結婚

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結婚

 鈴蘭の香りがした。むせるようなその香りが、チャペルの中を満たしている。花嫁衣装に身を包んだエドワルダは、そっと後方にいるマダムへと顔を向けた。  青い鈴蘭柄のガウンに、銀糸の施されたペチコートを纏ったエドワルダはそっと弱々しい笑みを浮かべてみせた。 「まさかお前が結婚したいだなんて、本当に驚いたよ」  自分より背の高いマダムは、男物のジェストコールに身を包んでいた。マダムの豊かな赤髪はリボンにより結ばれ、萌黄色の眼は優しく『娘』であるエドワルダを映し出す。 「それが、彼の望みだから」  金の髪を結い上げたエドワルダは、薔薇のような唇の間からそっと白い歯をのぞかせた。実の子のように育てた存在が、仮初とはいえ結婚をする。その事実にマダムは心を痛め、また彼女の相手であるロビンを哀れだとも思った。  自分の娘を欲した駒鳥は、血濡れたシャツを着たままモリーハウスのプライベートルームで眠っている。もうあと少ししたら起こして、花嫁衣裳を着せるつもりだ。  まさか、母親に囚われていた籠の中の鳥が、自分の子供を奪っていくなんて思いもしなかった。自分とモリーたちを愛しているといいながら、エドワルダは確実にロビンに惹かれている。 「あんな坊やのどこがいいんだい?」  苦笑と共にマダムは言葉を発していた。その言葉に、エドワルダは蒼い眼を伏せる。金糸の睫毛に覆われた彼女の眼は静かに凪いでいた。 「初恋の人にそっくりだったから……」  彼女の言葉に、マダムはぴくりと眉毛を動かしていた。遠い昔に、このチャペルで一人だけの結婚式をあげたモリーがいた。恋人だという頭蓋骨にキスをした彼は、今どこにいるのだろうか。 「あの人は愛しい人のところに逝った。僕は、愛しい人を送り出す。愛しいかどうかは分からないけれど……」 「愛してるか分からないのに、神に誓いを立てるのか?」  マダムが眼を眇めると、分からないと娘は笑う。そっと下を向いて、花嫁は言葉を紡いだ。 「分からないけれど、放っておけないんだ。昔の僕みたいで。生きてることすらどうでもよかったあの頃の僕みたいで……」 「母親だって襲ったんだ。ニューゲイトに収監されても、お坊ちゃんはしぶとく生き残るだろうさ。自分の母親だって手にかけようとした人間なんだ」 「だったらなおさらほっとけないよ。監獄で人殺しそうだもん、あれ」  エドワルダの顔に苦笑が浮かぶ。僕の駒鳥はああみえて怪物だからと、彼女は小さな声で言った。 「彼にしてみれば、お前も怪物だろうに」 「僕は怪物じゃない。モリーだ」  マダムの言葉にむうっと頬を膨らませてエドワルダは反発する。そのモリーたちこそ世間では怪物と見做されているのに、そんなものに自分の子供はなろうといった。モリーとマダムの存在が、自分を救ってくれたからと。 「でも、ロビンは怪物になりたくてなったんじゃない。どこかで止めてあげないと、本当にあの人は取り返しのつかないことになるんだ」 「お前が犠牲になってもか」 「僕は、あの人をとめるだけだよ、マダム。犠牲になんてならない。なるとしたら、あなたを守るためだ。みんなを守りたいから僕はロビンを愛するんだ」  凛とした蒼い眼がマダムに向けられる。モリーになれと言った時も彼女は、いや彼、エドワードはこんな眼をしていた。まるで、鋭いナイフのように光り輝く眼を。 「ぼくだって殺しかけたんだ。あの人、本当にちゃんと面倒を見る人がいないとダメになるよ」 「無償の愛か」 「マダムだって僕にくれたじゃない。なんにもない空っぽの僕を、モリーにしたのはマダムだ。僕を僕にしたのはマダムだ」  そっとマダムに近づき、エドワルダはマダムの腰に両手を回してくる。マダムはそんな娘の顔を覗き込んでいた。 「だからお前は、駒鳥を愛するのか」 「愛してみようと思う。少なくとも、彼は愛を必要としている」 「そうか……」  きっと何を言っても、この子はロビンをあきらめたりはしない。それほどまでに、ロビン・フォーカスの存在はエドワルダを蝕んでいた。彼女が己自身を差し出すほどに。 「ロビンは、僕たちを守るためにすべてを失ってもいいって言ってくれた。だったら、僕も彼の気持ちに答えたい。彼のすべてに……」 「それで、私はお前を失うことになるんだよ……」 「ごめんね、お母さん」  エドワルダが顔を俯かせ、ぎゅっとマダムを抱き寄せてくる。マダムはそんなエドワルダを静かに抱きしめ返していた。  美しい衣装に身を包んだモリーたちが、賛美歌を歌う。その歌を聴きながら、ロビンはこちらへと歩いてくる自分の花嫁を見つめていた。青い空さながらに、美しい蒼いドレスで着飾ったエドワルダが、男物の服を着たマダムに手を引かれてこちらへとやって来る。  纏っている黄色いドレスを翻して、ロビンはこちらへとやってくる彼女を見つめていた。エドワルダもまたロビンを見つめ、恥じらいがちに眼を伏せる。青く澄んだ彼女の眼に映る自分を見て、ロビンは苦笑していた。  彼女の手でロビンはすべてを終わらせることを望んだ。そして彼女もその想いに応えてくれた。  人に甘えたのは、本当に初めてだ。まさか、叶うこともないと思っていた望みをエドワルダが叶えてくれるなんて思いもしなかった。  そんな彼女を、ロビンは心の底から愛おしいと思う。  エドワルダが前へとやってくる。どこか寂しそうな笑みを浮かべる彼女の手を、ロビンは微笑みながら握っていた。
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