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 がさがさと草をかき分けていく。  「畜生」なんて小言をこぼしたところで、やつらがどこかへ行ってくれるわけでもない。ましてや「どっかへ行ってくれ」と言ったところで、今の状況が良くなるわけでもない。  「もう少しだ、もう少しだから」   手を引っ張りながら自分の後ろを走る彼女に言えば、返答はなかった。走ることで精一杯なのだろうと信じたい。   人の住む世界に来たのは、ただの暇つぶしだった。自分の家は代々魔界で魔王様を務めている。そして自分は幸か不幸か、次の王となるべき者として生まれてしまった。人の住む世界で言うところの「兄弟」というものを、何十年も前に「禁忌」として扱ってしまった以上、自分以外に後継者というものがいない。  仮にも王を必要とする一族であれば、兄弟はたくさんいて当然のはずなのだけれど、ちょっと前の王様はこんな考えすらをも「非道である」と判断してしまったのだろう。自分が魔法を扱うのを不得手としているからといって、魔法を扱うのが得意だった兄弟と比べられる苦痛があんまりにもしんどかったからといって、これはあんまりではなかろうか?   とにもかくにも、自分以外にはあの一族に後を継げる者が誰もいない。母親は年齢が年齢だ。父親だって、もうずいぶんと年なんだ。妾の子でも作ってしまえば早いのだろうけれど、父親にそんな気は一切ない。だからこそ、やつらにとって自分が人間の世界に住む女の子に、たった二十年も生きていない女の子に、心をごっそりと奪われてしまい、王座をほっぽりだすという出来事は、由々しき事態なのだろう。  「リツ」と彼女が僕の名を呼んだ。  「もういいよ」   足を止めて、下をうつむきながら言う。  「良いって」   何が、なんて何て言えなかった。  「私、リツと会えて、本当に、楽しかった、おねえちゃんが、私のことを、忘れたとしても、リツと会えて、本当に、楽しかったんだ、だから、向こうに帰っていいよ」   あんまりだった。ぼろぼろと瞳から流す涙が、震える肩が、彼女のすべてを物語っているように思えて。これが彼女の本音なんだといわんばかりのような気がして。  「鈴、僕は」  違うんだ、鈴にそんなことを言ってほしくなくて、ここまで逃げてきたんだ。  たしかに王座に就いていたほうが、将来は安定だ。人の住む世界で、慣れないことを試行錯誤にあれこれと手探り状態で生活して。寿命だってうんと短くなって。豪華爛漫な生活とはかけ離れた暮らしを僕があえて選ばなかった理由は、  「リツ!」と彼女が叫んだのとほぼ同時だった。どん、と音がしたと思った時にはもうすべてが遅かった。魔法の弓矢とやらは僕の腹部よりも少し上、もっと具体的に言うのであれば心臓胸部あたりを綺麗に貫通していて、これが現実なんだな、なんて思った。あふれ出る自分の血液と、彼女の涙。僕は、こんなものを見たくて人の住む世界にやってきたのだろうか?  いや、違うはずだ。   本当はただただ単純に、暇つぶしとしてやってきたはずだったんだ。傀儡政権なんてつまらない。親のいいなり何てまっぴらごめんだ。自分の意見すらも満足に言えず、たとえその判断が間違いだったとしても、決して口に出すことはできず。周囲の顔色をうかがいながら「はい」や「いいえ」を口にするだけの仕事に、僕は嫌気がさしていたはずだった。  だからわざわざ人の住む世界にやってきたはずだったんだ。刺激が欲しいわけではないけれど、ほんの少しでもいい。もう金だ大金だ、わいろだなんだと口うるさい現実から、ほんの少しだっていい、解放されたかった。  若くして世界を反転させ、皆を幸せにできる魔王様なんて存在しない。このことを幼いころから知っていた僕は、僕の心を奪った彼女と幸せに過ごしたいと思っていたはずだったんだ。  なのに、どうしてだろうか?  足元がぐらついて、まともに呼吸すらできやしない。  誰かが何かを遠くで叫んだ。  「鈴、君は」  『逃げてくれ』と、言いたかった。僕の手を放すことなく、しっかりとつかんだ彼女に。きっと彼女はこんなところにいたら、やつらに捕まるだろう。運が良くても悪くても、どのみち数時間後には命を絶ってしまう。 けれど、こんな願いさえも許されなかった僕は、遠くで見覚えのある顔を目にして、動揺を隠せなかった。
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