1step close

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 うろつく涙払いのけて、ここで何を見つけたのかと。  念願の一人暮らしが決まったのは、姉の結婚のお陰だった。両親は何かの仕事でウェールズに一昨年から行っている。それから二年後、いまから二か月前に姉の結婚は決まった。姉と二人暮らしだったオレを残すなんて事は出来ないとか言ってたが、全然問題ないと告げた。  そして俺が倒れたのは、五月五日。ゴールデンウィーク最終日だった。原因は指から投げ出して、踝で踊るくらい単純な理由だ。四文字熟語、栄養失調。  連休だからと言って、気を抜きすぎた。溢れかえるタパスの山を泳ぐように、オレは朝から晩までゲームに興じていた結果だ。文字通り飲まず食わずで、ずっとゲームをしていたんだ。  細かい指でこじ開けて、息拭きかけられたような気分になった。義兄の車で自宅に戻ったオレは、着替えと制服と勉強道具だけバッグに詰め込まされる。モーター細工の青っぽい夜明け間際、オレは境家の門を跨った。出迎えたのは義母の心配そうな顔だったが、オレは何故そんな顔をするのかが全く理解が出来なかった。  案内されたのは、亡くなった旦那さんの部屋だった。邪魔なものがあれば物置に移動すると言ってくれたが、一番邪魔な存在なのはオレだけなのだ。それを言うと姉が泣くので、口には出来なかった。脂で固めて撒き千切れて、あふれ出した愛と言う情。  一人になった部屋にバッグを置いて、それを枕にして床に寝転ぶ。聴こえない谷まで、ぶらりと行ってしまいたいような気分だ。この世に居る人間が、オレ一人だけならどれだけ良かったことやらって思った。  人は一人で生きてはいけないというのなら、死ぬときも一人では死ねないのだろうか。別に死にたい訳ではないが、のたうち過ぎた喜びは随分前に捨てたから。  木製のドアにノックが二回響いた。この星の先に水も無いのに、満点の虹がかかったような音色だった。 「稲瀬、居る?」という声がしたので頷いた。オーケーサインを出したというのに、相手からの反応は無かった。 「……開けるよ」とそっとドアを開けた。別に開けていいって言っているんだから、ご自由にどうぞと思った。ドアの向こうからは黒髪ストレートで、前髪をお洒落に編み込んだ女子が顔を覗かせた。義兄の妹で、クラスメイトの境恵希だった。 「あーあ、やっちゃたね……」と境恵希はイチゴの成る木を眺めるように言った。やってしまったのは事実だから、オレは普通に頷いた。義兄の妹は、何故か苦笑いを浮かべた。 「あたし的には、うん。友達とか、タマちゃんとか……。えっと、部活メンバーには家族だって、バレてるからいいけどさ。どうしよっか?」  彼女の言っている意図が全く分からなかったので、オレは普通に首を傾げる。 「だから、一緒に住むことになった訳じゃん? それを内緒にした方がいいのかって話!」  長い髪を揺らして、境恵希は困った顔になる。オレはどっちでもよかったし、むしろどうでもいい。 「……任せる」 「任せられちゃったか……。それって、あたしを信用しているって事でいいの?」  信用しているかどうかは自分でも分からないが、オレと違って境恵希は誰かを傷つけるような人間じゃないと思っている。オレが小さく頷くと、彼女はお菓子の家を見つけたかのような表情になる。これくらいの一粒、すぐに飲み込んでイチゴジャムのついた皿に見とれるような女の子だと思った。 「ゲイザーさんの弟と、ブレエドあたりは知ってるみたいだから。説明はするよ?」  問題ないので、オレは普通に頷いた。穴の開いた男は、勝手に一人で喋ってしまうもんだ。 「分かった。あたしはご飯食べて学校行くけど、稲瀬は今日は大事を取って休むようにって」  そう言って義兄の妹は、薔薇のような笑みを浮かべてドアを閉めた。オレは再び床に寝転ぶと、遠のいた筈の足音が近づいてきた。 「そうだ」と境恵希がドアを開けて、床のオレへと人差し指を向けた。 「寝るなら、ちゃんとベッドで寝なさい」  こちらを指した彼女の人差し指は、親父さんが使っていたベッドへと向いた。散らばった星屑のような瞳に向けて、オレは首を左右に振る。こっちに思い切り意識を飛ばして、彼女の眉間にシワが寄る。 「親父さんのベッド、勝手に使うわけには……」  消えいく海原を飛ぶ燕のような足取りで近づくと、彼女はオレの腕を引っ張った。華奢な腕では、大地を動かす事は出来ないようだった。やがて境恵希は諦めて、再びベッドに指を向ける。 「あたしと、お兄ぃとママが良いって言ってるんだから、大人しく寝てなさい!」  ぼんやりと天井を眺めまわして、聴こえないフリをした。ちょっとゆるやかに、大分柔らかに違っていくだろう。諦めたのか彼女が出ていくと、しばらくして姉が姿を現した。オレは観念して、大人しくベッドへと潜り込んだ。  その瞬間、意識を失うように眠りについた。オレの今までの生活に戻れるんなら、あの花咲くころに石を投げつけたい。
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