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昨日までは、夏だと思ってたのに、今日はもう、すっかり秋の夕暮れに変わっている。
怜子は、半袖のブラウスから出た腕を、両手で腕組みをするように掌で覆った。
「もう、やめようかな、会社。」
職場にいる先輩のイジメをスルーする努力が嫌になっていた。
今、出て来た5階建てのビルの3階の窓を、振り返って見上げる。
まだあの場所に先輩がいるのかと思うと、少しでも遠ざかりたい気持ちになって、小走りに駅に向かって走り出していた。
「はあ、はあ、はあ、もうダメ。息が続かない。」
走り過ぎて、息があがってしまって立ち止まったところに看板があった。
いつも、見かける看板だ。
どういう意味だろうと、ここを通る時に、いつも考える。
「手紙届けます。」と、最近よく見かける若者向きのカフェの前にメニューが書かれているようなオシャレな立て看板に、チョークで書かれている。
どういう意味だろう。
手紙なら、郵便局で出せるだろう。
そう思って、小さな字を読んでみると、住所や、名前の解らない人も大丈夫、過去にも未来にもお届けしますとあるじゃない。
「そんなアホな。詐欺なのかしら。」と怜子は、思ったが、子供のころから不思議なことが大好きな性格から、気になって仕方がない。
ちょっとお店の前まで行ってみようかと思ったのが、明日がお休みという気の抜けた日だったからに違いない。
「入口はこちら。」とある方向へ歩いて行く。
すると、横道に「裏の入口は、こちら。」とある。
裏の入口って、やっぱり何か怪しい。
ますます、怜子は気になって仕方がない。
どっちの入口に入るべきか。
「って、もう入る気、満々じゃない。」と、急に意味もなく嬉しくなって、怜子は笑いだした。
そのお店は、居酒屋などの飲食店のある雑居ビルの2階にあった。
ドアが閉まっているので、中の様子は解らない。
このドアは、開けにくいなと思っていると、中から男性の「どうぞ。」という声がした。
怜子は、防犯カメラか何かあるのかと、きょろきょろ辺りを見回したが、カメラはなかった。
ゆっくりとドアを開けて、上半身だけ中に入れて、様子を見ようとしたら、目の前に40歳ぐらいの黒いスーツの男性が立ってる。
「キャー。」と声を上げてビックリしたら、ドアの角に後頭部を打ち付けてしまった。
「痛たーい。」と、また大きな声で叫んでしまう。
「随分と、賑やかな方ですね。」
男性は、少しだけ微笑んで、中に案内した。
どうも、この男性が店長のようだ。
部屋の赤く塗られた壁が、怪しさ全開である。
怜子が椅子に座ると、店長は、テーブルを挟んで、向かいに座った。
「誰に手紙を届けたいのですか。」
と店長は、静かに聞いた。
「いえ、まだお願いするかどうか決めていないんです。どんなお店なのかなって思って入っただけですから。それに、システムとかも知らないし。」
半分、断るつもりで答えた。
「このお店はね、どんな手紙でも、どこへでも、誰にでも、届けちゃうんですよ。不思議でしょ。料金は、明朗会計で、1通5000円ね。」
「1通5000円なの。ちょっと高くない?郵便局だったら、手紙でも62円だよ。」
「あのねえ、郵便局と一緒にしてもらっちゃ困るんだなあ。うちはね、住所が分からなくても、世界中どこでも、過去でも、未来でも、もうどこへでも、手紙を届けられるんだよ。5000円というのは、超特価大サービスだよ。」
「どこへでもって、どうやって、届けるの。」
「お姉さん、なかなか疑り深いね。でも、理論を説明しても解るかなあ。あのね、手紙というのは、何で出来ている?」
「紙でしょ。」
「そう、紙だ。その紙は何で出来ているかと言うと、原子核と電子で出来ているよね。んでもってさ、この原子核と電子は、世界中のどこにでもあるだろう。僕はね、この手紙を一旦、原子核と電子に分解しちゃうんだね。そんでもって、もとの手紙の情報を、届け先の世界の原子核と電子を使って、組み立てていって、また手紙に変換するんだよ。」
「ふーん。」
「いやいや、ふーんって、自分から聞いておいて、メチャ、反応悪いやん。『きゃー、スゴイーーー!お兄さん、素敵。』とか、そんな反応無いの。」
「いや、まあ。スゴイですよね。」
怜子は、店長の言ったことが、本当だとは、思えなくて適当に合わせた。
とはいうものの、面白そうではある。
5000円なら、一回やってみようかなと、怜子の好奇心が顔を出す。
「じゃ、1通だけ出してみます。」
そう答えたが、誰に出せばよいものか悩んでしまう。
今、どうしても伝えたい人なんていない。
「でも、誰に出そうかな。相手が思いつかないよ。」
「じゃ、昔憧れていた人とかは、どうですか。」と男性はアドバイスをした。
「昔、憧れていた人、、、、。」
そうだ、どうせ本当かどうか分からないし、試しに、高校時代に好きだった匠君に手紙を書いてみようかなと思いついた。
「あのう、住所が分からなくても良いんですよね。」
「ああ、いいですよ。相手の名前が分かればね。それと、どんな人なのかを教えてください。」
怜子は、その場で便箋と封筒を貰って、書き始めたが、なかなか言葉が出てこない。
急に、昔の同級生から、好きでしたなんて手紙が来ても困るだろう。
でも、当たり障りのない手紙だったら、もらったとしても、捨てられるのがオチだ。
それに、手紙が届くなんて、そんなこと信じられないじゃない。
でも、もし届いたなら、届いたと解る文章にしよう。
怜子は、匠に対する気持ちを、たどたどしいながらも書いていった。
そして、最後に、もし彼女がいなかったら、1度会って欲しいと書いて、明日の19時に、お店で待っていると添えた。
どうせ、届きはしないでしょ。
そう怜子は、思っていたから、大胆な待ち合わせの文章も書くことが出来た。
書くことが出来たことが、何か自分で行動を起こしている気になって、普段の生活から飛び出せそうな自分になったかもしれないと、ちょっと嬉しくなった。
手紙を店長に渡すと、テーブルの前に置いて、そこにシルクのハンカチを被せた。
そして、手品で使うスティックを取り出して、手紙の上をグルグルと回している。
「ハイ、タネモシカケモ、チョトアルヨ。コノ手紙ノ上で、ゴソゴソスルアルネ。」と中国人のようにカタコトの日本語で説明をして、怜子に、「どうやっ。」て感じで、自慢げな顔をみせた。
「あんた、ゼンジー北京か。」
怜子は、ちっさな声で突っ込んだつもりが、店長に聞こえていた。
「アンタ、ゼンジー北京、知ッテルアルカ。サスガ大阪ヤナ。コレ東京デヤッテモ、チットモ、笑ワナイアルヨ。」
「そらそうやろ。大阪の人でも若い人は解らんよ。もう、本当に、手紙届くの?」
そう聞いた瞬間、店長は、手紙に掛けたシルクのハンカチを、パッと取り払うと、そこに手紙は無かった。
「ええ、もう届きましたよ。」
店長は、両手を開いて、ウインクをして見せた。
怜子は、どうも信じられなかったけれども、5000円を支払って、店を出た。
「ああ、あたし何をしてるだろう。でも、手紙届いたって、ホントかな。」
ちょっと期待をしている怜子だった。
そして、翌日、仕事を終えた怜子は、待ち合わせに選んだ店で待っていた。
「来る訳ないよね。だいたい、あんなので手紙が届く訳ないしね。あたしって、ホント、馬鹿だなあ。」
自分でも、呆れたようになって、コーヒーを口に運ぶ。
「これ飲んだら、帰ろ。」
そう思ったら、目の前に男性が立っている。
匠君だった。
「怜子ちゃんだよね。手紙ありがとう。びっくりしちゃったよ。」
怜子は、匠君が現れたことも驚いたけれども、手紙が届いたという事実が、信じられなかった。
いや、実際に届いていたのだ。
これは、間違いがない。
じゃ、どうやって。
怜子は、手紙が届いたということが、気になって仕方がなかった。
目の前には、高校生の時に憧れた匠君がいる。
今は、その事を優先しなくちゃ。
10年ぶりぐらいに会う匠君と、親しく話せるようになるには、時間は要らなかった。
匠君も、じつは、怜子の事が好きだったという。
2人が、食事をして、別れるころには、次のデートも決まっていた。
付き合うことになったのだ。
匠君と別れて、家に帰る途中、怜子は、今までにない幸せを感じていた。
匠君も、怜子の事が好きだったなんて、どうしてもっと早く、あのお店に行かなかったんだろう。
でも、これからは、幸せな時間が待っていると思うと、怜子は、仕事の嫌な先輩の事も、忘れることが出来るような気がした。
「これで、あたしは、変われる。」
そういって、煌々と怜子を照らす月に向かって、手を振ってみた。
月が笑ったように見えた。
次の日、怜子は仕事が終わると、店長のお店に行った。
「店長、ありがとう。手紙届きました。でも、不思議だなあ。」
「言っただろう。届くって。これはまだ、世界中の誰も出来ない僕の特殊能力なんだよね。どうだ、エライだろう。」
「うん、メッチャ、エライです。」
「じゃ、また手紙が書きたくなったら、いつでもいらっしゃい。」
と、その時に、怜子の頭に、いたずらな考えがひらめいた。
「あのさ、店長さ、手紙は、過去にも、未来にも届けられるって言ったよね。」
「ああ、届けられるよ。たまに、昔、悪いことをした相手に、謝りたいとかね。おじいちゃんや、おばあちゃんに、ありがとうが言いたいとかね。そんな依頼もあるよ。」
「ふうん、じゃ、過去のあたしにも手紙を出せる?」
「そりゃ、出せるよ。理屈は同じだ。」
「じゃ、あたし書く。」
そう言って、便箋に、7つの数字を書いた。
そして、「10月4日のロト7の当選番号だよ。絶対に買うんだよ。」と赤ペンで付け加えた。
「じゃ、この手紙、先週の土曜日のあたしに届けて。」
店長は、その手紙の内容を見ていて、ため息交じりに言った。
「こういう手紙は、乗り気がしないなあ。」
「でも、届けられるんでしょ。この手紙で、あたしは幸せになれるのよ。お金持ちになれるの。それって、悪いことじゃないでしょ。」
「悪ことじゃないかもしれないけれどさ、過去を塗り換えたら、この現在も塗り換えちゃうことになるじゃない。そんなこと人間がしていいのかな。気が引けるなあ。」
「じゃ、何。店長はさ、あたしを幸せに出来る能力を持ってるのに、あたしを幸せにしないってことなの。それって、ヒドクナイ?」
そう言われて店長は、やっても良いかと思い始めていた。
店長自身、この方法が通じるかどうか、興味がわいてきたのだ。
これが、出来るなら、店長自身もお金持ちになれるし、他人に使えば、例えば、病気を治すことだって可能になる。
そういった、研究者としての興味が湧いてきたのである。
店長は、テーブルの上の手紙を前にして言った。
「ハイ、タネモシカケモ、チョトアルヨ。」
「いや、もうその中国人のカタコトのセリフは、いいから、早く送って。」
店長が、ハンカチを払うと手紙はなかった。
さて、これからどうなるのか、いつ金持ちになるのかなあ。
そんなことを漠然と考えながら家に帰る。
その日は、いつもより寝苦しかったように思う。
翌日、目が覚めたら高級マンションの最上階のベッドにいた。
怜子は、ゆっくりと自分の周りを見渡して、「やったー。」と叫びながら、ベッドから飛び出した。
窓から見える大阪城は、怜子の足許よりも下にあった。
これってさ、毎回、ロト7が発売されるときに、手紙書いたら、どうなるのよ。
億万長者じゃないの。
そんな、大阪人らしいことを口に出して確認した。
それからというもの、怜子は、仕事を止めて、お金にも不自由なく、また匠君との交際も順調に進んで行った。
そして、今夜、プロポーズされたのだ。
勿論、怜子の答えは、「イエス。」だった。
これからは、お金も、愛情も、普通の人よりも、遥かに贅沢に生きていける。
そう確信していた。
世界で一番幸せだ。
プロポーズのあった日。
怜子が家に帰ると、テーブルの上に手紙が置いてある。
差出人は、怜子だった。
「あれ、未来のあたし、またロト7の数字を書いたのかな。」と何の気なしに封筒を開けると、乱れた字で「匠君とは、結婚しちゃダメ。殺される。」と書かれていた。
えっ、匠君に殺される?
どういうこと。
咄嗟には、怜子は、その文章が理解できなかった。
しかし、これは間違いなく、未来の怜子が、現在の怜子に向けて書いた手紙だ。
未来で、怜子と匠君に、何が起きているのか。
そして、どうして怜子が殺されるのか。
それにしても、殺されるなんて、尋常じゃない。
底知れない恐怖を感じた怜子は、次の日、店長のところに開店と同時に逃げ込んだ。
「こんな手紙が来たんです。」
それを読んだ店長は、暗い表情になって、「やっぱり、過去を変えると、ロクなことが起こらないんだ。。」
「店長、どうしたらいいの。」
「そうだ、この手紙を書いた時間のあなたに、何故殺されるのか手紙を送ってみよう。」
そういって、怜子に手紙を書かせて、テーブルの上に置いた。
「ハイ、タネモシカケモ、チョトアルヨ、、、。」
そう言いだした店長を押さえて、「もう、いま、あたしイライラしてるのよ。ゼンジー北京のマネは、止めて!もう!」
「エライ、怒ッテルアルネ。」
わなわなと怒りに震える怜子だったが、手紙を、兎に角、送ってもらいたいから、ぐっと抑えて、テーブルの上を見守る。
ハンカチを取ると、手紙はなかった。
すると、すぐにハンカチの上に、今度は、手紙が現れた。
「来た。」
店長も、怜子も、同時に叫んだ。
封筒を開けると手紙が入っている。
「あたしは、もう死後の世界にいます。あなたは、匠君に、あなたのロトで当たった財産とと保険金の両方を取られて、殺されるのよ。だから、結婚しないで。匠君は、結婚したら、欲の塊の殺人男に変わっちゃうんだよ。」
「仕方がないな。」
店長が、ぼそりと呟いた。
怜子は、匠君と解れる決心をした。
そして、別れ話がこじれてしまって、マンションも、財産も、慰謝料として取られてしまった。
少しだけ残ったお金で、文化住宅に引っ越してきた。
「あーあ、また元に戻っちゃったね。」
呟いてみたが、誰もいない。
インスタントのスープを啜ると、少し気がまぎれた気がした。
「もう、手紙なんて書かない。」
怜子は決心をした。
そもそも、自分あてに手紙を書いたのが間違いだったのだ。
あたしにお金が無かったら、ひょっとしたら、匠君とも上手くいったのかもしれない。
お金が、人を狂わせるんだ。
駅前に置いてあった求人誌を、パラパラとめくって見た。
「時給、950円かあ。安いなあ。」
そのまま眠ってしまって、気が付いたらテーブルに手紙が置いてあった。
「また、あたしが、あたし宛てに書いたんだ。」
ため息まじりに、手紙を手に取る。
これが、始まりだったんだ。
手紙が始まりだった。
その手紙が原因で、殺されかけたのだ。
「これからは、あたしは、あたしらしく生きて行くよ。」
少し笑って、手紙を破り捨てた。
「あーあ、スッキリした。」
夕方、近所のスーパーに、怜子はいた。
「野菜、高いなあ。」
買い物かごに入れたレタスを、棚に戻す。
「焦らない、焦らない。」
そう言い聞かせて、スーパーを出る。
その出口の隣人、宝くじ売り場があった。
「もう、お金は、懲り懲りだね。」
そういって、通り過ぎたが、10メートルほど行ったら、急に回れ右をして、引き返してきた。
怜子は、ポケットから、びりびりに破れた手紙を取り出して、ロト7のマークシートのマス目に、備え付けの鉛筆で、1つひとつ確認するように印をつけている。
その目はギラギラと鈍い光を帯びて、獣が憑りついたようにみえた。
お金は、人を狂わせる。
怜子は、ロト7の抽選券を見ながら、笑いをこらえるのが必死だった。
「あはははは。やっぱりお金よ。お金があれば、なんでもできる。あはははは、どうせ、何かあったら、また手紙を書けばいいじゃない。あはははは。」
怜子が、抽選権をポケットにしまおうと手を入れたら、何か入っている。
とりだしたら、手紙だった。
「その抽選券は、すぐに捨ててください。僕が殺される。」
店長からの手紙だった。
怜子は、しばらくそれを見つめていたが、宝くじ売り場のゴミ箱に、破り捨てた。
そして、満面の笑みになって、呟いた。
「あはははは、知ったこっちゃない。」
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