月見送り

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「九月十五日、六時になりました。ニュースをお伝えします」  そのニュースを聞き、カズヤは読んでいた漫画を閉じた。 「ナナ。薬の時間だぞ」  棚から薬入りシロップとシリンジを出した。シリンジでシロップを吸うと、カズヤはケージに近づく。  中には一羽の白うさぎ————ナナが、ケージの隅で目を閉じてじっとしていた。ケージを開けると、少しだけ目を開いた。  カズヤはナナを抱きあげ、タオルに包んで保定した。口にシリンジの先を入れてシロップを流しこむ。全部飲み終わると、カズヤはナナを床に下ろし、ケージの中の干し草と水を新しいものに替えた。その間、ナナはぴくりとも動かない。 「新しいご飯だよ」  ナナをケージに戻す。しかしナナは水を少し飲んだだけで、すぐに眠ってしまった。 「母さん、全然食べないや」  台所で皿を洗っていたカズヤの母はどこか悲しげな笑みを浮かべた。 「ナナはもう十歳で、すごいお婆ちゃんだからね。あまり食べないのよ。そっとしておいてあげなさい」  別にそういうことを聞きたいわけじゃない、とカズヤは心の中で言った。どうしてナナがご飯を食べないのかが知りたい。お婆ちゃんだから、は理由にならない。  けれども、カズヤはそれを言葉にはしない。してはいけない気がするからだ。 「はーい」  晩ご飯はカズヤの好物ハンバーグだった。しかし、味はよく分からなかった。  真夜中。カズヤはふと、目を覚ました。喉が渇いていたので、台所に行き、電気をつけた。  すると、違和感を覚えた。部屋の何かが寝る前と違っている。カズヤは部屋を注意深く見回した。やがて、ケージに目が止まる。 「ナナ?」  ケージの中にナナがいない。薬をあげる時に閉め忘れたようだ。 「ナナ、どこ?」  キョロキョロと辺りを見回すカズヤ。するとキィ、と離れた所から音がした。音のした方へ行くと、そこは勝手口で、ドアが少しだけ開いている。ちょうどうさぎ一羽が通れるくらいの幅だ。  カズヤは靴を履いて外へ出た。家の外は稲刈りが終わった田んぼが広がっている。金色の稲株の間を、白いうさぎが遠くへ走っていく。カズヤは田んぼへ駆けだした。  ナナはどんどん遠くへ逃げていく。田んぼ、畦道、畑、砂利道……距離は全然縮まらない。  気がつくと、カズヤはススキの原っぱを走っていた。 「どこまで行くんだ、全く!」  ススキが邪魔して前がよく見えない。途中に落ちていた棒切れで払いながら歩いていくと、急に視界が開けた。  原っぱに、たくさんのうさぎがいる。白、黒、茶色、ぶち模様。ぴんと立った耳、垂れた耳。ありとあらゆる種類のうさぎが草むらの広場にいて、思い思いに過ごしている。走ったり、輪を作ってぴょんぴょん踊ったり、奥で二羽のうさぎが向かい合って見覚えのあるポーズをとっている……相撲だ。  口をぽかんと開けて立ちつくすカズヤの前を、ナナが走っていく。カズヤは我にかえり、再び追いかける。 「いい加減、待てってば!」  ナナは大きく跳ねた。その先は竹で組まれた櫓だった。ナナは細い階段を器用に登っていく。カズヤもふうふう息をしながら、階段を上る。  櫓のてっぺんに着いた瞬間、ふわりとお香の匂いが鼻をくすぐった。  黒い台座の上に、人が座っていた。  まず目を引くのは、裾がたっぷり広がった、豪華な着物。カズヤは絵本でその着物を見たことがあった。十二単だ。  地の色は赤で、満月と紅葉、うさぎが刺繍されている。満月は黄色で、その前を橙色のトンボが飛んでいる。月の周りでは金糸で縁取られた紅葉が流れ、白うさぎが跳ねている。  現実離れした着物を着た少女もまた、お人形のように美しい。長い髪は銀色で、すごく長い。着物の上に広がる様子は、まるで銀の川だ。頭には白ウサギの耳が生えているが、ごくごく自然に生えているように見える。肌は白く、目はナナと同じ赤紫色。額には三日月の模様が描かれ、淡く光っている。  彼女は息を切らしてやって来たカズヤを、小首をかしげて見つめる。 「あら、可愛い。どこから来たの? 人の子が何故?」 「ナナが、僕のペットのうさぎが逃げて」  その時、折り重なった着物の影からナナが鼻を出した。気づいた少女がナナを抱きあげる。ナナはふすふすと鼻を彼女の袖に擦り付ける。 「え? あらそう。分かったわ」  彼女はナナを下ろし、微笑んだ。 「その子、貴方とお月見がしたいそうよ」 「うさぎの言葉が分かるの?」 「当たり前でしょ。君もこちらで座りなさい。履物は脱いでね。単も踏まないで」  カズヤは言われた通りに靴を脱ぎ、着物を踏まないよう注意しながら、少女のそばに座った。ナナはカズヤの膝の上に座った。  少女の隣には、瓶に挿した一本のススキと、綺麗に盛りつけられたたくさんの月見団子がある。 「団子、食べていいわよ」 「え?」 「月うさぎが作ったの。美味しいわよ」  カズヤは一つ取り、ムシャッとかじった。その瞬間、カズヤの目が皿のようになる。 「おいしい!」  思わず二個目を手に取るカズヤ。しかし、膝の上のナナを見て、あることを思いつく。 「ねえ、そこのススキのさ、葉っぱの先っちょをもらってもいい? 少しだけ」 「いいけど、何に使うの?」  カズヤは答えず、ススキの葉の先を慎重に千切り、二枚の細長い欠片を作った。先端の尖ったそれらを、慎重に団子に置く。 「ほら、うさぎ団子の完成だ! ナナ、どうだ? 似てるだろう?」  パク! ナナは団子を食べてしまった。カズヤは慌てだす。 「食べちゃダメだ! 団子はうさぎには毒だよ!」  すると、少女がクスリと笑った。 「大丈夫よ。その子は月うさぎだから」 「つきうさぎ?」 「猫が二十年生きると猫又になるように、うさぎは十年生きると月うさぎになるの。ここにいるのは皆、今年地上で生まれた月うさぎなの」  下の広場では、うさぎ達が遊んでいる。相撲はとても白熱しているようで、周りのうさぎが鼻を鳴らしたり足ダンをしている。他のうさぎは走ったり、踊ったり、歌を歌っている。 「月うさぎってことは、これから皆は月に行くの?」 「そうよ。魚が陸で生きられないように、月うさぎは地上にいられない。定めなの」  カズヤは膝の上のナナを見た。ナナも、カズヤをじっと見ている。ふわふわの背中を撫でると、気持ちよさそうに鼻をふうふう鳴らす。  普段ケージの中にいる時のナナを思い出す。ほとんど動かず、餌も食べない、お婆ちゃんのナナを。 「ナナは月なら元気なのか?」 「そうよ」 「そっか。良かった」  カズヤは思わず笑みを浮かべる。そして団子をまた一つ、ナナにあげた。ナナは鼻を鳴らし、カズヤの腕に頬をなすりつける。ずっとずっと、一人と一匹はそうしていた。  月が西の低い空に来た頃。少女は立ちあがった。 「残念だけど、そろそろ行かないと。祭りの続きは月の都でしましょう」  すると、少女の十二単が大きく膨らみ、鳥の羽のようになった。そのままふわりと櫓から浮き上がり、羽を広げて空へ飛んでいく。同時に、うさぎ達も一斉に地面から飛び立つ。いつの間にかうさぎ達の背中には羽が生えている。羽が巻き起こした突風がカズヤを櫓から吹き飛ばした。  同時に、ナナもカズヤの腕から飛びだす。羽を広げ、月へ飛んでいく。 「ナナ! 元気でね!」  カズヤは大きく手を振った。その直後、彼は野原にドサっと落ち、辺りが真っ暗になった。  目がさめると朝だった。カズヤはベッドの中にいた。不思議な夢のことを思いだしながら一階に行くと、母がケージの前で泣いていた。ケージにはナナがいるが、背中を撫でると酷く冷たい。 「カズヤ、ナナは天国に行ったんだよ」  カズヤは首を横に振る。 「違うよ。月の国に行ったんだよ」  静かにそう言ったカズヤを、母は驚いた目で見た。しかし、すぐに「そうね」と頷く。 「……そうね。月の国だね。うさぎならそっちへ行くはずだね」  その夜、カズヤは窓から月を見上げた。月に、たくさんのうさぎの影を見た気がした。
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