよか! ほな姫里、窓際2列目の最後尾や!よろしゅうな!」と担任の勢いになされるがまま決まってしまった。
視線で宮前の背中に抗議すると宮前は振り向かず右手を見せて、親指をグッと立ててきた。
何を言っても無駄なのはわかっているのでため息でその答えとした。
「あの......」声の先を見るといつのまにか彼女が立っていた。「えっと、近衛さん...でよろしいですか?」
肯定しようとしたところ首に手をかけて宮前が体重をかけてきた。「そうそう! こいつの名前は近衛 信一(このえ しんいち)って言うの! んで俺は宮前 大貴(みやまえ だいき)!どっちも好きな呼び方で呼んでくれていいからね!」勝手に自己紹介を始めた。
「あっはい、近衛さんに、宮前さんですね。これからよろしくお願いいたします。私のことも、どうぞお好きなようにお声かけください」そう言ってうやうやしく頭を下げる彼女。
僕は宮前の拘束を解いて彼女に向き直り「そんなかしこまらなくていいさ。ただまあ君のことはひめさ...」
「ヒメさんってあだ名いいんじゃないの! 普通は名前負けするあだ名だけど彼女にはもうピッタンコ! あだ名で呼び合えば仲も早く深まるだろうしさ、なあ!」宮前が同意を求めてくる。
「お前はお前で好きに呼べ。僕は姫里と呼ばせてもらう」そうして彼女に向き直り手を差し出す。「これからよろしく頼む」
彼女は僕と宮前との話をキョトンとしながら聞いていたが差し伸べられた手を見て「は、はい」といい、慌てて握ってきた。
「いいねぇ...せいしゅんやなぁ...さっそろそろホームルームも終わりの時間や! 1時限目の用意忘れずにな! 他の奴らの紹介はまた次の休み時間にでも済ましてくれや! そうそう、近衛! しばらくの間姫里に教科書とか見せてやってくれよ! ついでに学校の案内とかもやってやってくれ!」また無責任な仕事の割り振りがされた。
「先生、そういうのは僕以外にも適任が...」僕がそう言うと先生は「お前面倒見ええんやから、せんせも安心して任せられるってもんや! アッハッハッハッ」
そう言ってチャイムの音とともに担任はぴしゃりとドアを閉めて出ていった。
それからの時間はめまぐるしく過ぎていった。
キーンコーンカーンコーン
「はぁ」
ようやく昼休みがきた。
姫里と机を並べているものだから、姫里を囲む人垣に休み時間ごとにもみくちゃにされた。
しかし昼休みも予断は許されない。昼食に誘う者たちに囲まれてはたまらない。
僕は姫里の方に向き直り「昼食はどうするつもりなんだ」と聞いた。
姫里はその問いに、手提げカバンの中から箱のような物を取り出した。「お弁当を作ってきたのですが、こちらで食べてもよろしいのでしょうか?」
その言葉で教室に残るお弁当組がにわかに沸き立つ。
「お弁当なんだ!」
「今作ってきたって言ってたよ!」
「料理もできるんだ」
「食べたい」
色々な声が聞こえてくる。
「ここで食べていいさ。そうだ、机を並べて長机にして皆で食べよう。その方が話ができるだろう。宮前、陣頭指揮を頼む」こういうことはムードメーカーの宮前に任せればいい。やつはそういうことは得意だ。
「えっ俺、パン買いに行かなきゃなんないんだけど...」
その回答も予測済みだ。
「今日は僕の弁当を食べていい」弁当箱を取り出して宮前に渡す。
「拝命いたしました。近衛信一様」そう言って宮前は人を使いさっそくテキパキと机を並べていく。
僕は姫里に向き直る。
「学校の案内は放課後にするから、今はみんなと楽しく食事をしておくといい。困ったときは宮前を頼れ、ああ見えて器用な男だ」と伝えてもう1つの弁当箱を持ち教室を後にした。
ドアを閉める間際に振り返りみた姫里の顔は、最後まで僕をみていた。
彼女の視点
不思議です。
昨日まで、転校して誰か1人に話しかけられるかどうかをずっと悩んでいました。
私は元来、引っ込み思案でしたから。話しかける以上の、新しい場所で居場所を見つけることなど不可能に近いことだと思っていました。
この町へ向かう列車の中で精一杯考えたはじめての挨拶も、皆さんの顔を目の前にして全てまっしろに塗りつぶされてしまいました。
ですが、近衛さんという方に助けてもらい、今や孤独とは無縁の食事会を開いていただきました。
私ができないと思っていたことを簡単にやってのけ、私が想像した以上の成果が今あるのです。
不思議です。
長机の真ん中に座りながら私はそのようなことを考えていました。
「えーではでは。不肖宮前がこの姫里さん歓迎会の音頭をとらせていただきます。では皆様、急遽自販機より取り寄せたコーラが入った、春のお花見会に残っていた紙コップを手に持っていただきましょう。姫里さんの我が2-2への編入を祝しまして、乾杯!」宮前さんの音頭に続きまして、皆さまが「乾杯!」と次々におっしゃいますので、私も「乾杯」と言って周囲の方々とコップを当てました。
「ねえ、姫里さん。姫里さんってさ...」様々なことを聞かれました。出身地や趣味のこと、色々と。ですがその言葉には純粋な興味だけが感じられました。おそらく私の心に言葉を正しく受け止める力が湧いたからでしょう。少し答えに窮する質問もちらりと宮前さんを見れば「俺のスリーサイズが知りたいって? 上から75、68、79...」というふうにしてくださるので、私も安心して受け答えすることができました。
ですが、どこか心に戸惑いがあるのです。なぜ近衛さんはここにいらっしゃられないのでしょうか。きっとあの時のお礼をきちんとお伝えできていないのが心残りなのです。
私は自然と教室の入り口をチラチラと確認してしまっていました。
「楽しんでる?」そう話しかけて来てくださったのはこの会食にて一番に私の隣に座りに来てくださった天野 奈美恵(あまのなみえ)さんでした。
「ええ、とても。お気遣いありがとうございます、天野さん」
「もうっナミでいいって言うのに、こっちはヒメって呼ぶからね」ヒメなどという親しさで話しかけられたことなどこれまで一度もなかったので、嬉しいのですがどう答えればいいのかわかりません。
ですので「こちらはお気になさらず、好きにお呼びになってください」という自分でも冷たさを感じる返答になってしまいました。
「りょーかい! ヒメもいつでもナミって呼んでもいいからね!」にっと笑顔になって伝えてくれたその言葉は、私への気遣いに溢れていて、きっと本当なのだとすっと信じることができました。
その信頼感から、天野さんなら教えてくださるだろうと、先程から感じている疑問を尋ねて見ようと思いました。「あの、よろしいでしょうか」と私がいうと「何?」と言って続きを促してくださいました。
「近衛さんのことなのですが、今はどちらに?」すると天野さんは快活さを感じさせるショートの髪を少しだけかき上げながら「あいつは違うクラスの友達のとこ行ってるよ。いっつも弁当作って持っていってるんだ」
視線を流した、気まずい表情の天野さんの髪から香るバニラが妙に鼻に残りました。
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