おじさんとの日々

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おじさんとの日々

 朝の目覚めは、おじさんが作るオムレツの音で始まる。  卵を角でこんこんとやって、ボウルに割り入れる。菜箸で手早く混ぜ、調味料を入れたら、バターを溶かしたフライパンへ。熱したフライパンで卵液が踊り、焼けたバターと卵の香りで満たされていく。これまで何度も見てきたから、音だけでどんな行程なのかわかってしまう。  キッチンから聞こえる音って、なんであんなに心地良いんだろう。スマホの目覚まし機能に入れてもいいんじゃないかと思うぐらいだ。けたたましい音よりもずっと朝の目覚めに向いてると思うんだけど。 「……って、今何時よ?」  目覚まし時計を見る。朝の6時40分。7時半には家を出るから、とっくに起きてないといけない時刻だ。 「寝坊したっ!」  ようやく現実の厳しさに気付いた私は、跳ねるように飛び起きた。 「ああ、もう! なんで目覚まし時計鳴らないの!」  役立たずの目覚まし時計をベッドに叩きつけ、洗面台へ向かう。  手早く洗顔して髪を整えるが、くせ毛の私はこの作業にどうしても時間を要してしまう。丁寧にブロウするのをあきらめ、髪を後ろでひとつにまとめ、ゴムで留めた。田舎っぽい感じがするから嫌なんだけど、この際そんなことは気にしていられない。 「おじさん、おはよう!」  なんとか身支度を整えると、走ってキッチンに滑り込む。  朝食を作っているおじさんが、差し込む朝日をバックにゆっくりと振り向いた。 「おはよう、朱里」  にっこりと優雅に微笑むおじさんが、今日も爽やかで眩しい。朝日浴びてるから、二割増しの眩しさだ。白いワイシャツに赤いエプロンを着て、今日も笑顔でキッチンに立っている。 「おじさん、ごめん! 今日こそ私が朝ごはん作るはずだったのに」 「弁当も、だろ?」 「そうだった! お弁当も作らないといけない!」  お弁当作りのことをすっかり忘れていた。今年入学した高校に学食や売店はない。お昼にパンと牛乳類を販売する業者が来るけど、人気商品はあっという間に売り切れるし、なにより手作り弁当に勝る味ではない。 「弁当ならもう作ったぞ。弁当袋に入れるのは自分でやりなさい」  食卓にはすでに二人分のお弁当が、おかずもご飯も入った状態で置かれている。あとは蓋をして、お弁当袋に入れるだけだ。 「やった! 私が作るより、おじさんのお弁当のほうが美味しいもん」 「調子いいこといって。昨夜は『朝食も弁当も私が作る!』って息巻いてたのは誰だっけ?」 「うう……私です。ごめんなさい、おじさん」 「わかればよろしい。いきなり両方やろうと思わなくていいからな。まずはお弁当作りから手伝いなさい」 「はーい」 「朱里、時間ないんだろ? オムレツだけでも食べていきなさい」 「そうだった、早く食べないと遅刻するっ!」  私の座席の前には、大好物のオムレツと野菜スープが置かれている。オムレツとスープって無敵の組み合わせだと思う。ああ、でも卵焼きとお味噌汁の組み合わせも捨てがたい。 「いただきまーす」  ふんわり焼けたオムレツをスプーンですくい取ると、口の中へ。瞬間、半熟の卵のとろける美味さが口いっぱいに広がる。 「んん~っ!! おじさんのオムレツ、最高っ!」 「お世辞はいいから。早く食べなさい」 「お世辞じゃないよ、本当に美味しいんだもん!」 「しょっちゅう食べてるだろ?」  おじさんは苦笑いを浮かべているが、まんざらではなさそうだ。おじさんの作る料理は何でも美味しいけど、卵料理は本当に絶品だと思う。お店にも負けてないんじゃないかな。 「おじさん、明日は和風オムレツがいいな!」 「明日は卵焼きと味噌汁にする予定」 「え~、和風オムレツとお味噌汁がいい」 「はいはい。朱里は本当に卵料理が好きだな。野菜スープもちゃんと食べなさい」 「はーい」  おじさんも私と一緒に朝食を食べ始める。手早くスープを飲み干しながら、ちらりとおじさんを盗み見た。目鼻の整った顔立ちに、長いまつげ。右目の下には小さなほくろがあって、それが妙に色っぽく見えるから不思議だ。「泣きぼくろ」と呼ぶのを知ったのは、わりと最近だ。小さい頃は私も、大きくなったら同じように泣きほくろができると思っていた。泣きぼくろはできなかったけど、それでも私は満足だった。おじさんは私を実の娘のように、ううん、それ以上といっていいぐらい、大切にしてくれるから。いっそ本当におじさんの娘だったらいいのに。  私の実の父、芹沢水樹はおじさんの双子の弟だ。一卵性双生児だから、顔はよく似ている。写真だと見分けがつかないぐらいだ。でも性格は全く違うと思う。だって父は私を捨てたから。  おじさんは「仕事が忙しいから」って言うけど、あれは嘘だと思ってる。でもいいの。私にはおじさんがいるから。おじさんさえいれば、私の生活は満ち足りている。 「朱里、もう鍵を閉めるよ」 「はーい! 今行きます」  玄関でおじさんが私を呼んでいる。愛用の通学リュックに必要な荷物が入ってるか確認すると、おじさんに向かって走っていった。  ぱりっとしたスーツを着たおじさんは、今日もカッコイイ。 「ごめんね、おじさん。待たせちゃって」 「のんびりしてると遅刻するぞ」  人差し指をこつんと私の頭にあて、優しい微笑みを見せてくれる。幼い頃から変わらない、暖かな笑顔。これからもずっとこの笑顔を見ていきたい。そう思った時だった。 「朱里」  道路から私を呼ぶ声がする。おじさんによく似た声。でもおじさんより少し声が低い。  この声、私知ってる。  ゆっくり声のほうへ顔を向けると、ひとりの男性が私を見つめていた。よれよれのダンガリーシャツに、薄汚れた登山リュック。口元には無精ひげ。見た目はおじさんと似ても似つかない。けれど顔はおじさんによく似ている。 「水樹……」  おじさんが呟いた。それでわかった。ああ、この人が私の『お父さん』なんだって。
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