これまでのあらすじ

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これまでのあらすじ

(野球) 僕は小学校の卒業式で、卒業証書授与式の際に、マイクで夢を語る慣わしがあり、 「甲子園で優勝投手になって、プロ野球選手になる」 とマイクで語った。 しかし、身長も低く中学の時は万年控え投手だった。 万年控え投手になった理由は、東京でも屈指の本格的右腕である、幼馴染の大野祐輔の存在だった。 僕は身長の影響が少ないアンダースローを身につけた。 中学3年6月 夏の大会前の強豪校との練習試合で、手の内を見せない為に祐輔は控えて、僕がマウンドに上がった。 その時、相手チームの4番で東京都の中学野球では有名だった近藤と対戦して3球三振に斬って落として勝利した。 だが、本番の夏の大会では、このチームに敗れる事になる。 夏休み 父の会社のキャンプに連れて行かれ、元高校球児でキャッチャーで甲子園の経験のある社員に、ボールを受けてもらい。 手の大きさと握力の強さから、ナックルボールが適しているだろうとレクチャーを受け、感覚を身につけた。 そして、僕は野球がそこそこ強い心城学園を希望校として、勉強に励む為に塾通いをするが、その塾に近藤の姿があり、突然心城学園のセレクションを受ける事になる。 僕はレギュラーメンバーに対して、2周り対戦して0点に抑える条件を出される。 僕は必死に投げ、0点だけでは無く、ノーヒットで抑えた。 近藤も耕太も結果を残して、無事にセレクションが終わる筈だったが、近藤が僕と勝負したいとワガママを言い、監督も仕方なく承諾して勝負する事になった。 僕はナックルを初めて打者に投げて近藤のバットは空を切った。 後日、耕太と僕は推薦入学が決まった。 祐輔は既に稲川実業への推薦入学が決まっていたので、夏の大会では東東京地区の心城学園と西東京地区の稲川実業は当たらない事になる。 早くに高校が決まった3人は、放課後に3人でトレーニングを開始した。 そして2月13日 祐輔が、今より更にステップアップしたいと、言い出して3人で頭を悩ませる。 耕太が冗談で言った。 「トルネード投法」に興味を持ち、耕太の指導によって完成させて行く。 すると打者に対する威圧感、球質も変化したのであった。 トルネードの話は僕にも及ぶが、アンダースローでトルネード? 試行錯誤をしながら、取り敢えず投げる事は出来た。 確かにスピードも上がったのだが、一球に掛かる体の負担は凄く、試合での使用はまだまだ先の話になりそうだった。 3月15日 この日から祐輔は、高校の練習に参加する事になる。 さすがに甲子園常連校だけあって、推薦入学してくる選手の質も高い。 中でも全国が注目する選手が稲川実業に入学していた。 U-15の日本代表のキャプテンで4番の松原だ。 松原は同期の投手が気になっていて、祐輔にバッティング投手を指名する。 祐輔は松原と3打席勝負を行う。 1、2打席はヒットを打たれる。 投げる球を全て弾き返す。 3打席目 まだストレートしか練習していない、トルネード投法で勝負する。 3球三振! この投球を見て、監督、先輩達、そして松原もエースとして認めた。 そして、高校野球が始まる。 全国制覇を目指して!
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