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 出会わなければ幸せであったか?  きっとこの答えは「いいえ」になるのだろう。  「お願い、目を開けて」   ぼろぼろとあふれる涙は、目の前で大好きな人がピクリとも動かずに、胸からは真っ赤な血がどろどろとあふれているから。止まってほしい、もう一度その唇で私の名前を呼んでほしい。いつものように、鈴って、呼んで、優しい笑みを私に見せてほしい。  けれど、それすらも願わないのは、私はお姉ちゃんと違って医療の知識もなければ、ましてやどんどんとリツの体温が下がっていくのをただ見守ることしかできないから。  私には応急手当をするという知識は、一ミリ単位でない。というか、持ち合わせていない。  「おい、なにやってんだ」  うしろで男の人の声がした。  「たしかに魔王陛下は『手足がついていて、それでなおかつ延命治療が可能であれば、多少けがをさせようとも構わないから、持ち帰れ』と言ったんだろう?」と別の男の人。ゆっくりと振り返れば、たしかにリツと同じ気配を感じる男性が、三人立っていた。黒のパーカーを深くかぶっているから、正面からではどういった顔をしているのかはわからないけれど、私は今、彼らからしてみればしゃがんでいる。だから、彼らが「非常にまずい、よろしくないことをしてしまった」といった顔をしていることぐらいはわかる。真っ黒な髪に紺色の瞳、真っ白な肌。あんまりにも人間離れした顔立ちが、リツと同じなのだと主張しているようで。  「いや、仮にも陛下のご子息だろう? 魔法に関しては大丈夫かなって思ったんだよ。近くの木をぶっ飛ばして、逃げ道を無くそう思って」  「持ち帰るモンを殺してどうするんだよ、俺ら大罪じゃないか!」  そうだ、リツは魔王陛下の唯一のご子息なんだ。随分と前にぽつりと言っていたような気がする。自分は魔王陛下の唯一のご子息であり、血縁者であり、後が自分しか存在しない次期魔王陛下であるとか、なんとか。  けれど、あの時説得することができた、と言っていた。魔王陛下御自身の直筆の書類だってあって、周囲の者を説得させることに成功した、と。  だったらどうしてなのだろう?  彼らがリツをいかにも向こうにつれて帰らなければならなかったのに、うっかりでしくじってしまった、と言わんばかりの顔をしているのは?  人の住む世界で生活しても良かったんじゃないの?  もう次期魔王陛下なんてものに、いやいやながらしなくたって良くなったんじゃないの?  なのに、どうして彼らはここまで「リツを魔界に戻そうとしている」のだろうか?   考えるよりも先に、手が出た私は、  「あっ、おい、お嬢ちゃ……ん…………えっ」  近くにいた男の腰に巻かれていたそれを引き抜き、すらりと伸びた刃物を手にすると、躊躇なんてなかった。  『悪魔だろうが天使だろうが、基本的には人間と同じ構造をしているんだよ。だから心臓一突きなんてされたら、すぐにでも手当されない限り死んでしまうし、僕たち魔界に住むものと人間との大きな違いというのは、魔力が微力ながらにもあるかないか、もしくはどれだけ長生きができるかどうか、なんだ』  随分と前に、リツが教えてくれた。天使も悪魔も基本的には同じ身体の構造をしていて、死ぬときは死ぬけれど、極稀に特殊な生き物がいる。死ぬこともなければ年を老いることもない、外見だけであれば一八か二十ぐらいの若い男性か女性かのどちらかぐらいにしか見えない、それが『死神様』なのだと。   けれど、天使や悪魔は基本的に『死神様』にはなれないから、やっぱり人間と同じなんだそうで。  男の腹部を刃物で突き刺すと、やっぱり人間と同じ、真っ赤な血がどろどろとあふれ出てきては、リツの言っていた言葉が本当だったんだな、なんて感傷にひたってしまう。  「この野郎っ!」   すると後ろにいた男が勢いよく私に近づいてきたものだから、私はくるりと振り返るのと同時に、すぱんと、男胴体がどこかへと行ってしまった。ごとりと落ちる上半身と、もう片方に崩れ落ちる下半身。もう一人の男はがたがたと震えていた。  「違う、僕は、僕は………誰か、だれか」  おびえる男の人を見たのは、この時が最初で最後。問答無用だった。  私は、ただ単純に幸せな人生を過ごしたいと思っていた。早くに両親をなくそうとも、人間と悪魔が恋をしようとも。ただただ単純に、幸せになりたいと願っていただけだった。両手でしっかりと刃物を握り、最後の一人をめがけて勢いよく振り落とす。生きている者、ヒトと変わらない者を切ったという感覚が、じんわりと私の頭の中で認識し始めたころ、自分がしでかしたことの重大さに気がついた。  「あっ」と、声を漏らそうとも、周囲を見渡せば、ごろごろと転がる遺体が四つもある。  「そっか」  このうち自分がやったのは三つだ。かたかたと震える手が、もう手遅れだと言っているようで。私は上を向き、大きく口を開けた。  「楽になろう」  神様に祈るかのような大勢だけれど、違う点は、今私は両手に刃物を持っていて、大きく口を開け、刃物がそのまますとんと口の中へと吸い込まれそうな状態だということだ。  「これで」  楽になれる。ぼろぼろとあふれる涙は、二十年も生きられなかったという後悔か。いや、違う。きっと「もっと幸せになりたかった」だ。  口の中に刃物が入る。体中が、神経全てが、拒絶していく。お前が入ってくるのはここではない、もっと別のところだと。けれど、容赦なく重力に従わせる。どんどんと、下へ、下へと。
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