12 拒絶と抱擁

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12 拒絶と抱擁

 誠人の家を出てすぐ、掴んでいた那弦の手を離した。  ここまで来れば、那弦はもうあいつらの所には戻らないだろうから。  あとは、こいつを家まで送るだけ。  それで本当に終わりだ。 「どうして怒るの?」  少し後ろを歩く那弦が、俺が掴んでいた部分に手を置きながらぼんやりとそんな事を言いやがった。 「はぁ? どうしてって…」  「決まってるだろ」と言い掛けた口が途中で止まった。  しまった。  衝動的にこんな所まで来てしまったから、適当な言い訳が思いつかない。 「僕の事、飽きたなら気にしなければいいのに」  淡々と言う那弦のセリフには棘は無かったが、俺をイラつかせるには十分だった。  俺が、一体どんな気持ちでそんな事言ったと思ってんだよ!  …って、那弦が知る訳ないけど。 「お前が、当て付けみたいに英介とか誠人に色目使うからだろ」 「当て付け?」  全く予想していなかった単語だったらしく、那弦が目を丸くしてこっちを見た。 「俺が振ったすぐ後にあいつらの所に行くなんて、俺への当て付けじゃん」  俺と英介が友達だと知っているくせに。  英介に誘われて、というのが何だか無性に癪に障る。  他の奴だったら、もっとムカツクけど。 「違うよ」  那弦は困ったように少し俯いて、それでも落ち着いた口調で言い訳をする。 「今日あそこに行ったのは、落ち込んでた僕に安達くんが気を使ってくれたからで」 「それで、あわよくば取り入ろうとしたんじゃねぇの?」  自分でも、凄いこじ付けだと思う。  那弦はそんな奴じゃないって知っているのに、口から出てくるセリフは止められない。 「そんな事は考えてないよ」 「どーだか」  口を開けば開く程、俺って嫉妬深いバカ男になってしまっている。  カッコ悪すぎだろ。  あまりにも俺が訳の分からない事を言って責めた所為か、言われた那弦は相当困り果てているようだ。  最悪にも程があるだろ、自分。  こんな最後の最後で困らせてどうする。  未練ある、みたいに思われたら、那弦の事だから、こっちに戻ってきてしまうかもしれないだろ。 「あのね、知久」  もう余計な事を言うのはやめよう、と思った矢先に、那弦が「仕方ない」と言うように切り出した。 「知久はずっと理解できなかったみたいだけど、僕は本当に知久が好きなんだよ。それは、今でも変わらないし、これから先もそう簡単には変わらないと思う。だから、知久が心配してるような事は絶対にないから大丈夫だよ」  俺を見上げる瞳が、真っ直ぐこっちを見ていた。  クラリと眩暈がした。  自分を失いそうになる。  全部見透かされているんじゃないという焦燥。  那弦が心配で仕方ないって。  本当は、俺だけのものにしたいと思ってるって。 「はぁ??? 何だ、それ!? 俺がいつ、どんな心配をしたんだよ!」  ギリギリの所で我に返って、必死に突き放した。  心配なんかしてねぇし、那弦の事なんか知らない。 「それに、お前みたいな訳解んねぇ奴に好かれてるってだけで、全然大丈夫なんかじゃねぇよ。迷惑なんだよ、それだけで」  俺なんかを、好きでいるだけでも許さない。  他にもっといい奴がいる筈なのに、無駄な時間を過ごしている間に見失ってしまうだろ。 「……そう」  気落ちした小さな声が聞こえた。  まだ、足りないか。  もっと酷い言葉で言わないと駄目か。  酷い事を言った自覚は、十分すぎるほどにある。  けどそれ以上に、これは那弦の為なのだ、という気持ちの方が強い。  だから、どんなセリフでも言える筈なのに、どうしてか声が震える。 「分かったら、俺の事なんか早く嫌いになれ」  頼むから。  そんな綺麗な唇で、こんな俺を「好き」だなんて言うなよ。  真っ白であって欲しいのに、黒い影が犯してしまう。  俺は間違いなく影で、那弦に触れれば穢してしまうだけのモノだ。  那弦を苦しませるものを拭い去ったら、そこに俺は残らない。  ただ、それだけのモノ。 「嫌いに…」  か細い声で、辿るようにそう口にする。  でも、心は別。  自分で吐いた言葉に傷つく程、繊細な神経だったなんて、初めて知った。  押しつぶされた本心が、悲鳴のように最期の言葉を押し出した。 「じゃなきゃ…俺が、辛い」  もし、那弦が俺を拒絶していれば、俺はもっと簡単に素直になっていたかもしれない。  絶対に受け入れられないのなら、割り切っていくらでも「好き」とか言ってしまえる。  那弦が本気で拒否れば、俺みたいな脆い影が穢す余地なんてないんだから。  こんなどうしようもない奴は、拒んでくれればいい。  なのに、お前は俺を受け入れてくれるから。  もう、どうしていいのか分からないんだ。  だけど本当は、那弦が言う以上に「好き」なんだって伝えたかったよ。 「知久?」 「…っ」  息を呑む音が喉を鳴らす。  視界が霞む。  涙が溢れそうになる直前に、目の前の那弦を抱き締めた。  泣き顔は見せたくない。  弱い所を見せて、下手に同情なんてされたくないから。  那弦の気持ちは嬉しいのに、素直に喜べない。  抱き締めていいのか、それとも突き放していいのか、それすらも分からない。 「那弦にだけ、どうしても優しくなれないんだ」  だから、「好き」っていうのは嫌いだ。  想いが態度に比例しない。  どーでもいい子に優しくする方が簡単だなんて、なんて厄介な性格なんだろう。 「うん、いいよ。僕が優しくするから」  一生懸命伸ばした那弦の手が、ポンポンと俺の頭を撫でる。  堪えていた涙が、情けない嗚咽と一緒にもれた。  どうして、お前はそんなに俺を受け入れてくれるんだよ。  那弦なら、何も俺じゃなくてもいい筈なのに。  それなのに、俺なんかを選ばせてしまった。 「ごめん」  掠れた声が、心からの気持ちを初めて伝える。 「ごめんな。那弦が好きなんだ」  どうしようもなく。  想うように、優しくできないくらい。  こんな勝手な奴なのに、それでも那弦は手を離さないでいてくれる。  それどころか、満たされて安心しように、小さく呟く。 「初めて言われた」  そうかもな。  ずっと、それだけは言いたくなかった。  言ってしまったら、本当に那弦を手放せなくなると思っていたから。  それと、那弦が俺の傍から離れられなくなってしまうと思ったから。  自惚れている自覚はあるが、多分間違ってはいない。  俺が好意を示せば那弦は喜ぶ。  だから冷たくする。  那弦の気持ちに応えないことが、俺なりのささやかな誠意だったのだ。  けど、今はもうそんな事はどうでもいい。 「遅かった?」  何もかも、俺は気づくのが遅すぎる。  どうしようもなくて、落ち込んでしまう。  犠牲にされた那弦には、俺を責める事が許されるけど、そんな事はしないと知っている。  俺がどんなバカをしても、傍で優しく微笑っていてくれるんだよな。  だから今も、俺には勿体無いくらいの綺麗な笑みで、本当に嬉しそうに言うのだ。 「全然遅くないよ」  服の袖で俺の涙を拭って、多分、初めて那弦から唇が重ねられた。  ぎこちないキスをして、唇はすぐに離れていってしってしまった。  俺の顔色を窺うように見上げている瞳が愛おしくて、抑えきれない想いを断ち切るように顔を逸らした。  那弦は暖かい。  俺を包む身体も、言葉も、キスも。  ガラにもなく願ってしまう。  俺の全ても、那弦にとってそうなる日がきますように、と。
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