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「お、お父さん……なの?」
『お父さん』と呼ぶことに、私はあまり慣れてない。だって、ほとんど会ったことがなかったから。
『お母さん』も『お父さん』にも馴染みのない私には、おじさんが世界の全てだった。
「そうだぞ、朱里。俺がお父さんだ!」
芹沢水樹が私に向かって叫んだ。この場合、『私のお父さん』と呼んだほうがいいんだろうけど、呼び慣れてない私には、なんだか恥ずかしく思える。
「ほら、朱里。俺の胸に飛び込んでこい! 親子の再会だ、感動シーンだぞ!」
何日も洗ってないであろう、薄汚れたダンガリーシャツが破けそうなほど大きく両手を広げ、娘が飛び込んでくるのを今か今かと待ち構えている。その目はきらきらと輝き、浮浪者のような姿も相まって、異様な雰囲気を醸し出している。
このテンション、何なの? 知的なおじさんの弟とは思えない暑苦しさだ。
娘の私がドン引きしているのも知らず、目で「早く来い!」と訴えかけてくる。
「飛び込むわけないでしょ。さっきから匂うよ?」
「し、失礼だな! 風呂なら五日前に入ったぞ」
「五日もお風呂に入ってなければ十分だよ」
「く……我が娘ながら、なんて辛辣な。さすが俺の娘だ」
「娘、娘ってうるさいな。今更父親って言われても……」
「あんたを父親と思ったことはない」って言葉を続けようとした。
「はい、そこまで!」
ぱんっ! と音が響いた。おじさんが手を叩いたのだ。
「水樹、朱里に会えて感動するのはわかるが、今は時間がない。おまえに鍵を預けておくから、シャワーを浴びて、ひげを剃れ。服は僕のを貸してやる。朱里、おまえは学校に行きなさい。早くいかないと遅刻するぞ」
「そ、そうだった!」
いきなり父親がひょっこり現れたものだから混乱してしまったけど、今は登校前だった。
「僕も仕事に行く。水樹は留守を頼むぞ」
「へーい。さすがはしっかり者の『青葉お兄様』で」
「皮肉は帰ったら聞いてやる。鍵を開けっぱなしで外出するんじゃないぞ。わかったな」
おじさんにしても久しぶりの弟との再会だけれど、さすがに朝来られるのは迷惑なんだろう。穏やかなおじさんの言葉が少しだけ苛ついている。
「おじさん、いってきまーす!」
私はわざと大きな声で、おじさんに向かって叫んだ。
「いってらっしゃい、朱里」
輝くような微笑で、私を送り出してくれる。よかった、いつものおじさんだ。
「あ、朱里ぃ。お父さんには『いってきます』を言ってくれないのか?」
ひとり嘆く芹沢水樹、もとい父をちらりと見たが、何の感慨もなかった。父親との初対面なのに、私は冷たい人間なんだろうか?
穏やかで満ち足りた私とおじさんの生活は、突如現れた父によって壊されていくのだった。
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